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この20年の変化

何年か前に簡単な部分的リフォームをする際、ものの処分を大幅に実行した。
もともと物が増えるのが嫌いな性質なので、書籍類は読むとすぐに処分する癖がある。
図書館に寄付したり、ひとに貰っていただいたり、百貨店のゴミ箱に捨てる場合もある。
本箱や書籍用ケイスはそれでもたくさんあるにはある。そこには小説や評論や随筆の類は無い。
仕事関連の語学関連のものばかりだ。それでも古くなったものは捨てている。

今回見つけた本のタイトルは「ビジネスマンのための日本を語る英会話」 ジャパン・タイムス 1995年8月5日 初版発行とある。
この時代は、ある国際外語学院で、たしか時事英語を担当していた記憶があるので、おそらく、教材作りに役立てようと思って買った本に違いない。
目録を書き出してみる。
PART 1 国際問題に関する話題
「常任理事国入り問題」「PKO参加問題」「内外価格差」「日米包括経済協議」「貿易収支の黒字」
PART 2 国内政治に関する話題
「閣僚の問題発言」「55年体制の崩壊」「社会党の路線変更」「選挙制度改革」「地方分権」
PART 3 国内経済に関する話題
「価格破壊」「株主代表訴訟」「規制緩和」「系列の行方」「産業の空洞化」「食品管理制度」「PL法の実施」
PART  4 社会事情に関する話題
「外国人犯罪」「高齢化社会」「女子学生の就職」「銃社会の到来」「大学改革」「談合の是非」「能力主義の導入」「労組の危機」
各項目の最後に英語による一分間スピーチサンプルがついている。
今回はこの本を処分しようと思って手にとってみたわけだが、この間の20年の変化をそこに見て取って唖然とした。こんなに世の中は変化したのかと。すっかり立ち消えてしまって、今は昔、としてしか考えられないものが多い。けれども、よく考えると、姿を変化させながらじわりじわりと現代になって大きな正体を現してきたものもなかにはある。両方の面で驚かされた。
少し例を挙げると、前者ならPART1では「貿易収支の黒字」、PART2では「社会党の路線変更」PART3では「価格破壊」、PART4では「大学の改革」「労組の危機」などなど。後者ならPART1では、たとえば「PKO参加問題」。これは現代の憲法改正問題に変化して成人化してきている。PART2では「地方分権」これは大阪都構想に繋がってきている。PART3では「規制緩和」「食管管理制度」などが、TPPに成長?してきている。PART4では今は昔にならないで増殖し続けた「外国人犯罪」と「高齢化社会」問題が安倍政権の「大量移民導入政策」に姿を変えてきている。20年の間に、息絶えて姿を消したものと、20年の間に同じベクトルで方向性を露にしてきたもの、その両方が等しく20年と言う時間を感じさせる。
もちろん別のくくりも出来る。たとえばPART1の「内外価格差」「日米包括経済協議」→TPPという見方もありえるし、PART3の「系列のゆくえ」「PL法の実施」→経済のGlobalism、という見方も可能だ。
テーマとして今では話題にも問題にもならないものよりも、姿を変えて時とともに大きく膨らんできたものの正体を見て、何かの「意図」を露に感じてしまった、というのが、感想である。(露に感じたのは)国家としての内なる方向性ではなく、日本の政治、経済に対する、勿論アメリカ様の「意図」である。そしてその意図は遂げられる。賛成、反対、良い悪いの次元の話ではない。

・・・・・・・・・・・・・・
2015年10月28日 (本来は7月27日の記事です)
今回日付のみ更新いたしました。

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NHKの勧誘員 阿漕な回線切断と難癖商法

数日前物凄く激怒した。激怒は死ぬほど身体に悪い。
癌が再発したのは、本当にあのNHKの勧誘員のせいかもしれない。
・・・・・・・
前日近所の人から「留守中にNHKから人が来てましたよ」と連絡をうけた。
「用件をお伝えしましょうか、と言ったのに、渡すものがあるからまた来ます」とその人は言った、という話だった。
すぐにわかった。何度も来ているからだ。毎回同じことを言う。「留守なのに電気がちかちかしている」と今回も言ったらしい。
「TVを見ているのではないか」と、前も同じことを言ったのだ。真っ暗で留守を装っているけれど、こっそりTVを見ているのではないかと。それで、前回も怒って「家に上がって、どうぞ気の済むまで見てください」と言ったのだが、家には絶対に上がらない。当然だ。そもそも「こっそりTVを見ているのではないか」といういちゃもんをつけてその前提で話を切り出してくる。どういう神経だろう。しかも何回繰り返し来たら気が済むのか。今度来たら、引っ張り上げても「家の中を見させてやろう、気の済むまで」と思った。

翌日来た。「昨日も来たけれど、留守だったのでまた来ました」いきなり、二回も来てやったのだぞ、という態度だ。
何の御用ですか?といえば、「契約書を持ってきました」 NHKはどういう教育をしているのだろう。契約もしていない人の家に勝手にやってきて「昨日も来ました」「契約書をお届けに来ました」-その口調、その教育そのものが詐欺だ。そして契約書を取り出す、書けといって差し出す。「NHKとは何の契約もしていませんが」といったら、やおら「TVの視聴契約をする必要があるのです。説明します」

「昨日来た時も電気がちかちか、とか言って帰ったそうですが、そんなに疑ってかかるなら、どうぞ家に上がって気の済むまで見てください」と腕を引っ張って「どうぞ、どうぞ」と言った。「いえ、上がりません」と抵抗をする。
「放送受信契約終了の手続きも済ませていますし、NHKからも契約終了確認連絡も来ています。何しに何回も来てるんですか。TVを置いているか知りたいなら、どうぞ上がってみてください。そして2度と来ないでください。」と強い口調で言ったら、「けんか売るんですか」と突然言いがかりをつけ始めた。「腕をひっぱった」と、言いがかりをつけて、挙句に「自分のプライドが傷ついた。どうしてくれる」と逆襲してきた。(契約もしていない人の家に、契約書を持ってきて、契約しろ)という、そんな仕事にプライドも何もあるまいに、と思うのだが、勧誘員は逆襲することによって、自分の立場を優位に立たせた。そして怒っている私に、凄み始めた。それにしてもこの人に何のプライドがあるのだろう。

「NHKはね、契約解除したあとで、やってきて勝手に回線まで切っていったのですよ。TVはもとより、VHSもDVDも見れなくなって、それ以来シャーという白い画面さえ出ません。これどうしてくれるんですか」
「NHKがしたのですか」「勝手に黙って切断していたので、誰ですかと、家から外に出て聞きましたよ。NHKだといいましたよ。ソコまでしておいて、記録も無いのですか?」「NHKはそんなことしません。他でしょう」「ほかがNHKの回線を切るわけがないでしょう」「そしたらNHKを訴えればいい。訴えるべきです」「そんな暇なこと出来ますか?その時にNHKに電話で強く抗議しましたよ、わざわざ。その記録がある筈ですよ。」「僕だったら訴えます」「NHKの人なら、回線見れば切れているのがわかるでしょう。切っておいて切れている家に何度も来て、電気がちかちか、っておかしいじゃないですか?回線みてくださいよ」「僕はどれがNHKの回線かまでわかりません」「NHKのひとじゃないんですか?」
この勧誘員は自分が客に怒られた被害者のつもりなのだ。
心底怒ったのでこっちが疲れてきた。「あなたお名刺ください」「名刺は今日はもっていません」
首からかけたプラスチックのNHKカードのようなものを見せる。「場所はハルカス8階です」「電話番号をメモさせてください。あとで投書します」そして家の中に入ってメモをした。玄関に戻っていったら「名刺ようやく見つかりました」と差し出してきた。
名刺を要求されたら、当然見せる義務があると、教育されているはずだ。名刺を差し出した辺りから、何故か急に態度が変わって、いちゃもんを急に引き上げてそそくさと帰ろうとする。ようやく我に返ったのだろう。あるいは「投書します」が効いたのか。
「回線の件、人に損害を与えているのだから、課長、部長、社長に言っておいてくださいよ。それに回線切っておいて、テレビがちかちかするわけが無いのだから、もう二度と来ないようにね。」

NHK法人委託、株式会社TMFのTK氏。そそくさと急に帰っていったのは「こっちは死にかけているんだから、死んだら責任とってくれますか」という言葉に、一番あわてたのだろう。NHK法人委託、株式会社TMF、こういう勘違いした不愉快な勧誘を一体いつまで続けるつもりなのだろう。この文章は本当に投書して、もっと大きな場所に掲げる必要があるかもしれない。

参照ー1  & 参照ー2   知恵袋より

老化&要介護

生と死については昔から散々考えてきたが、老化について考えたことがない。
近所の人の家にいって、役所からランダムで届いたと言うアンケートを見せてもらって驚いた。それは老化というより介護に関するアンケートのようだった。
Q.一人で買い物ができますか?
Q.自分で食事の用意をしていますか?
Q.食事は自分で食べられますか?
Q.自分で入浴ができますか?
Q.自分で洗顔や歯磨きができますか?
などと続く。老化とは介護とは、こういう状態になることなのか!今まで何故考えたことも無かったのだろう。
Q.自分で請求書の支払いができますか?
Q.自分で着替えができますか?
などもある。はっきり言って一人暮らしができなくなること、人の手を借りなければ生活できなくなること、それが老化だと、何故今まで考えたことがなかったのだろうか?
まだ若かったからか?それよりも、祖母や母を見てきて最後に倒れて入院するまで、二人とも自分のことが自分でできた、外出もできたし買い物もできた、洗濯もできたしご飯も炊けた。だからなのだ。介護を受けている人を実際身近に見てこなかったから、他人事だったのだろう。
今は他人事でも、この先長生きすると誰でもいつかは、ベッドから起き上がることさえできなくなる。歩くことも覚束無くなる。80歳90歳と遠い遠い先々のことかもしれないし、もっともっと近いことかもしれない。イヤー参った。
昔Parisに住んでいたころ、25歳の女の子が「老後のことを考えなければならないから、日本に帰る」と言って帰国した。馬鹿じゃないかと思ったが、老後のことをいつから考えるかは人それぞれ。昔TOと言う人にプロポーズされたとき、そのあまりの人生計画の緻密さに「うんざり」した記憶がある。何年後に家を建てて、何年後に子供を結婚させて、何年後に定年を迎えて、そのとき年金がいくらで貯金がいくらで、それで思わず「こんな筋書きのわかりきったような、面白くも無い人生は生きたくない!」と叫んでしまった。まともな男は就職が決まると、だいたい人生設計もある程度考えるようだ。昔の一流企業は安定していて、終身雇用、年功序列もあり、先々が見通せたことも確かだ。女はそういうことは考えない。(←それはお前だけだって?たいていの女もそれくらいは考えるって?)ひょっとしたらそうかもしれない。TOのことは今まで書かなかったような気もするがTOは付き合ってすぐにお姉さんの家族に、そしてお兄さんの家族に私を紹介した。私は当時何故彼が兄や姉の家に私を案内するのか、その意味など考えたことも無かった。だから詳細な人生プランを見せられてプロポーズされたとき、本当に吃驚した。そして「この人はなんとつまらないことを考えながら生きているのだろう」と不思議にさえ思った。まあ今から思うと彼の生き方が正解なのだろう。だから彼なら、いつ要介護になってもなんの心配も無いはずだ。でも、それがそんなに意味のあることなのだろうか?
問題はいつ要介護になるかにかかってくる。そしてそれは誰にもわからない。それでいてすべての人にその時は必ずやって来る。偶然に目にした役所のアンケート、その紙で顔を正面から叩かれたような気がする。今まで気楽に生きてきたことのつけ、たまりにたまった飲み屋の借金をいきなり催促されたような、衝撃だ。

医者で詩人の瀬崎祐が昔仲間内の回覧板に「皆さんの死に方の分類」と言うのを勝手に書き込んでいた。餓死・自殺・野垂れ死にの3種類があり、私はよく覚えていないが「野垂れ死に」に分類されていたように思う。若いころに詩などに現を抜かしている人間には、要介護や大往生よりも、その3種類のどれかが最もふさわしいような気がする。問題はそのいずれにせよ、引き寄せて受け止めるには相当の覚悟が必要だと言うことだ。

追記:この入稿は、多くの方に全く理解されないような気がする。私が日本人でありながらシャンソン・ファンなのは、この入稿と関連があるかもしれない。シャンソンには以下のような曲がある。日本のシャンソンファンに理解されているとは思えない。それが証拠に、日本人シャンソン歌手はほとんど歌わない。共感ができないから、あるいは内容が全く理解できないのだろう。この2曲にはシャンソンにしかないある価値観が歌われている。
Monsieur William
Les dames de la poste
ウイリアム氏も郵便局のご婦人たちも、偶然だが最後に死ぬのだ。-
シャンソン独特の諧謔の精神が匂いたつとおもわれるのだが、いかがでしょうか?日本歌謡には、この種の内容はありえない。
今日はじめて気づいたのだがBarbaraはこの2曲両方をレパートリーに入れている。つまりBarbaraと私はある種の特異な価値観・人生観がぴたりとあっているのかもしれない。
歌詞の内容を知りたいって?時間的余裕のあるときに探してみます。多分すでにBruxellesが訳出していると思うので。
・・・・・・・・・
Les dames de la poste 和訳
Monsieur William 和訳
・・・・・・・・・

追記:シャンソンには無くて日本歌謡にある諧謔の精神はないものかと、今朝からいろいろ考えてみた。これなんかいかがでしょう?「お涙頂戴、ありがとう」ここのこの意味、フランス人にはわかるまい。
赤色エレジー あがた森魚
このあたりを深く追求すると、国民性の違いにまでたどり着くような気もする。

/////////////////
blogが見苦しくならないように、日時設定だけを更新しています。
したがって、書き込みの期日と、表示される期日とはかなりのずれを生じてきました。

本稿は2013年の末ごろに書いたもののように思います。
日付が2015年になっているのは、あくまでもBlog Top
画面の維持のためです。
2015年4月28日 追記日
2015年6月24日 追記
この記事は1年半以前の記事で
従ってこのblogは事実上1年半以上放置したままだったことになります。

不法侵入

googleもBaiduも情報を取っていることが明らかになった。Yahoo Mailにしても、情報を取っていますと内部に書き込みがある。Blogであれサイトであれ公開する以上、情報収集されること、そして情報分析されることはある程度は覚悟している。しかし個人と個人のメイルまでこっそり閲覧するのはやりすぎだ。かりにそれは我慢するとして、不法侵入はやはり犯罪ではないかと思う。取り締まる方法はないのだろうか?
この前書いたBonanzadealsなどは、自宅の自分のベッドに朝起きたら知らない人が隣に寝ている、というくらいの見過ごせない犯罪性を持つ。帰ってきたら知らないひとが勝手に入浴したり冷蔵庫を開けてテーブルに座って食事している、ような不愉快さだ。CCleanerを入れたときにくっついてきたのだろう。ニュースでもそういう風にして侵入すると書いてあった。Bonanzadealsは普通の手順では消せなかった。またBaiduは主要言語ソフトの常駐ソフトの座に元あるものを押しのけて座り込んでいた。昨日はhao123というペイジがGoogle ChromeのTOPペイジに出てきて困った。タブを削除しても削除しても、Google Chromeを起動させると必ず最初に出てくる。だから検索をしようと思えば、その後でHPをクリックしなければならない。どうすればこのhao123のペイジを出さないですむか、1時間くらい格闘した。文字入力設定を開くとこのHao123が言語ソフトのペイジの一番上に入っていた。こんなところにいつ入ったのだろう。ここまでたどり着けば削除は何とかできたが、泣きそうになった。この図柄も色もペイジ構成も好みに合わず不愉快なのだ。しかもこれは普通のプログラムの場所では隠れていた、見つからなかった。
防衛庁のコンピューターや政府筋のコンピューターに入るのではなく、今はこうしてなんでもない一般の人のPCに入り込んでくる時代になったということだろう。インターネットの向上のために情報を取るだけなら、いたしかたないとは思うが、個人のコンピューターに侵入して無断で居座るというのは、仮にそれが悪事を働かないものだとしても、やはり犯罪だと思う。よく読みもしないで(同意)(同意)とクリックした私にも責任はあるが(同意)を押さなければ、(次)に進めないような状態だった。
さて今後政府は不法侵入ソフトを犯罪として取り締まるのか、あるいは、感覚が麻痺して便利な無料ソフトと位置づけ容認するのだろうか?
3週間くらい前フランスのMさんからメイルでファイルが届いた。説明もなく挨拶もなかったので、本人に「どんな内容のファイルですか?」と尋ねたら「出していない」という返事が来た。メイルアドレスはMさんのものだった。これが成りすましである。成りすましファイルが来るということは、私のメイルボックスからも、成りすましメイルが発送されている可能性も充分ある。だいたいウイルスファイルは一般的にメイルの添付ファイルとして送られてくる、というのは昔からの常識だ。こんなものを開けた日には、どっとウイルスががん細胞のようにPCの中に繁殖してしまう。
私は「ウイルスソフトは何がよいか?」今まで何人かの人に聞いた経験がある。ところがたいていの人はこういうのだ。
「ふつうにメイルしたりインターネットしたり買い物したりするだけなら、ウイルスに出くわすことはめったにない。怪しいアダルトサイトとかに行かない限りは心配することはない。自分は何年もやっているけれどウイルスに侵入された経験がない。心配することではないよ」と。私はかなり早くからウイルス対策ソフトを入れて対処しているが「トロイの木馬」だけでも過去に何回も出会っている。ブロックされる場合もあるし、侵入してから逮捕隔離する場合もある。また侵入した後にやっつけてもらったこともある。だから「普通にしてる限りウイルスの心配はないよ」という人が何故こうも多いのかよくわからない。私がNetsurfingをやりすぎているからだろうか?
ウイルスは天文学的な速度で次々と新種が現れているらしい。それにしても何年もインターネットを楽しんでいるのに一度もウイルスに出会っていない人って、どんなひとなのだろう?つまりどんなことをしているから大丈夫なのだろう?
インターネットも奥が深いがウイルスも奥が深い。「オージョーシマッセ」の世界である。

Spywear 本当は怖いネット世界

前回の記事に勝手に入り込んだ迷惑ソフトのことを書いた。迷惑ソフトというより、ウイルスソフトである。以前ある方から「ウイルスに感染しました」とポップアップが出たので、修理に出したという話を聞いた。何度出してもよくならないそうだ。すでに修理の人に来てもらうだけで6万円も出費したということだった。あげくに「あなたのサイトが感染しているから、訪問者のパソコンに不具合が発生するのだ。ぜひ修理してもらってください」とメイルが来たことがあった。前回書いた「直ちに修復するためにはこちらをクリック」にひっかかった人だということが今ではわかる。そんなにもインターネット上が無法地帯だとは多くの人は知らないのだろう。しかしこれではちゃんとしたサイトを書いている人にあらぬ疑いがかかるばかりだ。口に出して抗議してくる人はまだましだが、黙って恨み続けられることもありうる。そのうち「あのサイトは問題サイトなので近寄るな」という風評被害も発生するだろう。これが迷惑でなくてなんなのだ。

12月26日の新聞やラジオで、バイドゥ・アイエムイーが無断で情報を収集しているということが報道されていた。産経新聞を買いに行ったか、産経には一切報道がなかった。インターネットでもほとんど誰も取り上げていない。本当は大騒ぎしてもいい筈なのだが。なぜならこの中国製の言語ソフトは、無断でパソコンに侵入し、あつかましくも常駐ソフトとして居座る。しかもすでにあるものを勝手に押しのけて自分が主力言語ソフトとなって活動を始める。ひどい話ではないか。「迷惑行動はしていない」ということだが「情報を抜き出していること」は認めている。私が思うに、問題なのは情報を取るとらないより、勝手にPCに入り込んで居座る、ということだ。スパイと同じで一旦入ったら、この先何をするかわからない。googleの内部告発で、無断情報収集が問題になったが、まったく同じでこれは国際的な犯罪行為である。Net発信する側は、情報は盗まれるものということを覚悟しておかねばならない。ついこの前私の音楽ブログにさえ、一日700を超えるgooglebotが情報収集にやってきたばかりだ。政治Blogとなると一般読者よりもgooglebotまたはそれに類するものが3,4倍近く訪れる場合もある。とにかくあまりの数値に吃驚する。最近私のBlogは全部こんな感じで、個人的にマークされているように思う。インターネットを快適にするためにはある程度の情報分析、情報収集は認めなければならないとは思う。言ってみればバーコードと同じで、広告を有効に出すために、個人の嗜好を徹底分析していることも確かだ。たとえばの話、You Tubeに行くとすでに私好みの動画が並んでいたり、ある本を調べていると「あなたはおそらくこのような本にも興味をお持ちの筈」という推薦本が並ぶときもある。気の利かない店員よりもよっぽど気が利く、場合もある。反面、何が気に入らないのかわからないが(おそらく真実の暴露が気に入らないのだと思うが)サイバーテロの対象にされることもあるし、迷惑コメントが100,200と毎日繰り返されることもある。銀行から無断でお金が引き出されることもあるだろうし、クレジットカードで引き落とされることもあるだろう。また「成りすまし」があなたに成り代わってメイルを出したり、記事を書いたり、改竄したりして、あなたの名誉を貶めることもありえる。しかも頻繁にありえる。煎じ詰めれば「暗殺」されることもありえる。個人がターゲットになった場合は、嗜好だけでなく、行動パターンも解析されているからだ。

さて、中国製の言語ソフトの事件、何故googleの場合のように騒がれないのだろうか?報道がまったく行き渡っていない。報道に関して、なにかマスコミが大きく取り上げる問題があるときは、じつは本当に重要な事件を隠蔽するための陽動作戦である、場合が多い。これはほとんどの人が賛同しないとは思うが、私は今回の「陽」は安部総理の靖国参拝のような気がする。安部総理が何の意味もないどうでもいい時期に唐突に靖国参拝したのは、この言語ソフト事件を隠蔽するためではないかと思う。アメリカまでが「遺憾」というと日本人の頭は、大変なことだと認識し、当分その話題に圧倒されて不安なって萎縮する。私に言わせれば安部総理が何の意味もない日に靖国に行こうが行くまいが、まったく何の意味もない。しかし保守や右翼はそのことを極端に大袈裟に喜んで賛美するだろう。そこが狙いである。まったく何の問題もなく何を隠す必要もなく、以後情報スパイソフトがみんなの常駐ソフトとして居座るわけだ。一旦公にした後なら、以後問題になることもない。どれくらい恐ろしいことだという認識もないまま、当たり前のこととなる。
私の予想では、安部総理の靖国参拝に中韓からの激しい抗議はおそらく来ないだろう。結果として保守や右翼が馬鹿喜びして幕となる。この陽動作戦が何のために必要だったか考えれば、実に先恐ろしい。


PC LIFE

昨日のことだ。You Tubeに飛ぶと「あなたのPCに問題が発生しました」と警告が出て「こちらをクリックして修復してください」と続いた。クリックすると無料ダウンロードペイジが。そこをクリックすると、無料のソフトと有料のソフトがセットになって販売されているペイジに出た。無料はいくら探してもない。windows何とかかんとかと書いてあったので、かなり真剣に探したが、無料のダウンロードなど全くない。それでそこから出たが、以前に使っていたCCleanerを入れようと思いついて、インストールすることにした。同意、同意、と同意を4回押すと無料インストールペイジにはいった。以前よりも簡単にインストール成功。しかし、余計なものが4個も入ってしまった。無料ソフトには余計なものがついてくるという体験は既にあるので消すことにした。Bonanzadealsというものだけは、いくらアンインストールを押しても消えない。開いてみると広告ばかりだ。これはなんとしても消さなければと考えた。Googleでこれは何かと調べてみたら、adowearというもので相当たちの悪いウイルスソフトだとわかった。それで調べたらアンインストールの仕方も出ていた。それに従うとようやくアンインストールに成功した。それにしてもショックだった。一旦ウイルスが入ってしまったということなのだから。心配なのでフルスキャンすることにした。もう取り出しに成功したので、多分大丈夫だとは思ったが、一時間近くかかった。脅威は発見されませんでした、という結果を得てようやく安心した。知り合いに電話すると、そういう詐欺のような物売りや無料ソフトについてくるウイルスは頻繁にある、とのことだった。それにしてはあまりに聞かない。Bonanzadealsという名前も聞いたことがない。体験者の話を聞くとこのウイルスのせいで、頻繁にフリーズするようになったと、書いてあった。広告ばかりが出てきて、何もできないとも。もうひとり別の知り合いにも電話して聞いてみた。やはり「そういう詐欺のような物売りや、くっついてくるウイルスソフトには気を付けよ」とのことだった。
以前使っていたPCは空き容量が少なくなっていて、よくフリーズした。それだけでなく「あなたのPCはクラッシュ寸前です」という警告も頻繁に出た。たしかにクラッシュ寸前だと思っていたので「わかっている」から無視したが、飛ぶサイトによって出る時と出ない時があった。ほかには「ウイルスに感染しました。こちらをクリックして処置をしてください」というのもあった。まあ薮から棒に「クラッシュ寸前です」「ウイルスに感染しました」「問題が発生しました」と言われては、誰でも驚く。古いPCの時はどうしていたかといえば、やはり毎回フルスキャンして安全を確認していた。それに毎年4,5回はトロイの木馬に侵入されていたので(その都度防いだが)、ウイルスの脅威に対する多少の心理的免疫は出来ていた。自分でその都度なんとかしなければ、Net Surfingを続けることはできないと、体験的に知っていた。
では何故、昨日ショックを受けたかといえば、新品の他人のPCを使っていたからだ。クラッシュしたり、問題が発生するわけがないと思っていたので、かなり焦った。なんとか最後まで一人で対処できたのは、厳しい体験を何度もしてきたからだろう。そういえば以前容量がゼロになりました、といって動かなくなったこともあった。あの時はCCleanerで掃除して、それからゴミ箱の容量を1%に減らしたら、なんと空き容量が一気に0%から40%になった。
何故クリスマスの夜にこういうことをくどくど書いているかといえば、こういう体験は公表・拡散したほうがいいと思ったからだ。今日昔買った「PCのなんでも解決大事典」を読んでいるとこういう記事を見つけた。
「ウイルスに感染したというメッセージが表示されたがどうすればよいか」という問いに対し「そういうメッセージの後セキュリティープログラムのダウンロードを促してくるのはユーザーを騙して有料プログラムを売りつける手口なのだ」と書いてあったからだ。今に始まったことではないようだ。昔からの手口なのだ。ひどい話だ。「自分がインストールしているセキュリティーソフトかまたはwindows自体が出すメッセージ以外は信じないように」と回答があった。
PCLIFEを楽しんでおられる多くの方にこれはお伝えしておかねばとふと思った。詐欺のような手口ではあれ、有料プログラムを買うことに反対するつもりはないが、購入の際に書き込む、諸々の個人情報が、またどのように悪用されるかわからない、という話もあるからだ。心配をしたらキリがない。
とにかく突然現れる警告メッセージにいちいち動揺しないこと、これは大事ですよと、自分への反省も込めて、今日は書いてみた。クリスマスの夜にふさわしい楽しい記事にはならなかったが、その分実用的ではないかと思う。大体楽しさと実用性とは、相反するものなのだ。

ポイント & 割引券 そして販売員

近所に大型マーケットがオープンした。専門店が15軒入っている。大型家電店もある。家電に関しては、小さな個人店はすでに全部店を閉じた。郊外に大型店が二三あるが、車でないといけない。前に冷蔵庫を買った時も、従って難波まで出た。昔は歩いてなんとか行ける距離に上新電機があったのだが、いつの間にか無くなった。電気製品を買うのは気が重い。今回PCが壊れかけているので、買うことに決めた。あっさり決めようと決意していった。
なんというか、回線の競争に捕まった。NTTからイオに変えると、製品が安く買えます、というのに釣られた。それで、PCの購入と同時に回線も変えることにした。最初に行ったのは10月だが、いま12月、まだ回線はNTTのままだ。外の線が近所まで来ていなかったらしく、その調整に日を要した。
最初の日にまずカードを作れと言われた。いろいろポイントがつくらしい。しかしカードそのものにも年間費用がかかる。カードを申し込んだり、新規開店1週間以内に家電を購入するとポイントが多くつくともいわれた。早く買って早く申し込むと随分と割引になる、それだけでなくポイントもどっさり、その上割引クーポンもたくさんつくという話だ。
早い話がほとんど全部、販売促進の詐欺的戦略である。いろいろ調べてみると普通より2万円も安いというPCは、結局全く安くない。ポイントもここで買い物をしない限りは増えない。割引クーポンは、いくら以上買わないと使えないものばかりだ。つまり延々とここで高価な家電を買い続けない限り、何の意味もない。そのあとも細々といろいろ買ったので、割引券は貯まるが、使用できる割引券は一枚もない。
私はよく薬局に行くので、ポイントについては無知ではない。薬局のカードを3枚持っていて、3軒ともよく買い物をするが、なにしろ消費者はひとりなので、有効ポイントを貯めるためには、各お店で相当高価なお薬を毎月多量に買い続けないと、ポイントが充分にたまらないうちに期限切れとなる。じつは数ヶ月前までは4枚持っていたのだが、一番ポイントをたくさん貯めていた薬局が閉店になった。ポイントはパー。大型薬局がたくさん出来すぎて家の裏にあった一番近い薬局が競争に負けてしまったのだ。ちなみにそこは、マツモトキヨシ。薬局を1つに決めれば、ポイントは3倍の速度で貯まるわけだが、買いたいものはそれぞれ、別の薬局にしかない。だから全部を一軒でまとめて買えない。それによくカードを忘れる。持っていない日の方が多い。ポイントのためにたくさんカードをもつのは、はっきり言って無様でさえあると思う。
話を家電に戻す。その大型家電店には、製品の説明者がいないのだ。人はいるが、聞いても質問に答えられる人がいない。若い元気そうな人がいるにはいるのだが、質問に答えた人はひとりもいない。PCに関して誰か答えられる人を呼んでちょうだい、といったら、さっき回線の説明を聞いたイオの人がやってきて吃驚した。この店の販売員で説明できる人はいませんか、と聞くと、一応僕が一番PCに詳しいのでという返事。それで色々聞くと、パンフレットを探しに行って、ペラペラの一枚を持って戻ってきた。そこにはそのメーカーの全製品の写真が出ているだけで、内容の説明もなければ型番の名称も不明、定価も当然不明、ハードディスクの容量も何もかも不明のペラペラのパンフレット。これではこの製品に関して内容が全くわかりませんね、というと「ここへ電話して聞いてください」という。それはそのPCのメーカーの問い合わせ番号。わざわざお店に行っているのに、商品知識のある店員が不在で、パンフレットを見せて、そこに何も書いていなければ、客自身に自分でメーカーに電話して聞け、という。ネットショップで買うのと全く同じ。買った客がいちいち電話して一から製品説明を聞かなければいけないなんて。

11月にはPCが届いた。接続はなんとかできたが、スピーカーの音がならない。販売店に行くとスピーカーを持参しろという。帰って持参してもう一度行くと、「こうすればいい」というが明らかに、そんなことで音が出るわけがない、という人を馬鹿にしたような回答を大型家電店の店長が言う。店長の顔を立てて、「わかりました」と引き上げたが、言われたとおりにしても当然の如く音が出ない。販売店は何のためにあるのだという話だ。
まえの冷蔵庫の時もそうだったし、その前のICレコーダーのときもそうだったが、家電の店員は全く製品知識がない。これははっきり言える。すこしましな店員は、パンフレットを探してきて、それを読んで説明するが、せいぜい、それでもパンフレット範囲の知識で、製品説明までは程遠い。電気屋に行って製品説明を聞こうとするのは、そもそも間違いかもしれない。それだけ製品が複雑になって販売員の教育程度では追いつかなくなっているのだろう。販売員は販売戦略を叩き込まれるだけ。それからメーカーに問い合わせてみても、その説明員自身が「お待ちください、いまからPCで調べます」という。質問電話はつながりにくいし、やっとつながってもこの有様だ。
今は客の方が頭の切り替えをしなければならない、時代かもしれない。販売員は製品知識がないのが当たり前、パンフレットも写真だけで説明がないので当たり前、ひょっとしたら、買い物の商品知識は客自身があらかじめ勉強して持っていなければならないものかもしれない。

わたしはもう、できれば家電は買いたくない。この調子なら数年先には大型家電店も消えてなくなるだろう。家電はネット購入して、ネットユーザーが知識を流しあって製品知識を共有する、それが買い物前の常識になるのではないだろうか?人間はひととの直のふれあいをとことんなくしていくのだろう。売り手も買い手も、対面の必要もなく、商品は動く。すでに販売員は販売員の役割を果たさず、大型店舗も本来の役割を忘れている。PCで買い物をしても、大型店舗に出向いても全く同じなら、販売員や大型店舗が淘汰されるのはもはや時間の問題だ。

・・・・・追記:2013年12月9日・・・・・
後半部分を書き換えようと珍しく再訪問して大変驚いた。米国営利団体からのアプローチが昨日一日で454、日本からのアプローチは42、大変驚いた。細々と書いている日記である。昨日の記事は特に大した内容ではない。しかも日本語で書いている。何故米国から454もアプローチがあったのか?答えはひとつしかない。ほかのBlogに、日本にはない情報ばかりをほとんど英語のまま出しているので、書き手である私自身がマークされているからだろう。記事を書いているBlogより、日記に集中するのは、記事解析はすでに終わって「書き手解析」に入っているのだろう。解析されて不都合なことは何もないが、そう思っているのは本人だけかもしれない。


大阪弁 (2)

薬の副作用か高脂血症(健康診断の結果)のせいか、今日は少し頭痛がする。学術的でも論理的でもないが、前回の大阪弁の続きをふらふらと書いてみようと思う。てん、とん、ねん、のん、はん、よん、やん、などなど思いつくままに。前回のコメントに、とる(とん)、よる(よん)を侮蔑語だと感じると書いた。「何ゆうとんねん」や「真っ赤になりよってん」などという言葉は確かに侮蔑を感じる。
広島弁に「けん」があるが「いったいあれはどう言う意味か」と、ごく一般の人に聞いてみた。「大阪弁の、ねん、のようなものではないか」という答え。とすると、強調か?たしかに「すきやねん」のねん、は強調だろう。広島弁の「けん」は強調ではなくて、「けん」は「けん(に)」から来ていて少しbecauseが入っているように思うのだが。一方「ねん」は前に「なに、なんで、どこで、誰が」などの疑問詞と対になって、疑問の強調になる場合も多い。「何言うてんねん」「何言うてまんねん」「何言うとんねん」ーのように。「ねん」のNの音が、疑問詞と重なるがNの音自体にも多少の「疑問」を含むような気もする。それはたとえば「のん」で明らかになる。「怒ってんのん?」には疑問詞はないが、「泣いてはんのん?」と同じで疑問文である。Nの音そのものが疑問の気持ちを表す。先の三つを1.「何言うてんのん」2.「何言うてまんのん」3.「何言うとんのん」に置き換えてもほとんど意味が同じなのはそのためだろう。「ねん」と「のん」を比べると「ねん」の方がきつく押しつけを感じる「強調」である。一方「のん」はやわらかい疑問は含むが強調はない。
1.「何言うてんねん」の「てん」については、「ている」から来てきて進行中の状態を表しているのだろう。「あなたは一体何を言っているのですか?」という感じだろう。2.「何言うてまんねん」の「まん」は「ですます」の「ます」の変形で「何をおっしゃるのですか」ほどの尊敬語ではないが丁寧語であって、「ねん」が疑問の強調であるので、結構相手の発言を問い詰める感じが出る。従って「何言うてまんねん」は丁寧ではあるが叱責調のニュアンスが入る。3.「何言うとんねん」は既に書いたが「とん」が侮蔑語であるので、「もっぺん言うてみぃ」と続くと、すでに喧嘩の売り言葉である。
「はる(はん)」であるが、これは「泣いてんのん?」と「泣いてはんのん」と比べるとわかるように「はん」は大阪弁では尊敬語である。「わろてはった」は「お笑いになっていた」となり、丁寧語に近い尊敬語である。聞くのも言うのも、心地の良い人間関係を感じる。しかし対等の人間には使わない。先生がいいはった、は自然だが、友達が言いはった、は「友達がおっしゃった」と同じで大阪弁ではおかしい。
最後に「やん」であるが、「だろう」の変形であると思う。つまり推量のニュアンスがはいる。断定を避ける緩和表現と言ったほうがいいかもしれない。「あかんやん」は従って「ダメでしょう」という意味で「あかん」だけなら「ダメ」ときつくなるので語調緩和で「あかんやん、そんなことしたら」という風につかう。ただこの語調緩和の「やん」に付加疑問のような終助詞「か」がつくと、「ダメじゃないですか」となりせっかくの語調緩和が同意の強制になる場合がある。「7時に帰ると言うたやんか」は「7時に帰ると言ったでしょう」ではなく「7時に帰ると言ったでしょう、言わなかった?」というふうな叱責調になる。先ほど同意の強制という表現を使ったが、この場合「はい、言いました」という相手の同意を当然のこととして想定している。だから語調緩和が「か」ひとつで叱責調になってしまう。

近年TVやラジオのアナウンサーや司会者までが「じゃないですか」という言葉をしょっちゅう使うが、聞くたびに不快感を感じる。「暑い日は喉が渇くじゃないですか」なら、説明の必要がない自明の理なので「同意の強制」があっても仕方がないが「相撲って退屈じゃないですか」とか「僕はうなぎが好きじゃないですか」とか「日本って窮屈じゃないですか」とか、自分の話を強引に続けたいがために、何でもかんでも相手に「同意の強制」を突きつけて、同意もないのに、そのまま同意を得たものとして話をつないでいく人が結構多い。その人の頭の中で論理の構築ができていないのだろう。それに「暑い日は喉が渇くじゃないですか」も何も論理の強制を必要とするような内容ではない。単に「暑くて喉が渇いたので」云々と普通に話せば済むことだ。「僕はうなぎが好きじゃないですか」などと言われたら「そんなもん、誰が知るかい!」とどうして誰も言い返さないのかと思う。
さて大阪弁に話を戻す。先ほどの「やんか」でいくとこうなる。
「暑い日はのどかわくやんか」ー「まあ、そうやね」
「相撲って退屈やんか」ー「そぅお?別にそう思えへんけどな」
「僕、うなぎ好きやんかぁ」ー「へー、知らんかったわー」
大阪弁の「やんかー」は「○○だ、違う?」という付加疑問であり、翻訳すると「じゃないですか」という意味なのだが、本来「やん」が語調緩和なのと「か」がついて「やんか」になると同意の強制や叱責調が出るのを誰でも知っているので、上記のような使い方は阿呆以外はめったにしない。先に書いたように「7時に帰ると言うたやんか」というふうな、叱責調にしか本来使用しない。従って大阪で「やんか」を同意の強制、話の展開に使おうとしたら、上記の右側に書いたような返事しか返ってこない。
「・・・じゃないですか」の連発は一日も早くテレビやラジオから消えてもらいたい。

大阪弁

まだハイティーンの頃だったような気がする。一時期だが大阪弁に耐えられなくなったのだ。
一番嫌だったのは「ほんま」(本当)という音。「とんま」じゃあるまいし「ま」で終わるのが間が抜けているように感じた。これに「でっか」がつくと「ホンマでっか」ーがさつな人格を感じてしまう。他にどうも許せないのが「ほんなら」ーこんな言葉をうら若き女性が使えば、幻滅でしかない。これに「さいなら」が付くと「ほんならさいなら」ー女性がこんな音の言葉を口にして、上品でいられるわけがない。聞くのも嫌だった。
「そうでっしゃろ」は「で」の音が嫌だ。「かめしまへんか?」は「め」の音が嫌だ。「すんまへん」は「すんま」の音が嫌だ。「ちゃいまっか」は「ちゃい」だ。「違う」と何故言えないのか。「あんさん」(あなた)、「あて」(私)、「どないだ」(どうですか)「ごめんやす」(ごめんください)「ほな、行きまひょか」ー「まひょ」とはふざけた音だ。「怒ってはんのでっか?」は「はんの」も「でっか」も音から意味が類推できない。「堪忍しとくれやす」ー「とくれ」って?「ておくれ」から変化し過ぎ。「あきまへん」の「まへん」も「ません」からの変化。「ませ」と「まへ」を比べると「まへ」は音からして否定がきついし「へ」の音は礼節を欠く。こう書いていくと、嫌い、はかなり主観的で、論理的ではない。
「どうして大阪弁はこんなに汚いのか」と祖母に言ったら「それは歴史や文化を背負わない者が、口先だけで話すからだ」と言われた。「それに、今大阪弁と言われているものは、所謂関西弁で、関西一円から大阪に働きに来た人が口にする言葉で、本来の大阪弁ではない」と言った。しかしTVで花登筺の台本のドラマを見ると大阪の船場のひとが話している、若いものが使う関西弁とはまた違う、と言ったら「TVの船場言葉自体が間違いだらけだ」と言った。どこがどう間違いなのかはよくわからない。まあ結局は言葉というものはーどんな人の口から出るかーで美しくもなれば汚くもなる、ということだろうか。自分の生まれ育った言葉に美を感じたり馴染めなかったり、使おうとしなかったりするのは、不幸なことだ、と言われてしまった。
それから私は大阪弁のコレクションをしたりして、馴染もうとしたのだけれど、どうも自分を3枚目の立場においてしか、つまり笑いを取ろうとしたり、ふざけたりした時しか使えなくなった。そして確かに祖母が言ったように大阪弁と言われるものにはいろんな言葉が混じっている、もはや純粋な大阪弁などはない、何をもって大阪弁というかも定かではない。
そんなわけで私は大阪弁嫌悪症から比較的簡単に回復できたのではあるが、やはり未だに時々後遺症がでる。しかしよく考えるとそれを話す人にまで違和感を感じるような(大阪弁)は確かに大阪弁ではない。大阪の地方語の場合が多い。後遺症が出るのはこんな場合だ。私のとびきり美人の女友達がこう言った場合。「あっ、しもた、壊してもた」ー「しもた」は「しまった」、「壊してもた」は「壊してしまった」。インクのシミを白い服に落とされたような気持ちになる。私のハンサムな男友達が「券あるから、来週その映画見に行かひん?」といった場合。「行けへん?」を飛び越えて「行かひん?」って。馬じゃあるまいに「ひん」とは何?ハンサムな顔が馬に見える。友達なのに埋め難い距離を感じてしまう。後遺症である。

時代を知る、会社を知る

それが80年代後半か90年代前半かよく思い出せない。仕事を探していたわけではないが、KKからある人物と会社を紹介された。KKにその会社の話を聞いて私が興味を持ったので、多分KKがその社長を紹介してくれたのだと思う。
喫茶店で三人で会った。社長はキッシンジャーに似た顔の日本人だった。それから説明を聞くために会社に行った。会社には女性がひとりいて、社長と二人の会社だということだった。急成長中。
はじめはヘッドハンティング専門の会社だった。所謂引き抜きであるが、隠密にことが運ぶという点では、ある意味人さらいのようなものだ。多分バブルの頃だったのだろう。狙いをつけた人物は必ず確保する、くらいの高額を用意したらしい。そのような会社はまだ珍しく、全国でも2、3社ということだった。今までは、欲しい方の会社の人がアプローチしていたのだろうが、それでは間に合わなくなって、専門の会社が生まれたというわけだ。
「今は、ヘッドハンティングより、リストラのほうが多いのでは?」
「そうなんですよ。ですから予想もしていない職種が生まれたのです。Out Placement Serviceです。大会社はただ首を切るだけでなく、次の仕事の斡旋まで面倒を見るのです。この会社を通してね」
「具体的には?」
「まず面接を何回もして、自分が何に向いているか判断する。そしてふさわしい会社を紹介する。会社からの求人というのはこういう会社の財産ですから、日頃から求人会社をストックしておくのですよ。それから面接の練習をしたり、履歴書の書き方を指導したり、自尊心を保持する心理サポートをしたり、適性を自己認識させたり、あらゆるサポートをします」
「すぐに新しい仕事が見つかる人と、なかなか見つからない人がいるでしょうね」
「結局はね、この会社がなければ、次の仕事が見つからない、ような人に仕事を斡旋する、それがこの会社の仕事なんですよ」
「どこから入金があるのですか」
「リストラをする会社からの場合が多いです」
「ダウンサイジングする状況でも、リストラにお金をかけるんですね」
「お得意さんは大企業だけです。ヘッドハンティングの時より今の方がずっと仕事量が増えています」
「問題はどれくらいの収入の減額を飲むか、ということになるのでしょう?」
「そうとは限りません。稀にですが以前よりも良い条件の職場が見つかる人もいます。適性を活かせるようになる場合も」・・・
あの頃から何回、景気回復のニュースを聞いただろう。しかし現実は悪化の一途をたどっている。当時はあの会社の仕事自体が珍しかったが、今では同業者の数もうんと増えただろう。当たり前のように聞くようになった。つまりこの20数年の間に終身雇用は影も形もなくなったわけだ。それどころか、徹底した業務研修も少なくなり上司と部下のノミ二ケーションも衰退傾向にあるという。結婚の仲人などしたら、いざと言うとき、首を切れなくなってしまう。・・・
10年くらい後になって、アウトソーシングという言葉が囁かれるようになった。HeadhuntingとOut Placementの中間のようなもので、有能な人材を外から借りてくる、外に貸し出す方がより活用できる人材を一時的に外に貸し出す、誰が考えたか有効な方法だと思う。雇用は元のままで給料も元の職場から出て、仕事だけ外に行くのだ。
そう言えば私は当時ある外語学院で働いていたのだが、アウトソーシングで、私立のK大学に講座を持ったことがある。商学部の国際コミュニケーション学科、そこでTOEIC対策講座を担当した。今から思えばあれは典型的なアウトソーシングだった。現場で働ける英語と大学で教える英語は違うので、大学には生活に密着した英語を教える人材がいないわけだ。そういえばその頃からTOEICやTOEFL対策を専門に教える語学学校が急増した。けれども傾向として外国に留学したい学生は毎年減少し、従って当時乱立した語学学校がその後どうなったかはしらない。語学学校自体も80年代は乱立したが90年あたりから過当競争時代に入り、(お茶の間留学)という新しいスタイルのシステムが登場して、結局語学学校・語学教育自体が自滅していった。アウトソーシングという言葉もあまり聞かれなくなった。
時代を超えて生き残ったことば、今も元気に幅を利かしている言葉はリストラだ。そしてリストラを下から支える言葉が派遣。比較的若い人の場合はリストラされて派遣に流れるパターンが増えている。リストラされてOut Placementされる人材は大企業に限られるので、普通中年のリストラは社会不安を生んでいるし、実際失業者や日雇い労働者、そして浮浪者を生み出している。

最新号の「正論」10月号、「くよくよするなよ」はズバリ、炊き出し、がテーマだった。炊き出しに集まってくる人、炊き出しのボランティア、を取材している。アベノミクスがどうの、消費税値上げがどうの、株価が上昇したの、円安がすすんだの、なもの関係ない。国家が破産したわけではない、戦争に負けて国庫がからになったわけでもない。就職難だと騒ぐ声も聞かない。なのに「炊き出し」が必要とされる現実がある。

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