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いつか見たマグリットの空の青

2005年6月 旧PLANETE BARBARAより転記 

本人二人、そして周りの皆が認めてくれていた。若い私たちは世界最高のカップルだと自負していた。二人でいるだけで何千人分もの力が湧いた。生まれてきた意味さへつかめた。

会わなくなって随分の年月が経っている。振り返らないよう、お互い記憶を消そうと約束し、実際に封印してきた。

さっき古い友人の田中弘子さんから、彼の死を聞いた。情報センターに行ってすべての新聞で確認した。彼は死んだ。今は葬儀の真っ最中だ。

はちきれんばかりに元気だったあの人が、私より先に死ぬとは想像もしなかった。どこへ行ってしまうのだろう。さらに強まるだろう思い出だけを残して、どこへ行ってしまうのだろう。

彼がくれた思い出の詩がある。「著作権も一緒に頂戴」と言ったら「いいよ」と言ってくれた。その詩が出ている2月22日のDiaryをもう一度ここに転載する。
これを心の祭壇に飾って、繰り返し繰り返し読み続けよう。それしか私にはもう何もできない。

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CHANSON D'AMOUR 2005年2月22日 (Tue) 17:23:12

-Dedie a Marie

         「モオブ色の朝吉田 城


いつかみた マグリットの空の青
はてしない存在の淵にたゆたう波音
今日の日はかくも透明に聳え立ち
淡いピンクのちぎれ雲 たなびく明日(あした)


いつかみた クリムトの淡い膚
はてしない百花繚乱いのちの錦地
今日の日は血にたぎり恋に燃え立ち
コバルト色の彼岸波 よせくる明日


いつかみた ムヒャの目眩めく花模様
はてしない蜜蜂の群 虚空に逆巻く羽音
今日の日は愛を知り涙を流し
モオブ色の朝ぼらけ ひとり待つ明日


                  -par ton JOE-
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DAVE 「Du Cote De Chez Swann


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Stupid Cupid (3)

Stupid Cupid (3) 2005年2月12日 (Sat) 19:14:50
STUPID CUPID(Connie Francis)を聞く

泊めてもらおうと友達のアパートにやってきた。7時に到着する予定が迷いに迷って9時近くになった。約束は出来ていたが、今日来るとは言っていない。当然のことのように留守だ。仕方なく頬杖をついて階段に座って待った。9時半、10時・・。階段の横を上っていく女の子がいた。
「誰か待ってるの」「一号室の友達」10時半。さっきの子が降りてきた。
「友達帰るまで私の部屋で待ってるといいわ」
遠慮していり口の隅っこに座った。11時になった。その子が私の分の布団も敷き始めた。・・
「私の部屋に泊まりに来る?」あの時代、東京をウロウロしていると、何度か見知らぬ子から言われた。
11時半、やっとHMが帰ってきた。「オッ、来たの、八王子の門間さんちに行ってた」
HMとは初対面、お互い作品と文通ですでに友達感覚でいた。
三畳一間のアパート。寝るときは机の下に脚を入れて寝た。次の日は二人で「メシ屋」に朝食を食べに行った。
彼女も私も「短詩」という同人誌で書きまくっていた。彼女の文章は爆発している。言葉の時速が300キロ。その年二人同時に年度賞をとった。壱岐の島の出身で、東京12チャンネルのCM課で働いていた。夕方新宿西口でまた会った。フーテンやヒッピーがいる。彼女と歩くとその辺りから声がかかる。知り合いが多い。湖東さんという、目の前を歩くサンドイッチマンの友達にも紹介された。三人でオールナイトのゴーゴーバーに行った。帰ってきて部屋にあったウイスキーをガブガブのんだら、夜中にゼーゼーと喘息の発作が出た。あわてて頓服を飲んだ。次の夕方は、やはり「短詩」の仲間の石津、石原両氏に会った。前年の連休に来阪した二人とはすでに阿倍野で会っていた。新宿に300円でとんかつ定食を食べさせてくれる店があるというので、4人でそこへ行った。彼らにしてもいつも単語帳を携帯している。面白い言葉には常にアンテナを張っている。

もう一人大阪に「短詩」の同人で木村太郎という人がいた。この人も書きまくっている。ある日曜日突然家にやって来たので、隣の喫茶店で会った。しばらくして木村氏は「詩劇」という詩誌を発行し始めた。

早い話が(時速300キロ?)ふとしたきっかけで、私が木村氏とHMをくっつけてしまったのだ。HMは仕事を止め、知る人とて二人しかいない大阪にやってきた。

一年目のお正月はCupidのところに二人でやって来た。初々しくラヴラヴに見えた。HMが主婦の生活に退屈し始めた頃に、運良く子供が生まれた。それから何年かして、HMが身体の不調を訴え始めた。心因性のものだ。「離婚したい。離婚したい」と毎日のように電話がかかってきた。彼女には周囲に知り合いはいない。結婚生活の不満は私にぶつけるしかない。彼女の悩みは2,3年くらい続いただろうか。

私が事故で入院したとき、子供を連れて二人でお見舞いに来てくれた。二人して私を励ましてくれた。帰るとき、ベッドから手を出し木村氏とも、HMとも握手した。「ありがとう」
すると9歳の子供が後ろから出てきてこう言った。
「お父さんとお母さんも握手して。僕お父さんもお母さんも二人仲良くしてほしいな」
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「Parce qu'on vient de loin」 par Corneille

18歳 身体(からだ)の青痣

18歳 身体(からだ)の青痣 2004年12月18日 (Sat) 17:47:56

天草のアドバイスでバイクに風防をつけた。すごくカッコよくなる。天草の後ろに勝利が乗り、私は自分のバイクで「祈りの滝」まで新年の初乗りに行く。ウゥーウゥーウゥーと我知らず唸っている自分がいる。真冬のバイクは身体が氷像になってしまいそうに寒い。
「何を祈った?」
「勝ちゃんが合格しますように」「天草、いいとこあるねぇ」

18歳の勝利はこの一年で今までの18年間を上回る体験をした。
まず南海電車の階段で、傘が当たったと因縁をつけられ殴られてきた。次は近鉄百貨店の能面展示会に行き、見知らぬ男性に万札を握らされ「ボク、遊ばないか」と囁かれた。青ざめた顔をして家にやってきた。
初めてのロックコンサートに行った日は、興奮さめやらぬ様子で、喋りまくった。よく見ると大変なおしゃれをしている。気合を入れて出かけていた。

2,3日来ないので、下宿をのぞきに行くと、毛布に包まって怯えている。ミナミで窃盗犯と間違われて、警察で取調べを受けたのだという。被害者の人が、この人です、と彼を指差した。所持品検査、身体検査をされ、怒鳴られ小突かれ、ようやく解放されたらしい。18歳といっても、ノビノビ育って、田舎から出てきたばかりなのだ。

そんな勝利も、しばらくするとディスコに出入りし、ミナミの繁華街でオカマちゃん達と、じゃれあって話すことができるようになった。
「BちゃんBちゃん、ゲイってホモのことなんやね」と大発見したような顔でやって来た時は、天草と二人でズッコケた。「ゲイって芸能人のことと思ってた!」

もう多少殴られても、蹴られても、私に話す時は、笑顔を見せる余裕も出てきた。
「高島屋で、彼女の誕生日プレゼントを買ってたら、4,5人の不良に絡まれた」「それで?」
「それで、男子トイレに連れ込まれて、胸倉つかまれ、首を締め上げられた」「金出せって?」
「誰にプレゼントするんや、えっ、何とか言ってみぃ、って」
「それで殴られた?」
「周り取り囲まれて、金どこに持ってるんや。こらぁ、何とか言わんかい!って」
もう震え上がって、足は震える、声も出ないのに、「何とか言え」ってみんなに言われて。・・・それで僕、言わなくちゃ、言わなくちゃと思って、思いっきりありったけの声出して「ナ・ン・ト・カァーー」って叫んだ!!
クックックックックッ。勝利、あんたはエライ!!
「そのギャグいただき!」「その後、なめやがって、って、よってたかってボコボコにされた」「クックックックッ・・まっ、当然でしょ」

いよいよ入試の日が来て、問題持ち帰り可、だったのか、答え合わせしたいとやって来た。
「ここは?」「A」「違う、C、ここは?」「3」「違う、4、じゃここは?」「ロ」「違う、イ、ここは?」「・・・・」「ここは?」・・「もういい」問題用紙をひったくって帰っていった。

勝利の母親に頼まれて、私の母が3次試験に付き添って行った。そうして無理やり押し込んで、勝利も大学生になった。一年間あんまり殴られたので、大学では日本国拳法部に入部して、晴れて渡辺二郎の後輩になった。

次の年が明けて早々、勝利がヨレヨレ、ボロボロになって倒れこんできた。「勝ちゃん、どうしたの?羽根突きに負けて、墨でも塗られたの?」
違う、よく覚えてないけど、目が覚めたら、陸橋の下に倒れていた。気を失ったみたい。昨日乱闘があったのは、覚えてるんだけど、何人だったのか、何故だったのか・・・
「へぇー、殴られたら本当に墨ででも書いたように、きっちりとまん丸に目の縁真っ黒になるのね」
「Bちゃん、痛い、さわったら、痛い!」
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 「Il venait d'avoir 18 ans」 岩下志麻


mon amour

mon amour 2004年12月6日 (Mon) 18:39:42

昔、詩集「2N世代」の編集・装丁をしてもらった田中弘子さんから(今から20年くらい前に)久しぶりに電話がかかった。

「・・・ところで、この前朝日新聞に、Bruxellesさんと昔よく一緒にいたJが何か書いていたね、読んだ?」
「えッ、いつ頃の日付?何を書いてたの?」
「1ヶ月か2ヶ月前か。内容はよく覚えていないけど。写真も出てたよ」
「どんな顔してた?」
「どんなって、、、まあ年相応の。またフランスに行ってたみたいね、ここ2,3年」
「ふ?ん。もう何年も会ってないから」
予定通りの道を歩んできたのだろう。学生の時から、語学は趣味じゃない、これは将来の僕の生業(なりわい)なのだと、飛びぬけて真摯な態度で取り組んでいた。私と違って子供の時から今の方向と同じ進路を自分の将来に見据えてきた子だった。ひとつ異変があったとすれば、彼の受験の年と東大入試中止の年とが重なったことだ。それでやむなく京都にやって来た。
「僕は将来TV講座にも出るよ。参考書も書くよ」交換日記にそう書いてイラストまで付けてくれた。それは多分現実となるだろう。彼の父はその昔「百万人の英語」ラジオ講座の講師をしていたらしい。文英堂のシグマベスト解明新英文法という参考書も書いていて、それは私も使ったし、後年生徒たちにも随分薦めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あまり振り返ったことがない。蓋をして密封保存したままできた。弘子さんの電話から10日ほど経って、やはりその新聞を読みたくなって、中ノ島の図書館に行った。朝日新聞を3か月分ほど順番に見ていく。かなり大きな記事だった。マルセル・プルーストの草稿研究をしているらしい。フランスで新しく出るプルースト全集の編集にも招聘されて携わってきたことが書かれている。写真も出ていたが、消したり貼り付けたり、何度も推敲を重ね、書き換え、書き写し・・とても判別しづらそうな自筆原稿の写真だ。草稿研究から作品の生成過程を辿る学問を紹介する記事だった。

ガビーンというショックだった。私は何をしてきたのだろう。20歳までに死ぬ筈だったので20歳以後のことは実際何のプランも見通しも昔から無かった。ずるずると刹那的に方向性も無くただ馬齢を重ねてきた。おまけに薬物依存だ。いつも半分死にかけている。フランス語の勉強も、時々思い出したようにしかしていない。およそ10数年の間に、月とスッポンとはこのことだ。せめて「月と六ペンス」くらいになりたい。いつまでこの気持ちが続くかわからないけれど、とにかくフランス語の学習を少しだけでも1から再スタートさせよう。突然そう思う。そう思わなければ、逃げられないほどのショックだった。

帰りに梅田に出て旭屋書店に行く。参考書、参考書と書棚を眺めて、一瞬わが目を疑った。手にしたのは彼の書いた参考書だったからだ!!さらに強いショックを受けて、今度は新たに私にとっては4冊目の仏和辞典を探しに少し移動した。いままで、ロクな仏和辞典に当たったためしがない。今度こそいい辞書に出会いたい。辞書と相性が合わなければ、引く気にさえならない。

帰ってから辞書を開けて取り出してみる。しっくり手に馴染む。引きやすい。これならいける。その時、普段めったに見ない編集委員の名前に目がいった。そして至福のノックアウトパンチをもらう。心臓がドキドキした。彼の名前がその中にあったからだ。

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Charles TRENET  「L'ame des poetes」

車をもらう

車をもらう 2004年12月4日 (Sat) 17:10:06

アルバイトで一番長く続いたのは、写真の現像。朝が早い代わりに終業が午後3時。それからでも京都や神戸に遊びに行ける充分な時間がある。当時はネガを見て赤、青、黄の三原色の数値を人間が一つ一つ判断して数値ボタンをセットしていた。時々きわどい写真も出てくるが現場で破棄する。
冬の朝は寒い。ブカブカのBFにもらった彼の黒のダッフルコートを着て、早朝の電車に乗って出かける。吐く息が白い。

午後からは出来上がった写真の仕分けに入る。単純作業なのでいつも、オールディーズを歌っていた。

職場は男女も半々年齢もバラバラ。入ってきて2ヶ月目くらいの石原さんという子がいた。一度ミナミの「街」で志摩さん達とやっていた詩の朗読会に誘ったことがある。来て楽しんでくれたようだ。次の朝「ちょっと」と彼女に呼ばれた。

「Bruxellesさん、車ほしくない?私、写真学校に行ってるとき、撮影旅行の必要から買ったのだけど、今はもう要らないから」
「私免許持ってないから。ただ・・」
「ただ何?」
「友達が、免許取ったばかりの友達がいる。その子だったら、ほしがると思う」
「男の子、女の子、どっち?」

そして引渡しの日が来た。石原さん、私、俊夫、そしてどういうわけかそこに支路遺さんも来ていた。石原さんが俊夫に車とキーを渡す。
「僕どれくらい、どんなお礼したらいいですか?」俊夫が言う。それに対し、私の顔をチラッと見てから石原さんがこう言った。
「お礼なんか要らない。ただ条件がひとつ。・・Bruxellesさんのことずっと大事にすること。私からのお願い・・」
「うん、わかった。大事にする」
(ちょっと待って!お二人さん何言ってるの、俊夫は私のBFじゃない。俊夫も「わかった。大事にする」っておかしい。私のBF知ってるくせに。クックックックックッ。誤解、誤解、誤解(5回言う?)。それにしても石原さん、そのセリフ、石原裕次郎か小林旭のセリフじゃないの?何か、カッコ良過ぎる)と言いたかったけれど、この話がご破算になっても困るので何も口出し出来ない。?

石原さんと私は別々に電車で、初心者の俊夫は隣に支路遺さんに乗ってもらって運転しながら帰っていった。

私も早く免許取りたいな、なんて思いながら家に着いたら、BFからAir Mailが届いていた。人は不在によって愛に気づく。返事を書いていたら、支路遺さんから電話が入った。
「アイツ、早速事故りよったぞ」
「ええッ!!どんな?」
「ガレージの柱に当たって・・・」・・
それにしても支路遺耕治が、何故あの時あの場に何のために来ていたのだろう??

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「Les amours finissent un jour」 par Georges Moustaki


panic disorder

panic disorder 2004年10月30日 (Sat) 16:52:27

近所にできた新しいスーパーは魚介類が少し安い。白いご飯を炊いて、買ってきたイクラをどっさり入れて、ノリと卵の黄身と山葵、それに少しだし汁を加え、クククと笑いながらイクラ丼を食べていたら、電話が鳴った。
「もしもし地蔵です」「あれ、元気ないね、どうしたの?]
「今、高速の入り口に来てる。今から隣の県の病院に行こうと思うんだけど。誰かに電話したくなって、電話帳を見てたら、あっ、この人だと思って、電話してみた」
「どこが、どういう風に悪いの?」
地蔵君は元MPS(my private student)だ。確かもう30前後。結婚もしたし、最近子供もできた筈。体調が悪いので病院に行ったら、自律神経失調症だと言われた、と言う。
「自律神経失調症はアレルギーと同じで、結局原因がわかりません、と言うことらしいよ」
良くならないので脳外科でCTもとったらしい。異常なし。症状が改善しないから、思い切って心療内科に行こうと思う、と言う。

高校を卒業して東京に出て、働きながら理髪師の学校に通っていた。学校も終え本業となりかけたころ、一度切れたことがある。
その前から何度も電話がかかっていたのだが、私は母の看病でほとんど睡眠が取れなかった。気管切開をしていたので、いつ痰が詰まって窒息するかもしれなくて、オチオチ眠れない。家に帰るのは、必要なものを取りに帰るか、誰かに代わりの看病を頼んで仮眠をとりに帰るか。「悪いけど今睡眠時間だから」と、誰からかかってもすぐに電話を切った。そういうことが何度かあった。

母が亡くなって家の片付けをしていた。毎日10個づつくらい大きなゴミ袋に捨てるものを集めていた。足の踏み場もないくらい捨てる物で一杯だ。
そんな時、地蔵君が新大阪から「会いたい」と電話して来た。
「今手が離せない。会いたければ家まで来るように」と言った。彼は電車のない島の出身だ。地下鉄や近鉄を乗り継いでここまで来れるだろうか。
やって来た地蔵君は野球帽を深々と被りまるでたった今人を殺めた凶悪犯のような形相で現れた。何かトラブルを起こして職場を飛び出してきたのだ。
連れ立って近所のレストランに出かけたが、途中で向かいの病院の院長夫人に会った。「この子、別に凶悪犯じゃありませんよ」といわずもがなのことを、言いそうになった。
「美容師をやめるの?」「これからゆっくり考える。料理人か大工か、とにかく手に職をつけたい」「戻るつもりはないの?」「とにかく実家に帰る」「実家に帰ったらいづれにせよ職場に電話をいれるようにね。年齢的にやり直しはいくらでもきく。深刻に思いつめなくていい」?
このときは結局約半月ほど考えて職場に戻った。
一人前になった頃、また電話があって「僕もトゲが取れてツンツンの角も取れてだいぶ丸くなりました」と言った。

その電話から1年後の夜「飲みに行った帰り、無料の易者がいたから、からかい半分に見てもらったら、今月中に必ず交通事故にあう、と言われた」「縁起でもない。それで?」「金を払ったらもっと詳しく見てあげると言われて別の部屋に連れていかれそうになったので、今断って振り切って帰ってきた」と言って笑った。
信じていないにしろ、何かしらの不安を感じて電話してきたのだろう。
その約一ヶ月後のお正月。忘れた頃に交通事故は起こった。正面衝突らしい。おばあちゃんと弟は軽傷ですんだが、お父さんお母さん、おじいちゃんが大ケガで入院手術。大惨事だ。見舞いに帰った彼までが交通事故を起こし、しばらく入院した。
突然の不幸で、家に取り残された弟とおばあちゃんの間が険悪になり、弟は家を飛び出し看護学校をやめ、コンビニで働き始めた。アイドル君と呼ばれた美男の弟(私がニックネイムをつけたのだが)は、すぐに女の子に押しかけられ、あっという間に孕ませ、糾弾されて20歳で、アルバイトのまま責任ある父親になった。すべてあれよあれよという間の出来事だ。

「気楽に行けばいい。実は私は昔、心療内科医になりたかったことがある」「ほんと?」「そう。とりあえず原因究明のために、行っておいでよ。そしてちゃんと薬をもらって。心療内科系は時間はかかると思うけど、いい医者に当たれば、必ず解決する。くよくよ一人で悩んでいても仕方がないから。行っておいで。高速に乗って」

3日後に電話がかかってきた。
「どうだったの」「パニック障害と言われた」
「パニック障害はもっとひどい症状の筈だけど」「ブックレットをもらって、いろいろ解説を読んだら、どうやらそうらしい」「自分で納得したの?」「うん」「病名が見つかれば、対処法も見つかる。じゃまずは一安心ね」「はい」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう12年ほど前、神戸の薫さんから手紙が来て、死にそうになって夜間救急車で病院に運ばれたが、しばらくするとケロッと治って、そういうことがこのところ3回あって、バツが悪くてもう救急車も呼べなくなったと、そこに書いてあった。本人は「もう死ぬ」と苦しみもがくらしい。悩みは深刻だ。
そんな時The Japan Timesでpanic disorder(panic syndrom)の記事を偶然読んだ。ほぼ確信して薫さんに病名を伝えた。薫さんはキョトンとするばかり。パニック障害と言う日本名がついて認知され、病院外来で対処してもらえるようになったのは、それから5年ほどたってからだ。
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  「Prendre un enfant」  Yves Duteil
バルバラが住んだPrecy-sur-Marneの村長さんになった歌手


引き裂かれた母と娘たち

引き裂かれた母と娘たち 2004年10月9日 (Sat) 19:25:25

授業が終わってロビーで日誌を書いていたら、思いがけずSSが後から肩をたたいた。「あれっ」今日は予定外の日なのに。今日はSSの誕生日で、相談したいこともあるので、一緒に時間を過ごさせて、と言う。今日は下で”人”が待っているはずだ。どうしよう。
「どうしたの。都合悪いの?」「うーん」
「じゃ、一時間だけでいい」「うーん、ちょっとここで、待っててね」

階段を下りて、2,3歩右に。いた。
「ごめん。急用ができた。必ず埋め合わせをするから。申し訳ない。今日のところ..」
SSが後をついて降りてきたようだ。階段の中央で立ち止まってこちらを見ている。そのSSにこの”人”は素早く気づいた。
「原因はあの子?あんな子供のためにコケにするのか」
「カリカリしないで。理由は後で話すから。何かノッピキナラナイ事情があるみたいだから。ほっとけない」
ハッと怒りを込めた息を吐き出して、返事もしないで背を向けた。そしてゆっくり立ち去っていく。「ごめんなさい」心でそう言いながら、その背中をしばらく眺めた。SSはそんな私を、少し身を隠してじっと見ている。

「約束があったのに割り込んでしまって御免なさい」
「タイミング最悪。でもしかたがない。誕生日なのでしょう。誕生日は一年に一回しかない。」
「あの背の高い人、あの人誰?ABBAとはどんな関係?」
「そうくると、思った。そういう質問には答えたくない」
「私は自分のこと、内臓を裏返すくらいみんな全部隠さずに話した。私にも答えてほしい。ABBAの大切な人?」SSは顔を伏せる。
SSにはそんな質問をする権利はない筈。でも、聞きたいと思う権利はあるかもしれない。ふぅー。
「もし、大切な人なら、今ここにこうして座ってなんかいない。でしょう?」

SSはお母さんのことを相談したかったようだ。お母さんが夜中に独り言を言っては泣いて、そして興奮状態になる時がある。そんな時はSSがお母さんをなだめて、お薬を飲ませて寝付かせる。
「お母さん、相当心に悲しみを溜め込んでいるのね」
お母さんが入院中、お父さんが会社の秘書に手をつけ、その秘書は男の子を産んだ。また、入院中、お母さんの日記が、義父母に読まれてしまった。内容が原因で、義父母を立腹させ、悪感情をもろに浴びてしまう。
「夫婦で出て行け」と言われた時、お父さんはお母さんだけを追い出し、その座に愛人と男の子を迎えた。
「お母さんの気持ちは、それ以来ずっと地中のマグマ状態なのね」
SSと妹は5年間ほどは、お父さんの家でママ母と弟と一緒に暮らしていたらしい。
一人ぽっちのお母さんが心身のバランスを崩し地獄を歩いたのは想像に難くない。

「ところでABBAさっきの人とは、どういう関係?」「...............................」
またかと、ため息が出る。右手でキーケイスを取り出し、その中から、一本引き抜き、それを黙ってテイブルの上に置いた。

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「 J' m'appelle amnesie」   Dalida



弟 2004年10月7日 (Thu) 17:02:56

「小さい時は、よくもよくも投げ飛ばしてくれたなぁ」天草がふざけて首を絞めてきた。クックックックッ。今度は反撃、天草に足を掛け肩で押す。天草が壁に頭をゴツン。クックックックックッ。「よくもよくも」今度は取っ組み合い。くすぐり合い。クックックックッ。ふざけて、暴れて、その上笑うから息苦しい。「苦し?い」クックックックックッ。「この野郎、この野郎」「天草やめてー」「降参か。参ったか」「参った参った。苦し?い」相手が手を緩めたスキに、また反撃。・・クックックックックッ。
と、突然「Bちゃん、僕何してるんだろう」
ハッと我に返った顔になって、天草が手を止めた。顔がマジ。演技?
「どうしたの天草?」
「これ、ひょっとして痴漢?僕?」
「何を言うの、急に。どうしたの?」急に笑いが止まる。

「この間一緒に淡路島にツーリングに行った高橋、覚えてるよね」
「ああ、園芸屋の息子でしょう?」
「あいつがね『おまえあの女の人、一人でいる所に、いつも、一人で遊びに行くのか』」って。「昔からね」
「『俺やったら、よう行かんわ。いくら親戚でも、くらくらっと、変な気になるやろ』」って。
「何でー?」
「Bちゃん、男ってそういうところ、あるんだ。ふっと振り向いて、そこに男がいるのと、女がいるのとでは、気持ちが全然違う。どんなブスでも、どんなバーサンでも、ホッとする」
「そうなの。ふーん」
「そして男って、触り始めたら止まらなくなる」
「相手がBちゃんでも?性的対象に見えるの?」(天草には今でも自分のことを「Bちゃん」と自分で言っている)

赤ちゃんの時、カーテンの下で,風にカーテンが揺れる度に、キャッキャ喜んでいた天草。祖母の御葬式の時、喜んで走り回っていた天草。

「Bちゃん、この前僕、雄琴に行った。すごいよー。夜でも近づくと、ネオンでその一帯だけが、煌々と輝いて、そこは昼」
「ラスベガスみたいね」
「僕、石鹸で足滑らして、バランス崩した」
「あっ、泡踊り?」
「それで女の人の上に倒れて、その女の人、腰を浴槽で強く打って、えっらい怒られた」
「クックックックックッ、当然でしょ。腰使えなくなったら大変。なんだか目に浮かぶ。クックックックックッ」

感慨深いものがある。私が一人で病気で寝ているときも,勝手に上がってきた。セキをすると「はい、痰壺」と気をきかせて痰壺を差し出してくれる。熱が出て震えていたら、玉子酒を作ってくれる。蚊に咬まれて血まみれになっていたら、サッとお小遣いで「ムヒ」を買ってきて「はい、Bちゃん、どうぞ」と差し出してくれる。
「ちょっとまとまった原稿料が入った」と言ったら、バイク屋に乗せていってくれたので、私はバイクを買った。信号の見方、オイル交換の仕方、事故注意対策等、教えてもらう。それだけではない。家の前にバイク置きとなる止め板を手作りしてくれた。

「天草、じゃあ、さっきのは、やっぱり確信犯的痴漢ね」
「今度は確信犯的強姦をするぞー」
「天草はBちゃんに免疫が無いのォ?この野郎」「よくもやったなぁー」
クックックックックッ、ハッハッハッハッハッ・・
クックックックックッ、ハッハッハッハッハッ・・
         ・・・・・・・
         ・・・・・・・

この頃、天草の先々の人生に、ねじれや落とし穴があることに、二人とも全く気づかなかった。
大人になって、天草は波乱に満ちた結婚式を3度した。

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「La plus belle pour aller danser アイドルを探せ」
 par Sylvie Vartan
クラスには「アイドルを探せ」派と「夢見る想い」派がいて、私は後者だった。


「どうするつもり?」(または昨日の追加)

「どうするつもり?」(または昨日の追加) 2004年10月2日 (Sat) 17:13:03

その頃Ryookoは離婚して、新築のマンションに一人で住んでいた。元町公園に車を置いて、堺東駅方面に道を下っていった。仕事が終わると逆にその道を登って、いつもマンションに立ち寄り(まるで愛人のように)たいてい夕食まで食べて、真夜中に家に帰った。親友の姫神さんに「Bruxellesちゃんはこの頃Ryookoさんちに入りびたり」と言われた。
SSは自分の行く天王寺校だけでなく堺校にも会いに来るようになった。それでそのまま、Ryookoのマンションに連れて行った。
翌日Ryookoから電話。
「こういう表現はちょっと下品だけれども、男の人の使う言葉を借りれば、昨日の子、あの子って、上玉ね」「クックックックッ。なんて言葉を。クックックックッ。それは女を売買の対象とした金銭評価的表現ね」「違う?」「きわめて正確な表現かも知れないけど」?

日本語研究会の講師をしている岡村さんが「当麻寺」に行きたいというのでSSに言ったら、自分が運転すると申し出てくれて、SSの車で行った。
翌日岡村さんから電話。
「あの子は地位もお金もある重役さんが連れ歩く女。あなたが連れ歩くのは10年早い!!」

その頃は大江ビルの貿易のコレポンの仕事を電話だけで続けていた。それでW法律事務所に遊びに行くついでに、時々アルバイト料の集金をしていた。SSが大江ビルにもついてきた。エレベーターで後輩の清水さんとW法律事務所の上田さんにばったり。
私がついでに頼まれた手紙の英訳をしている隣で、清水さんが中村さんに言っている。
「Bruxellesちゃん、あべ静江と浅丘ルリ子を足して2で割ったような美人を、下の喫茶店に待たせてるんですよ」「えェッ、そんな美人?」「ちょっと見てきたらどうですか」・・
翌日上田さんから電話。
「Bruxellesちゃん、ちょっとは自分の人生考えたほうがいいよ。あの子はいいかもしれないけど。時間の無駄。Bruxellesちゃん、そのうち持て余すよ。ほんまに、あほちゃうか。どうするつもり?」「クックックックッ別に。クックックックッどないせいちゅうのん?」

そのうちSSが自宅に招待してくれた。お母さんにお寿司の出前をご馳走になる。「これから英語以外でもいろいろ指導してやってください」「いいえ、こちらこそ」・・
翌日会ったらSSが言った。
「お母さんが変なこと言うの。あの先生どことなく妖気が漂ってるから、あんたが人の道踏み外すんじゃないかと心配、だって」
「クックックックッこの前も他の学校で子供達が『ベラが来るぞー』って騒いでるから、誰かと思ったら私のこと。これで妖怪扱いは3度目。早く人間になりた?い!」

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「Le coeur de NINON」par ESTHER LEKAIN


un amour rompu

un amour rompu 2004年10月1日 (Fri) 18:22:34

どちらも車を持っていたので、よくドライブした。友達なのだけれど、知り合って間もない頃は、もっと知りたいと加速度的に思う。
「お父さんは?」「いない」「病死?」「離婚」
「本当?いつ頃のこと?」「小6の時」

お父さんの名前を名乗って、お母さんと暮らしていた。月に1回は今でも生活費を届けたり様子を見るためにお父さんが来るという。よく聞くとお父さんは薬店を経営しつつ別に車輌消毒会社を持っている、実業家らしい。

「お母さんは今でもお父さんのこと愛してるの?」
「ううん。ぼろくそ。」「ふーん。良くないね」
「だってお父さんがお母さんを捨てたのだもの」
「恋愛だったの?」「そう、熱烈な」「子供もいるのに、ね」

私にとっては初めての年下の女友達で、どう扱っていいのか良くわからない。教卓の上に健康ドリンクの小さなケイスが置いてあった。「誰がくれたの?」
「私です」SSが手を上げた。その時まではその他大勢の一人だった。その時初めてマジマジと顔を見た。She is beautiful.
全員でロビーに行ってフリートークをする時間があった。SSが近づいてきた。
「Barbra Streisandに似てますね」「えェッ、どちらかというと、Jacqueline Bissetに似てると言って欲しいな。全然似て無くても」これが最初の会話。夏季集中が終わるまで、これといった会話は交わしていない。

「ABBAのお父さんは?」「いない」「病死?」「女に刺された」「ええェッ!!本当?」「それだったらカッコいいんだけど、ウソ。胃がん」「びっくりしたぁ」

英会話学校では英語話者になりきるために、皆ニックネイムをつける。JackだのJaneだの。私一人だけそれまで名前が無かった。初めて夏季集中を担当することになり、らしき名前が必要になった。直前研修の前日、SKと「アバ・ザ・ムービー」を見て、この4人分のパワーを独り占めにしようと、ABBAに決めた。

SSは秋になっても継続生になり、隣の亀井先生のクラスに入った。私のクラスが終わるまでいつもドアの所で待っていてくれた。
何回目かのドライブの時SSが突然言った。
「私20歳の時、手首を切って死のうと思ったことがある。ほら、これが、そのときの傷」
「私なんか20歳まで毎年死のうと思っていた。でも死ぬ理由がありすぎて、ああ、あの人死んでよかったね、なんて言われたくないから死ねなかった。ところで、また、どうして?まさか失恋じゃないでしょうね」「それがその失恋」「お聞きしましょう、どうぞ」
「親にも、友達にも全部反対されたんだけど、突っ走ってしまった。周りが見えなくて」
「相手はどんな人?どこで知り合ったの?」
「相手はやくざ。チンピラ。大学の文化祭に友達に連れられてきていた」
「波乱を含むスタートね。それで競走馬のように走ったのね。で死のうと思った。なんで?今も苦しんでいるのだったら、破局を言ったほうがいい。そのゲロ、受け止めてあげるから」

あの人のことは本当に好きだったのだと思う。反対されて意地にもなってた。信頼していた。でも最後の方には待ち合わせ場所に来なくなった。問い詰めたら、返事はウヤムヤ。でも信じてた。ただ、来ないだけじゃなく、来ないだけじゃなく、いつも、別の知らない人が来た。あれっと思った。どの人も私が思わず逃げ出すようなことを、いきなりした。逃げたら怒った。話、ついてる筈だって。逃げるなって。・・いくら馬鹿でもだんだんわかってきた。あの男に何をされたか。上納金・・・上納品・・。それでも嫌いになれなかった。帰るところもなかった。?

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Catheline Sauvage 「Il n'y a pas d'amour heureux」

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