PLANETEに戻る

Latest Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

近所の図書館で

近所の図書館をうろついていたら、昔の文学仲間の単行本が目に入った。2011年9月1日編集工房ノア発行「その日の久坂葉子」。今別のblogで「ニコンの慰安婦写真展覧会」の命令と抗告と棄却について書いている最中なのだが、なんとその本の中に『従軍慰安婦「故郷の春」覚書』という項目があり吃驚した。昭和62年初出の文章に3年前と書いてあるから昭和59年(1984年)の出来事だろう。東京からプロデューサーと舞台女優がやってきて彼女に「従軍慰安婦」をテーマに脚本を書いて欲しいという依頼が来たという。公演は8月、場所は下北沢駅前劇場。ひどく体を壊してペンが握れず、知人に紹介された脚本家に代わってもらったが、日数の関係で劇団とも不本意なトラブルとなり結局上演されなかったらしい。そういう前フリがあって、その時の「覚書」が掲載されていた。参考資料として「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」(金一勉著)と「従軍慰安婦」(千田夏光著)が挙げられている。つまりこの2冊を資料として「覚書」まで書いたということなのだが、この話はボツになって良かったと思う。従軍慰安婦を他人が書いた本でしか知らない者が脚本など書くべきではない。特に政治がらみの問題は、事実検証の必要もあるし、一生ついてまわるので、脚本家あるいは作家としての立ち位置も固定され、自由もなくしてしまう危険がある。勿論信念を持って自らの主張を貫くなら話は別であるが、1冊や2冊の読書でストーリをでっち上げてはアイリス・チャンの二の舞である。
図書館でこの本を手にしたときはかなりショックだったが、今日読むと結局没になった話だということで、安心した。彼女は文学者に多い昔からの共産主義者であったが「ひどく体を壊してペンが握れなかった」のは、戦争を体験した日本人としての、かつペンを握る書き手としての、本能的良心ではなかったかと思う。

参照;清水一憲 矛盾する吉見理論の正体

伝言:「久坂葉子」も面白かったけれど、やはり神戸三宮の「MAKO」の雰囲気が楽しめた一冊でした。「臨死期に至った思いが深くなった」という柏木さん、弱音を吐かずに神戸三宮の仲間たちとその時代を、あなたのペンで切り取って、証言していってください。これからもお元気で。
スポンサーサイト

崖まで走る

言葉の抽象化に挑んだことがある。どんどん意味を剥奪してゆく。名詞が混乱し始め、他動詞から失くす。とても危険な実験だ。
その途上で「接続詩」というタイトルの詩を作った。こんな感じだ。

「並びに、それでいて、しかし、でも、然るに、だって,其れゆえ、けれども、だが、それというのも、及び、又は、しからずんば、したがって、だから、よって・・」と接続詞を並べた作品。その後はこんな詩になってゆく。「!!!!!・・」    「。。。。、、、、!!””。。””」行き着く先は記号。
崖まで走る。言葉をなくすと存在の拠り所を失くす。
しかし崖まで走って初めて見えてくるものがある。言葉のない世界、意味の剥奪された世界は、原初性に満ちて混沌としている。不安や恐怖を後ろ手に縛り上げることができれば、それはある意味輝くばかりの夢の世界だ。
そんな実験へ踏み込ませてくれたのは、ほかでもない、ケイジ(John Cage)とMarcel Duchampだ。この二人とであったことが、大きな意味を持っていたと、今になって気づく。Duchampを知らなければ、カンディンスキーポロックも理解できなかったに違いない。CAGEに出会わなかったら、今見えるものを見ることが出来なかっただろう。聞こえるものを楽しむことが出来なかっただろう。崖まで走らなかっただろう。


////////////////

「Bilbao Song」 Pia Colombo

Conceptual Art と藤本由紀夫

試作にはまり抽象的なことばかり考えるようになった。その先にConceptual Artとの出会いが待っていた。
SKが仕切っていたArtistsグループがいくつかあって宮崎画廊で何度か総合グループ展もした。ふーちゃんとSKとイラストレーターの波多野さんが「類」という雑誌を創刊したのもその頃だ。

私は自動車学校に通っていた。途中資金切れを起こして急遽ワインの店頭販売のバイトもした。自動車運転免許証試験で門真に行くことになった。教室の一番前の席から振り向いて「誰か私と一緒に門真に行く人いませんか?」と声を出して誘ってみた。返事はないだろうという予測に反して一番後ろの席の子が「ハーイ」と間の抜けた大声を出して手を上げた。ファッションがぶっ飛んでいる。その上、声といい、化粧といい、ちょっと待ってよ、と引きそうになった。
同じ市内に住む子で実家は工場を経営している旧家らしい。姉の夫は市会議員だ。服飾関係の学校に進学したが途中でやめて、芸大の版画科に在籍していた。

その子と二人車を連ねてよく芸大に行った。制作中の彼女(山野さんと言う)と、とりとめもないバカ話をした。芸大の文化祭では創刊したばかりの「類」の販売もした。芸大のバス停でバスを待っている人を見つけて「あっ、あの人をBruxellesさんに紹介するわ」と山野さんが突然言った。私と藤本由紀夫が出会ったのは、その時だ。

まず音楽の話をした。アメリカ文化センターにいつもContemporary Musicを聞きに行っていること等を話した。彼は電子音楽の専門家だ。まだ助手だったけれど。スウェーデンの現代音楽家、フォルケ・ラーボの「WAS」という曲やら以前一世を風靡したゼロ次元の話等で意見が一致した。何度か会い、何度か彼の個展にも行った。歯に細工をしたオルゴール、溝のないレコード、敷き詰めた枯葉、彼は前衛アートの道を真っ直ぐに進んだ。YMOより何年も前に声や言葉を合成し、バンドを組んでディスコに出ていた。新大阪にBecauseという電子音楽のスタジオを持っている時期もあった。高松次郎あがた森魚と仕事もした。その都度彼の存在そのものが抽象化していくようだった。フェスティバルホールでギリシャ人の建築家にして音楽家のクセナキス(彼は銃撃で片目を失くしている)の講演があったときは、藤本由紀夫は関係者として裏方にいた。サンケイホールでの小杉武久Conceptual Musicの時も関係者としてそこにいた。そしていつの間にか、私の憧れのケイジ(John Cage)やマース・カンニングハムとNEW YORKで一緒に仕事をするようにもなった。彼にはもう、専属のカメラマンがついて、勝手に彼や彼の作品の写真を撮れなくなった。
彼に会うよりも新聞で彼の作品に出会うほうが多くなってきた。音楽家ではなく、造形作家と紹介されている。それは野外に置いたイスに金属の耳をつけた彼のオブジェが、人気を博しはじめたからだ。音の出るオブジェとして。そうこうするうちに大きな美術館や諸都市の都市博の総合芸術監督として彼の名前を目にすることが多くなった。
一番最後に会ったのは、彼の京都での個展だったろうか。その時たまたま京都市内で個展をしている友人が三人いたので、CCの妹のアメリカ人Carolを連れて、三ヶ所を回った。「Conceptual Art」Carolは初めてその言葉を耳にしたのか、感銘を受けた様子で何度も呟いた。来日したばかりの頃のCCを藤本由紀夫に紹介していた。歳は離れていたが二人はとても気があったようだ。私が交通事故で入院していた病院から退院した時、CCはお祝いのPartyを彼の自宅で開いてくれた。その時CCが藤本由紀夫を呼んでいて、思わぬところで再会したこともあった。

ボクサーの赤井英和が日の出の勢いの時、彼でさえ試合前日の不眠症に実は苦しんでいた。彼の実姉から相談を受けて以前藤本由紀夫に貰った彼の作品「催眠誘導テイプ」を赤井に贈ったことがある。どんなテイプかと聞かれても、眠気を催すテイプとしか言いようがない。彼のコンセプトは何事も初源にある、といえるだろう。

出会った当初、藤本由紀夫は隣町に住んでいて、時々ばったり会うこともあった。
「藤本さんは、どうして由紀夫なの?」
「僕がうまれたころ、三島由紀夫が文壇に登場して人気があったらしいんだ。」「それで?」「うん、それで。」
藤本由紀夫がConceptualでないのは、その名前の由来だけだ。

///////////////////////////////////

「PLUS BLUE QUE TES YEUX」 CHARLES AZNAVOUR & EDITH PIAF

革新川柳

革新川柳 2005年7月8日 (Fri) 0:36:08

今日は珍しく川柳集、セレクシォン柳人2「石田柊馬集」が送られてきた。川柳人でもない私に、どうして、と思って中を見ると、昔の「短詩」の主幹山村祐をはじめ河野春三時実新子、墨作二郎など、懐かしい名前が見える。著者の石田柊馬氏は、解説によると柳界の太安万侶・稗田阿礼だと書いてある。「短詩」の誌友だった本間美千子氏(”処女の柵の上を意識で横切る蝶”という作品がある)のご主人だったそうだ。(本間美千子氏、2001年死去とある)。ペラペラめくって、早速昔の笑いを思い出した。革新川柳の琴線に触れる笑いを。

○ シーチキンサラダはセコムしてますか。

○ 銀河系宇宙の中のさつまいも

こういうのもある。

○ 一万円持ち祖父は桃太郎の家来

○ 千年もたてばあなたは赤とんぼ

○ 縞馬に乗って地獄を抜け出さん

その他川柳らしい社会風刺もあれば、俳句的に日常の心情を凝縮させたものもある。ストレートなものは、現実的で暗く重い。笑ってばかりいる場合でもない。ただ大部分はやはり「短詩」だ。川柳心を持った革新「短詩」だ。、、

俳句や短歌の世界には若いタレントスターがすでに登場している。川柳の世界はどうなのだろう。
私たちの「短詩」が若き勢いに任せて自爆したのは30年も前。次の結社、次の若い世代は育っているのだろうか?

////////////////////////////////////
BARBARA 「Je serai douce」

「男と女の詩」

「男と女の詩」 2005年6月9日 (Thu) 19:27:51

私に姫神さんという親友がいた時の頃の話なのでもう30年位前になる。「男と女の詩」はB級映画で、でも私は何故か感動してその内容を彼女に話した。
男は刑を終えて刑務所から出てくる。宝石店に押し入ったのだった。女にはちゃっかり別の男がいてベッドイン中。男から「今から行く」と電話があって、女のソワソワが始まる。どう反応するのだろう?新しい男と手に手をとって、古い男の手の届かないところに逃げるのだろうか、とまずは思った。何しろ目の前で現在ベッドイン中なのだから。ところがどうやら様子が違う。古い男さえ戻ってきたら、新しい男など不要のご様子。「この女性は犯罪者のあの男を心底愛していたのね。どんなに深い情けがあるんでしょう。でも、だったら何故、別の男と熱愛Love In が出来るの?」

映画は三人の心理を表情としぐさで描いていく。
女の気持ち::あの男に一刻も早く会いたい。この人に一刻も早く出て行ってもらいたい。なるべくなら穏便に手を切りたい。
新しい男の気持ち::あれっ、もうオレが要らないのか?この女。何故だ。他に誰かいるのか。そんな様子は全くなかったではないか。何なんだ。いったい何が起こったんだ。
古い男の気持ち::僕に会いたい筈だ。待っていてくれた筈だ。でも様子がおかしい。他に男が出来たのか。僕を捨てる気か?嘘だろう。
女の必死さを軸に三人の気持ちがストレートに入ってくる。少しづつわかってくる。この男への愛は一度も曇ったことなどないのだと。新しい男は単なるツナギなのだと。だからコメディータッチにもサスペンスタッチにもなる。ツナギの男の存在は彼女にとって何の意味があったのだろう。愛していなかったのか?否、現実に誰か愛する男が必要だったのだ、女として。だから本当に愛していたのだ。
最後にはこの女の必死な一途な愛に泣けてくるほどだった。しかしこの女の一体どこが一途なのか。

姫::「Bruxellesちゃん、そこよ、そこが日本とフランスの違いなのよ。日本映画ならこうなる筈よ。女は必死に働いて家庭を守る。その間に美貌も魅力もプライドまでも消耗して、ヨレヨレのカスカスになるのよ。他の男の求愛もみんな跳ね除けて。そして最後に愛する男が帰ってきて「よく頑張ったな、おまえ」と讃えられハーッピーエンドよ。少なくとも日本人が納得する日本映画はこうなるはずよ。でもBruxellesちゃん、考えてみて。惨めさを顔に貼り付けて、こんな苦労をした、あんな苦難を乗り越えてあなたを待った、辛かったと抱きつかれた時、男は本当に嬉しいのかどうか」
B::「なるほどねぇ。映画を見て少しづつ分かったのは、あの女が新しい男を必要としたのは、実は愛する男を、魅力的な女のままで待ちたかったためだと。一番感動したのは、現実が明らかになるにつれ昔の男の情熱が蘇り、最後に再会したとき、男が一言の苦言も発せず、120%の喜びをストレートに見せたところ。なんていい女なんだ、お前は、という感じでね」
姫::「問題はツナギにされた男がどう自分を納得させるかよね」
B::「それこそ文化の成熟度に比例するんじゃない?ろうそくが涙を流して(蝋を垂れて)燃えるように、ひとつの愛が輝くためには何人もの被害者が泣くものよ。ドラマでも準主役。これがないとどんなドラマも成立しない」
姫::「その映画もし日本映画だったら、感動の再会の後、やはり許せなくて、男は女を捨てるでしょうね。不審が芽生えるから。お前はいやらしい女だって」
B::「いやらしい女ね。主人公の女に肩入れして見すぎていたかもね。ここまでは。では、日本人の男の視点で見ると・・・」
/////////////////////////////////
 「Il n'y a plus d'apres」  Juliette Greco

原稿用紙

原稿用紙 2005年4月18日 (Mon) 17:48:38

青木氏から再び電話があった。結局「海とユリ」の創刊号と4号が欲しいということだったので、差し上げることにした。

「海とユリ」以前、私は神戸の風群文学界に所属していた。その頃文芸評論家のO氏に「校正者が校正しやすいように、それなりの原稿用紙を使うように」とアドバイスを受けていた。つまり、よく出回っている、コクヨ、ライフ、スパルタ製は、校正スペイスが少ない。以後ちょっとした原稿にはマルゼン製を使用するようにした。
「海とユリ」4号を見ると、五十嵐ビルに出入りする中学生の少年が、集まった皆の原稿用紙をすっぱ抜いている。
東京フレーベル製は勿論原田さん。日本放送協会用や詩人会議用を使用している人もいる。マスヤ製、神楽坂・山田製というのもある。コクヨ党と書かれた人達は、ちょっと気の毒。しかし一番多かったのは自家製。自分の名前入りの特別原稿用紙で書いておられる。驚きだ。

まだ、バイト生活中の頃、貯金をはたいてモンブランの高級万年筆を買った。その万年筆で「帰ろう愛の天使たち」を書いた。書き味は良かった。後年英会話講師になって、まだバイクで通っている頃、走行中に筆箱からその万年筆が飛び出して、カゴの網目を通って、路上に消えてしまった。ショックだった。それから、万年筆は安物しか買わない。
例の河口湖の別荘にやってきた集英社の編集部員の人が、私のモンブランを見て「それは川端康成先生が使ってらしたのと同じだ」と言った。確かにどんな文豪が使ってもおかしくない、風格のある高級感漂う万年筆だった。
1ドル360円の時代2万円だった万年筆。しかもこのデフレ時代を考慮すると安くなっているかも知れないと、2年前のある日ふと思った。海外旅行の帰りに買った、カミュナポレオンが当時2万円。今5千円。とすると、あの万年筆ももしや。それでも2万円用意して百貨店の文具コーナーに走った。
特別扱いの棚に8万円の値札を付けて、それは王者のように君臨していた。万年筆は卵じゃない!
/////////////////////////////////////

「L'absinthe」  par Mathieu ROSAZ
BarbaraとFrederic Bottonの共作歌詞に素敵な曲。昔粋がって緑色のアブサン酒(とても口当たりがいい)を飲んでいた。印象派の画家たちも皆しきりにAbsintheを飲んだらしい。ただAbsintheは目にくる。印象派の画家の絵の輪郭がかなりぼやけているのはそのせい、等とは断言できないけれども。


稲垣足穂

稲垣足穂 2005年4月17日 (Sun) 17:55:39

クリーナーでガーガー掃除をしていると、電話が鳴った。「もしもし」でたいてい声を聞き分ける自信があるのだが、思い出せない。
「『海とユリ』でご一緒だった札幌の青木です。Bruxellesさんご本人ですか?『現代詩手帖』の年鑑でご住所を見て、懐かしくて電話しました。一度お目にかかったことがあります」
覚えている。大和留寿都で山頂から転げ落ちたとき、帰りに札幌でお目にかかった。すぐ後手紙が来て神田神保町界隈の少年たちが、Bruxellesさんのことを、B姫と書いているので、どんなお姫様かと思ったら、会ってみたら、姫様のイメージなどない・・」と、かなりボロクソに書いてあった。よほど悪い印象を与えたに違いないと苦笑した思い出が残っている。そのことを言うと「僕そんなこと書きましたか?B姫と書いたのは覚えていますが」とちょっとドギマギされている。「あの時、札幌で踊る場所がないかと、聞かれたのは覚えています」
上から下まで転落して全身打撲だから、まさか「踊りたい」と思う筈は無いのだけれど、なにしろ30年程前のことだから双方とも記憶はあやしい。
「僕は実は古物商もしてまして『海とユリ』創刊号に芦野さんが書かれていた稲垣足穂の写真、のことで芦野さんに連絡したのですが電話が不通なんです。もう亡くなられましたか?」「いいえ、いいえ。ここ数年手術や入院を繰り返されて、体調は思わしくないようですが」「種村季弘さんが亡くなられたものだから、ふといやな予感がしましてね」・・・

『海とユリ』創刊号を引っ張り出してみる。青木氏は瀧口修造亭や種村季弘宅に出入りしている方のようだ。種村季弘邸は禅宗のお墓の裏にあるらしい。種村氏が荻窪に「画廊人魚館」をオープンしたと書いてある。

あの頃、つまり創刊時、バイクに熱中されていた芦野氏はツーリングを兼ねて、足穂を訪問されたのは私もよく知っている。今、創刊号を見て、驚いた。創刊号表紙絵・稲垣足穂とある。おまけに扉には、足穂自筆の説明文まである。「これはボクにはアッという間に過ぎた明治風景です」と。灯台の絵だ。古物商の青木さんが足穂の写真と言われたのは、この絵の間違いか。いずれにせよ、古物商の食指が動く筈だ。

病床の芦野氏のことに思いがゆく。昔上京した折は、神保町の五十嵐ビルに、いつも立ち寄って、そのオフィスを自分のkey baseのようにさせてもらっていた。話さなくてもすっとわかりあえる。そして話せば、誠実さが滲み出る話し方をされる。もっと前「抒情文芸」に「絵巻物」という小説を発表されていて、Bruxellesはその作品にすごく惹かれた。私はまだ20歳にもなっていなかった。私が会う前に京都の瀬崎祐氏が先に芦野氏に会った。「どんな人だった?」「黒川紀章みたいな、というか」「ふーうん」
芦野氏は当時詩誌「秘夢」というグループのリーダーだった。芦野氏には他のペンネイムもあって、少年少女向けとは別に「薔薇族」「アドニス」「ムルム」その他にも発表されていた。五十嵐ビルには、感性の柔らかいまだ子供のランボーやベルレーヌが出入りしていた。今から思えば、三島由紀夫の「禁色」の一場面の様だったかもしれない。「海とユリ」の創刊で初めて同じグラウンドに立ったのは、それよりかなり後だ。あれは本当に必然だった。そこには原田さんもいたし、一時はGribouilleもいた。

創刊号に稲垣足穂の当時の近況が出ている。「火災のため、しばらく桃山町本多上野の知人宅におられたが、10月9日新宅の棟上を行い、年末には完成の予定。最近刊行の短編集「青い箱と紅い骸骨」(角川書店)にはカラー印刷で四葉の絵を収蔵している」とある。ということは、他にも原画があるということなのだろう。
去年「海とユリ」が神田の古書店で2.5倍の価格がついていると聞いた。このことが原因なのだろうか。
//////////////////////////////////////

「Place Vendome」 par Christine AUTHIER


「プレリュード」

「プレリュード」 2005年2月24日 (Thu) 2:19:58

「2N世代」KNへの献辞:
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


かきえない かきえない絵画
生きえない 生きえない演出
つかみ得ない つかみ得ない確信(たしかさ)
ただ いつわりの笑い
ざわめきの 安堵(やすらぎ)
それでも それでも
生きた時間の集約(かさなり)の 色彩(いろあい)
ことばのぬけがらの 遺品(かたみ)を
生きる証として
あなたに あなたのもとに


歩めない 歩めない街
歌えない 歌えない過去
運び得ない 運び得ない持ち物
ただ いつわりの感謝
ざわめきの 旅だち
それでも それでも
生きた時間の集約(かさなり)の 身体(からだ)
ことばのぬけがらの 子供(うた)を
生きた証として
あなたに あなたのもとに


・・・・・・・・・・・・・・・
「これ、ついでのときにNさんに渡して」と「2N世代」を渡そうとして引っ込めた。「あっ、その前に何か言葉を付けておこう」とGribouilleの机の後ろのテイブルで、一気に書いた。約10分。Gribouilleに改めて渡す。
G「これ、いいね。私の分にも書いて」
Gribouilleに渡した「2N世代」のオレンジペイジ(扉)にも、せっせと書いた。B「はい、これは、あなたに」
G「これもいいけど、あっちのほうがいい」
そう言って、引き出しを開けて、自分のノートに上記の詩を書き写し始めた。
B「書き写してるの。私もすぐに忘れるから、書いておこう。人に差し上げる献辞を自分のノートに取っておくのは、少し抵抗があるけれど」・・・
Gribouilleの動作を真似たおかげで、大昔のあの瞬間に消えた筈の言葉達が、まだこうして残っている。
この詩には後年曲、演奏、歌までついた。誰が曲を書き、どんなグループが演奏し歌ったのか、もう名前さえ思い出せない。
//////////////////////////////////

「La Foule 群集」 par MILVA


CHANSON D'AMOUR

CHANSON D'AMOUR 2005年2月22日 (Tue) 17:23:12

-Dedie a Bruxelles-


                「モオブ色の朝」


いつかみた マグリットの空の青
はてしない存在の淵にたゆたう波音
今日の日はかくも透明に聳え立ち
淡いピンクのちぎれ雲 たなびく明日(あした)


いつかみた クリムトの淡い膚
はてしない百花繚乱いのちの錦地
今日の日は血にたぎり恋に燃え立ち
コバルト色の彼岸波 よせくる明日


いつかみた ムヒャの目眩めく花模様
はてしない蜜蜂の群 虚空に逆巻く羽音
今日の日は愛を知り涙を流し
モオブ色の朝ぼらけ ひとり待つ明日



     -par ton JOE-
///////////////////////////////////
「BRANDENBURG CONCERTO NO.5 in D major」
 par The Jacques LOUSSIER TRIO


実験1行詩   「1行ニュース」

実験1行詩   「1行ニュース」 2005年2月20日 (Sun) 17:02:18

修飾語句節の重力を分散する

               「1行ニュース」

 内から噴出する屈曲情念がどくどくと皮膚表面に肉迫するザラザラした吐息の臭気をも・・・・(中略)から循環器官がポロリと干上がり崩壊しはじめたと同じ速度で輝きを失くし始めた魂の叫びにも似て色あせていく茶褐色の空の下でピエロと哲学者の”Homosexualitat"を窃視しながら1行の詩を書くためのharakiriを拒絶し前衛劇団の靴跡を鼻からミルクを垂らしながら嘲笑する19世紀の曲乗り飛行士が巨大な二子山に口づけする間をトンビがとるように墜落させる一瞬の飛躍的和合が欲しくて、寄席の切符でザ・タイガースのチョコレートをくるんで道頓堀を這い這いしようと夢想する公害病的正常人の「りんごは木から落ちる」ことですべてを整然とさせることへの期待の破裂を近接未来に孕んで強精ドリンクを飲み始めた大学の芝生で野良犬に噛まれることによって自らも犬に変身しようとする呪いの体液に狼狽しながら食前食後に中間小説のメリケン粉のような発作止めを痙攣した手でのみ、法に触れまいと目をキョロつかせているとんがり帽子のおじさん達に混じって頭でっかちが透明に四股を踏む空中に宙溜まりした水の中でプカプカとではなく覚醒しようとする自己に向かって駆け集まってくる負けた国の子らの狂宴が<On commence!!>
//////////////////////////////////////////

「Nous ne sommes pas des Anges天使のためいき」 Barbara & France Gal
  今は昔Dannyが送ってくれたレアもののテープより


«  | HOME |  »

2017-08

  • «
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

Bruxelles

Bruxelles

FC2ブログへようこそ!

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。