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奇跡は起こらない

中学三年を終え高校一年になる直前の春「人間の絆」(サマセット・モーム)を徹底的に精読した。一時間に一ペイジ、暗記するほど読む(翻訳文を!)
いわゆる教養小説で時期的にはピッタリのタイミングだったように思う。今から考えるとそこから汲み取ったことが三つあった気がする。

ひとつ:奇跡は起こらない
ひとつ:恋愛は理性を凌駕する
ひとつ:ある年齢に達すると人は妥協して情熱よりも安定を求める。

なぜこんなことを思い出したかと言うと早朝のサッカーを見た結果だ。そうだ、奇跡なんか起こるわけがないのだった。フィリップは足がよくなるように真剣に祈ったではなかったか。
人間の絆」で私が感動したのは主人公たちがエル・グレコを語る場面だった。私もエル・グレコに強く興味を持った。20年後にトレドのエル・グレコ美術館に行って本物を観てきた。ルネサンス絵画や、ダダやシュールやニューヨーク・ポップ・アート等を体験したずっと後だったので、実物の宗教画は色使いの素晴らしさと小さな納得しか与えなかった。

思えば、あれだけ精読したのに「人間の絆」は私にエル・グレコの作品同様さほどの感動を与えたわけではなかった。むしろ違和感を残した。否、不納得と言ったほうがいい。
思えば私は先の三点、それらに対する納得を否定する生き方を信じてきたように思う。

ひとつ:奇跡は起こる
ひとつ:理性は恋愛を凌駕する
ひとつ:安定を求めて自分を裏切る妥協などするべきではない

選んできたのではない。ただそう信じてきただけだ。完璧にそう生きてきたわけではない。そう信じてきたし今もそう信じているだけだ。
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追記:
モームは今から考えればたくさん読んだ。高校生時代にはひょっとして一番読んだかもしれない。「The Moon and Sixpence」は
そういえばゴーガンをモデルにした小説だった。
高校生時代に一番影響を受けた書物はなんと言ってもフロイトの「精神分析入門」や「夢判断」などなど。ハイティーンの時に一番影響を受けた人物と言えるだろう。・・・・・
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La Joconde」 Barbara
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関係性

”情報が内包しているその生命を分かち合い、組み合わせ、そこにもうひとつの情報が生み出される”(「ヴィジュアル時代の発想法ー直感をいかす技術」手塚眞著)という文章に出会い立ち止まってしまった。
生命のない情報には生命を与え、生命のある情報には更なる別の生命を生み出させる、ように情報と接しなければならない。そして提示した情報はさらに別の誰かに、そのように扱われなければならない。なにより情報に生命があるという発想は新鮮だった。情報は0101として扱うのではなく、あくまでもエネルギーを持った生命体として考えなければならないと思った。
”情報の真の価値は関係性の中にしかない”(上記同書)・・

情報のみならずすべては関係性の中にしか存在しない。出会いは関係性の中に出現し、運命は関係性の中に進展する。
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一次関数はグラフにすると直線でx軸とは一度しか交わらない。二次関数は二度交わる。三次関数は三度。x軸とどこで交わるかによってx=○○と言う解(根)が出る。しかし解が虚根の場合がある。x軸と交わらない。そういう時はx軸を上下に移動させればいい。三次関数の場合も三度交わるためにはx軸を移動しなければならない場合もある。
厳密に言うと一次、二次とは何かと言うとx軸と交わる回数ではなく、関係性の変化が何度現れるかだと言ったほうがいいかもしれない。
そこを起点として下がったり上がったりする方向性を変える点(頂点だったりどん底だったり)、そういった気分転換を一度もしないのが一次関数、一度だけするのが二次関数、二度するのが三次関数。三角関数はこういう方向転換を規則的に延々とする。
高等数学をやったわけではないので三次元の動きと言うのはよくわからない。いずれにせよx軸とy軸があるところに(存在が二つあれば)関係性が、まあ一面的にではあれ表示できると言うことだ。逆に言うともっとも簡単な関係性さえ存在基準が二個いると言うことだ。
現実の関係性はx軸y軸z軸さらに時間軸が入り、しかもその軸自体が微妙にずれたり曲がったりしているのだろう。だから人生は数式では現せないし予測解答もない。
星座の位置、水滴の大きさ、ほとんど無限のものが無限に関係関数を形成し、刻々と新しい展開を見せているのだろう。
同じ時は二度となく、したがって同じ自分は二度と存在しない。
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カーネギーだったかホイラーだったかナポレオン・ヒルだったか忘れたが「未来は未形成だ。だからこそ自分のイメージで未来を先取りしてしまえばいい。想念は実現する」と言っている。
はたして未来は未形成なのだろうか。時の流れは軸のひとつの移動に過ぎないのではないだろうか。
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Tino ROSSI: Il pleut sur la route
この曲、その昔日本で大ヒットした。

病院の中の英会話教室

キミがジャズダンスを習っているので、1度教室に見に来てほしいと言う。近鉄会館まで行った。曲は「フラッシュダンス」。生徒さんたちが踊っている。
「こちらが私の英語の先生です」終わったあとキミがダンス教師に私を紹介する。吉津たかしという名のOSKの人だった。

キミが今度はあやめ池にOSKを見に行くので付き合ってほしいと言う。吉津さんが出るらしいので花束を買って2,3度見に行った。舞台で見ると吉津さんだけ、どう見ても男に見える。
「キミ、あの人のバーで、毎晩飲んでるの?」「はい、そうです」
(その後吉津さんはOSKの存続、及び新生OSKの誕生の中心人物となってマスコミに登場した)

キミは四ツ橋のO病院の検査部門で働いている。何年か後、そのキミの紹介で、そこの理事長に会うことになった。
「新空港ができると、この入り口にちょうどモノレールが来る。この病院も国際化したいので病院の職員たちに病院に必要な英会話を教えてくれないか」ということだった。場所は8階の大会議室、テクストは私の書き下ろしで、文書課の人がワープロで製作する。期間は○○、時間は××・・いろいろPLANを考えなければならない。
この理事長は院長の親戚で病院のほかに、コンピューター会社、自動車教習所、その他多角経営をしている敏腕実業家だ。
「僕はねBruxellesさん、若いときから病院のビルを建てたいとずっとイメージしてたんですよ。うちの病院はね、おかげで空ベッド率が低いんです・・」

結局スタートした英会話教室に理事長は来なかったが、院長や婦長も来た。院長は腰の低い人で、率先してレッスンを盛り上げてくれたし、婦長も頑張って応援態度をとってくれた。これだけ学習意欲の高い多くの生徒を前にして非常に授業はやりやすかった。
元生徒のメグもキミからその話を聞いて「私も助手としてそのレッスンに参加したい」と言い出して、やってきた。年配のメグがビシッとブランド物のスーツを着て、プリントを配ったり黒板を消したりアシスタントをするので、さながら私は大先生だ。

言葉のわからない外国人の患者も不安を感じずに治療を受けられるように、廊下にカラーの線を引いたり、各科のドアを絵表示したり、薬袋の説明を簡素化したり、英会話以外のアイデアも出した。

予定通り5ヶ月で終わった時が、ちょうど忘年会の季節で、私も招待された。O病院は高速道路からも見える四ツ橋の大病院だ。院長をはじめスタッフの心がひとつになっていて、活力のある信頼できる病院だと思った。経営もあの理事長がいる限り大丈夫だ。
私に新しい楽しい経験をさせてくれたキミに感謝した。
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Laisse-moi vivre ma vie」par  Frederic Francois
このドーナツ盤のレコードを実は持っている。私はミーハー?
この曲はなかなかいい。Fredericがたまたまハンサムなだけだ。

母から姑になると言うこと

藤本由紀夫を紹介してくれた芸大の山野さんはその後お見合いして結婚した。結婚式の日「嫌だ嫌だ」と泣いたという。牛乳瓶の底のようなメガネをかけて、背も低く全く魅力を感じない相手だと言っていた。会うといつも分厚い洋書を持っていてなんだか頭はよさそうだと。会社は三井物産、実家は資産家、それが決め手になったのだろうか?こういう結婚をするひとは物凄く多い。はじめから子供は産まないと決めていたのか、産む気配は全くなかった。一体どんな人生を生きるつもりなのだろうか?
版画を止めて油絵を描き始めた。夫の転勤で間もなく上京、新宿のマンションに入居した。そのマンションの近くに別のマンションを相手のお父さんに買ってもらって、そこをアトリエとして、本格的に油絵の修業を始めた。絵のサークルの活動で外出する以外は一日中アトリエに篭もっている事が多いという。そして2,3年に1度、大阪で個展をするようになった。私も何度か見に行った。その時は昔の生徒のキミを連れて行った。心斎橋の画廊だ。ここは他の友人も使うので以前にも何度か来たことがある。2階に上がっていく。

山野さんのお母さんと弟さんがいた。お母さんは明るい人で「私ね、Bruxellesさん、子供らに北尾に似てるって言われますねん」と言う。よく見ると横綱北尾に似ていなくもない。クックックッ、そんなこと自分で言う人いる?椅子に座ってお菓子を食べながらキミと二人で吹き出してしまった。楽しいお母さんだ。大阪のお母さん、人に笑ってもらって、さらに気をよくして嬉しくなったのか、話があらぬ方向に飛んだ。
「Bruxellesさんのお連れの方、うちの息子と結婚しませんか?」えぇ!
キミがビックリする。同席していた山野さんもお母さんと一緒になって言う。
「弟どうですか?実家の跡取りです」
山野家は上三人が女、一番下が弟。この弟が工場を継ぐことになる。迫力あるお母さんのそばで、気の弱そうな弟さんだ。
キミはとても若く見える。けれどきっとキミのほうが年上だろう。キミは20歳になった時、お酒と煙草と化粧をキッパリ止めた、という娘だ。確かにかなりの美人で、私の生徒だった頃、勤め先の病院の院長の息子と付き合っていた。この娘は物凄くタフで、アルコールに強く、実は毎晩午前2時までダンス教師(元OSKのトップ)が副業でしているバーに入り浸っている。夜の時間を楽しんでいる娘だ。・・・

あれから何年後だったろう。やはり山野さんが今度は大丸で個展をした時だ。電話がかかってきた。弟の子供が病気なので、今から母とお嫁さんと子供が、Bruxellesさんの家の近くの病院に行く。私もBruxellesさんに会いたいので、一緒に行く、ということだった。
私の方が病院に出向いた。北尾お母さんに会ってみたかったからだ。そして会った。物凄いショックを受けた。北尾お母さんはまるで覇気を失って表情さえ喪失していた。何年かの間にまるで魂を取られた人、別人のようになっていた。

「何かあったの?」と山野さんに聞いた。おとなしいお嫁さんなのに、ことごとく母と合わず、母が、山野さんを含めた娘3人に愚痴り始めた。その時すでに嫁いでいた3人の娘が口を揃えてこういったらしい。
「お母さん、時代が違う。考えも違って当たり前。お母さんが譲るしかない。お嫁さんに従うこと。お母さんは一切自己主張しないこと。そうすれば万事うまくいく」
北尾お母さんは娘3人にそう言われ、ショックのあまり一切の言葉を呑み込み、詰まらせ、感情的に窒息死してしまったのだろう。母老いて一人、味方なし。あまりの変わりように気の毒で心が潰れそうだった。

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Jean Jacques Goldman 「A Nos Actes Manques」

嵐の前の大学経営

小学生から大学生まで学級崩壊が叫ばれている。そして小学生から大学生まで学力低下が問題になっている。

国家存続にとって教育はもっとも大事なものかも知れない。

図書館でSAPIOを見た。昨年から国立大学の教職員は非公務員になったらしい。そして国立大学も採算性という重荷を背負っているという現状。2007年には数字の上では全員入学、つまり総合定員数と進学希望者数が一致するらしい。いよいよ予備校の息の根もとまりそうなところまで来た。さらにその先、大学の3分の1程度は倒産するだろう。山口の萩国際大学はその一例に過ぎない。

もう30年ほど前から言われてきたが、オーバードクターはどうするのか。近年は就職できないのでマスターやドクターに居残る学生も増えている。ポストがどんどん減少している中で、彼らの未来は先細るばかりだ。10数年まえなら、予備校や塾という受け皿もあったが、今はもうない。企業で研究職に就けるのはごくごく一握りの極めて優秀な理系の学生だけだろう。残った人材に受け皿はあるのか?
・・・・・

緑風さんを紹介したことのある昔からの知り合いのY教授ご夫妻に昨年の夏久々にお会いした。夕食をご馳走になった。
ここは中ノ島のロイヤルホテルに出店している店の直営だ、ということだった。ロイヤルホテルに行かなくても、ここで同じコースを食べられる。ただ、驚くべきは、大阪の国立大学のキャンパス内、がその(ここ)だったことだ。大学側の企業努力の一端を見た思いがした。いっそのことキャンパス内にホテルそのものを誘致するほうが採算はとりやすいのではないか。
レストランは「結構利益を出している」ということだった。
「学生がくるのですか?」
「いや、大学関係者の交流が結構あるので、そういう人たちと、近所の人が外部から、このレストランに食事に来る」とのこと。このようなレストランは、何も(ここ)に限った事ではない。そしてほかには社会人のためのコース、シニアのためのコース、そしてロースクールのような専門化したコースなど、国公立私立を問わず、どんどん企画され実行されている。
教育産業はDOG-EAT-DOG、海外から経営コンサルタントを招いて、これからもっと、生きるか死ぬかの競争が始まることだろう。
受験競争は入る側の競争だったが、今度は受け入れる側の競争が始まる。

20数年前から予備校や塾では、各教室に監視カメラを設置して、教師が生徒の機嫌を損ねるような言動をしないかチェックが入っていた。そしてそれは厳重注意の対象になった。
学生がお客様になり、大学が企業になれば、そこはもう教育の場ではなくなる。
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「Ce n'est rien」par Julien Clerc & Pascal OBISPO

トレンド

駅前の商店街から客足が遠のいて久しい。数年前から少しづつ変化が見え始めた。なくなった店の跡に出来たのが、まずケータイ屋。乱立と言っていいほどかたまっている。次は薬屋だ。これでもかと言うくらいに次々と近隣に出来ていく。駅前はすっかり変わった。最近の新店舗は全部不動産屋だ。駅前だけで5店舗も出来た。
6,7年前に多かったのは、美容院、寿司屋、そして歯科医院、毎月のように新しく出来ていた。おそらくどの街でも同じではなかったか。
・・・

最近書店に行って驚いたのは、ネット株取引の解説本がやたらに出回っていることだ。日経平均の回復と連動しているのだろう。ネットを使った素人の参加者が底を押し上げているのだろう。
株式市場でも大きな参加者層の変換時期、新しいPhaseに入ったのだと思う。バブルのころ証券会社に日参していた人たちはネットに縁がないのでもう、新しい人たちとは太刀打ち出来ないだろう。ソフトがあれば、テクニカル分析も売買も一瞬だ。この世界はこれからもっと変革するだろう。
・・・

ブラジル、ロシア、インド、中国をまとめてBRICs(ブリックス)と言う。今後大きな経済成長を遂げると見られる国々のことだ。以前ニックスと言って、新興アジア諸国が注目を浴びた時代もあった筈なのに。
2030年頃には、国土、資源、労働力を持つこれらの大国に、日本人が出稼ぎに行っているかもしれない。
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   Mrianne Oswald 「Evidement bien sur」

空から届いたエアーメイル

空から届いたエアーメイル 2005年5月21日 (Sat) 14:03:40

「多分ここだと思って」
看護婦さんが1通のエアーメイルを持ってきた。
宛名ははっきり言って無茶苦茶。郵便番号とHospital名だけで、ここに届いた。後は看護婦さんの勘だ。

「どなたか知らないあなたに!
私もあなた同様、事故で入院していました。今はようやくよくなり、今日は彼がお祝いにレストランでご馳走してくれました。仕事復帰が決まったのです。看護婦に復職です。私には小さな息子がひとりいます。私はベトナム系アメリカ人です。
あなたのことは全然知らないけれど、どうか希望を失くさないでね。他人事とは思えません。実はあなたのエアーメイルを道で拾ったのです。開封されていたので、読んでみました。読んであなたの事故と入院を知りました。封筒が汚れていて、あなたが誰宛に書いたのかも、よく読めません。あなたの住所もよく見えませんが、テキトーに書いてこの手紙を出そうと思います。
私もまだようやく出発点に戻れただけです。今までの日々は不安の連続でした。仕事復帰できる今も、まだ不安で一杯です。ここまでの道程がどんなに遠かったか。明日から始まる私の再チャレンジの人生。今は不安と緊張と、少しの勇気と希望と・・。
あなたは未来のいつの日か、私の気持ちを体験するでしょう。私から見れば、あなたは過去の私です。あなたから見れば、私は未来のあなたです。そう思ってあなたの分も頑張ります。この手紙があなたに少しでも勇気を与えられますように。お友達に事故の状況を告げるあなたの手紙は衝撃的でした。まるで過去の私から届いたように。でも私は勇気をいただきました。
偶然に感謝しながら。どなたか知らない、あなたへ」

まるでドラマのような手紙だった。心が騒いだ。これは紛れもなく、私宛に出された手紙だ。この人は私の名前さえ知らない。人はこうして出会うものなのか。・・

Bostonの友達HBに再度手紙を書いて、このことを伝えた。彼も感動するに違いない。すぐに返事が来た。

「Bruxelles、気をつけろ。僕は君の手紙を入れたスーツケイスを丸ごと盗まれたんだ。差出人は犯人か、犯人の仲間の一人かもしれない。決して油断するな。返事は出すな。何か仕組まれているのかも知れない,,,」・・
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「L'albergo a Ore(Les amants d'un jour)」 MILVA


お酒と煙草

お酒と煙草 2005年4月20日 (Wed) 18:17:57

いつから禁煙したんだろう。7年位前からか。禁煙には何回も失敗して、もう無理だと半ば諦めていた。もともと意志薄弱である。

まだ吸いはじめの頃、セブンスターを一気に一箱すって卒倒したことがある。クラクラと意識不明になる。一過性の脳梗塞に近い。頭の指令が身体のどこにも届かなくなる。ヨダレを流して崩れ落ちた。

コンスタントに吸い始めたのは20才を過ぎてから。ジャズ喫茶に通うようになってからだ。女の子の主流はショートホウプ。”短い希望”を灰にするのだ。マイルスやコルトレーンを聞きながら。ホットミルクを飲みながら。男子学生はセブンスターかハイライト。マイルドセブンはまだなかった。ものは試しだとその後いろいろ吸った。ピースだけは敬遠した。ピースを吸っている女性を見たことはない。”平和”を灰にするのは、似合わない。
インドのホテルで買った煙草はビックリするほど高額だった。インドには本当に”葉っぱ”としか思えない煙草もあった。エジプトで気に入ったのは、黄金色のケイスのCleopatra。これはかなり気に入ってしばらく続けた。味もよかった。
フランス製で有名なのはゴロワーズとジタン。どちらもしかし女性が吸いたい煙草ではない。毎日キオスクで違う種類の煙草を買った。今日は○○、明日は××と銘柄をカセット日記に吹き込んでいた。「一番軽いのは何?」とロジェに聞いたら「ROYAL」じゃないかという返事だったので、最後は「ROYAL」に決めた。吃驚するほど軽い、確かに空気のような煙草だった。
・・・

お酒は定番どおり角とダルマから入った。時にカティーサークでコークハイやハイボールも作って飲んだ。ビールは泡を喰っているようで昔から一貫して好きではない。BruxellesのROSEの店の向かいに住む老夫婦の家に招待されたことがある。大事そうに出してきて封を切ってくれたのはシーバス・リーガルだった。夜のpartyに出るようになってからはスコッチを飲むようになっていた。とはいえ和食だとやはり日本酒も好んだ。・・・
園芸会社で働いていた頃、隣の医学系専門誌の出版社に、Kという男性がいた。父と大学が同期だということはわかったが、直接の知り合いではなかった。「どんな人だったか、友達に聞いてみよう」ということになった。「君のお父さんのこと聞いたよ。黒木に」貿易課でもNO.1の英語使いだったと、褒めてもらえると期待した。ところが「戦争中の若い頃、会社の地下室でエチルアルコールかメチルアルコールかで酒を密造して飲んでたらしいね。おもろいヤツやなあ。あはははは」娘の前で、それはないでしょ!
ある日このK氏に飲み比べをしようと誘われた。いつも発散しているので、飲むとかえってシラフになるクチなので、お酒は好きでもなければ、決して強くもない。お調子の乗りなだけだ。和食の店で食事して徳利を倒していった。10本揃えて寝かせて並べたのは、私のほうが早かった。その時は何故だか全然酔わなかった。
話はそれるがアル中気味の人とか、私のように薬中気味の人は、麻酔が時間前に切れる。私は早々と麻酔が切れて、火箸のように大きな金属の棒が、膝の先から大腿骨の中に金槌でカンカンと打ち付けられる毎に、悲鳴を上げなければならなかった。その後、ブスリと針をさして糸を引っ張って縫合している時も痛さで状況がありありと見えた。あまりの痛さで手術後もブルブルガクガク全身が震え続けた。

アブサンを飲んでいたのは、ほんの一時期で、スコッチやコニャックの後は、バーボンに乗り換えた。バーボンは体質に合ったようだ。憧れはジャック・ダニエル。でもこれも一通り飲んだ。ワイルド・ターキー、アーリー・タイムズ、ジムビーム、I.W.ハーパー、フォア・ローゼスなどなど。でも今から思うと、わざわざ買ってきて家でまで何故飲んでいたのだろうかと思う。外でも家でも飲む機会があまりに多すぎた。おかげで、酒席にも、お酒にもpartyにも、すっかり飽きてしまった。今は、山奥で木々に耳を当てて、樹木と対話している方がよっぽど楽しい。

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「La guinguette a ferme ses volets 真夜中の居酒屋」par DAMIA
ヴァルス・ミュゼット。これぞシャンソンという曲調と歌詞。歌詞はまるで映画だ。


ツーショット


ツーショット 2005年4月15日 (Fri) 19:11:39

八幡市の病院に入院していたおよそ180日間に、TTは大喜びしたためか、何故か、120日お見舞いに来てくれた。2番目のCCの90日を大きく上回る。あまり来るので同室の人がある日突然「この人の婚約者なのですか?」とTTに聞いた。TTはギクッとして「まあ、そんな者です」と答えた。TTの面子を立てて私も否定はしなかったが、そんな者でもどんな者でもない。他の見舞い客もたいていTTとは鉢合わせするので、何か特別の人のように誤解していた人は多かった。あらぬことを妄想されても困る。
・・・・・

かなり古い話だ。プラットフォームのベンチに座っていた。そこへ旅行カバンを抱えた男性Aがやってきた。私に背を向け煙草をふかせて電車を待っている。なかなか恰幅がある。そこへ、向かいのプラットフォームから、若い男性Bがニコニコして回りこんで走ってきた。なんだかペコペコしている。「部長、これからご旅行ですか?」、二,三言葉を交わした後、Bはいきなり私とAを交互に見て再びにやけた。僕は部長のお忍び旅行の現場を押さえたぞ!と、勝者の態度で部長に笑いかける。部長は何のことか、なんなんだこの態度はとドギマギしながらも、Bの視線の先の私の方をチラリと見る。部下は私に目礼をして目で部長に言う。「黙ってますよ、部長」部長が目で訴える。「知らない人だよ」部下が追い討ちをかける。「またまた、しらばっくれて」・・・
男性Aと私は、話していたわけでも、寄り添っていたわけでもない。たまたまプラットフォームに二人だけしかいなかっただけだ。私が出て行って弁解するのもおかしい。かといって、私がそっと遠ざかり誤解を解こうとするのも、かえっておかしい。・・

全く知らない人と、たまたま近い空間にいただけでこのように妄想されることが世の中にはある。部長と部下は二人してこちらを眺め、小声で少し言い争って、その後男性Bは、部長にたしなめられて、真っ赤に恥をかいて「失敗した」という文字を背中に貼り付けて、退散していった。
たとえどんな人であろうと、誰かを通して、誰かと関連付けて自分を見られるのは、とても嫌だ。ツーショットでセットで見られ関係を憶測されることを、うれしいと思う人などいないと思う。少なくとも私はとても嫌だ。吹聴されたりしたら、さらに嫌だ。
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  「Tu n'en reviendras pas」 Marianne Oswald

六波羅蜜:忍辱

六波羅蜜:忍辱 2005年3月20日 (Sun) 19:05:48

仏教には布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つの修業項目、六波羅蜜がある。辱めに耐えるというこの中の忍辱、当世一番重要なことかもしれない。しかし、さほど価値のある修業なのだろうか?

自尊心を打ち砕き和を持って尊しとなす過程で、能力は育たず、visionは持てず、歪な人格をあるいは人間関係を嬉々として甘受する、まるで人格を人口呼吸器に繋がれたように生きる愚民を育成してしまう危惧はないのだろうか。

侮辱を甘受することは、自分ひとりの個人の問題ではない。親兄弟、親戚、故郷、国家、大げさに言えば、人類全体にも、同時に自分が二次甘受させているのだということに、気づかねばならない。

宗教、政治、教育は時に三位一体となって、強固な、広く深い意味で、人間にとってマイナスにしかならない為政者サイドの価値体系を、形成し強要する。
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「Mourir Demain」  par Natasha St-Pier & Pascal Obispo
(avec Frederic Chateau a la guitaire accoustique)

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