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時代を知る、会社を知る

それが80年代後半か90年代前半かよく思い出せない。仕事を探していたわけではないが、KKからある人物と会社を紹介された。KKにその会社の話を聞いて私が興味を持ったので、多分KKがその社長を紹介してくれたのだと思う。
喫茶店で三人で会った。社長はキッシンジャーに似た顔の日本人だった。それから説明を聞くために会社に行った。会社には女性がひとりいて、社長と二人の会社だということだった。急成長中。
はじめはヘッドハンティング専門の会社だった。所謂引き抜きであるが、隠密にことが運ぶという点では、ある意味人さらいのようなものだ。多分バブルの頃だったのだろう。狙いをつけた人物は必ず確保する、くらいの高額を用意したらしい。そのような会社はまだ珍しく、全国でも2、3社ということだった。今までは、欲しい方の会社の人がアプローチしていたのだろうが、それでは間に合わなくなって、専門の会社が生まれたというわけだ。
「今は、ヘッドハンティングより、リストラのほうが多いのでは?」
「そうなんですよ。ですから予想もしていない職種が生まれたのです。Out Placement Serviceです。大会社はただ首を切るだけでなく、次の仕事の斡旋まで面倒を見るのです。この会社を通してね」
「具体的には?」
「まず面接を何回もして、自分が何に向いているか判断する。そしてふさわしい会社を紹介する。会社からの求人というのはこういう会社の財産ですから、日頃から求人会社をストックしておくのですよ。それから面接の練習をしたり、履歴書の書き方を指導したり、自尊心を保持する心理サポートをしたり、適性を自己認識させたり、あらゆるサポートをします」
「すぐに新しい仕事が見つかる人と、なかなか見つからない人がいるでしょうね」
「結局はね、この会社がなければ、次の仕事が見つからない、ような人に仕事を斡旋する、それがこの会社の仕事なんですよ」
「どこから入金があるのですか」
「リストラをする会社からの場合が多いです」
「ダウンサイジングする状況でも、リストラにお金をかけるんですね」
「お得意さんは大企業だけです。ヘッドハンティングの時より今の方がずっと仕事量が増えています」
「問題はどれくらいの収入の減額を飲むか、ということになるのでしょう?」
「そうとは限りません。稀にですが以前よりも良い条件の職場が見つかる人もいます。適性を活かせるようになる場合も」・・・
あの頃から何回、景気回復のニュースを聞いただろう。しかし現実は悪化の一途をたどっている。当時はあの会社の仕事自体が珍しかったが、今では同業者の数もうんと増えただろう。当たり前のように聞くようになった。つまりこの20数年の間に終身雇用は影も形もなくなったわけだ。それどころか、徹底した業務研修も少なくなり上司と部下のノミ二ケーションも衰退傾向にあるという。結婚の仲人などしたら、いざと言うとき、首を切れなくなってしまう。・・・
10年くらい後になって、アウトソーシングという言葉が囁かれるようになった。HeadhuntingとOut Placementの中間のようなもので、有能な人材を外から借りてくる、外に貸し出す方がより活用できる人材を一時的に外に貸し出す、誰が考えたか有効な方法だと思う。雇用は元のままで給料も元の職場から出て、仕事だけ外に行くのだ。
そう言えば私は当時ある外語学院で働いていたのだが、アウトソーシングで、私立のK大学に講座を持ったことがある。商学部の国際コミュニケーション学科、そこでTOEIC対策講座を担当した。今から思えばあれは典型的なアウトソーシングだった。現場で働ける英語と大学で教える英語は違うので、大学には生活に密着した英語を教える人材がいないわけだ。そういえばその頃からTOEICやTOEFL対策を専門に教える語学学校が急増した。けれども傾向として外国に留学したい学生は毎年減少し、従って当時乱立した語学学校がその後どうなったかはしらない。語学学校自体も80年代は乱立したが90年あたりから過当競争時代に入り、(お茶の間留学)という新しいスタイルのシステムが登場して、結局語学学校・語学教育自体が自滅していった。アウトソーシングという言葉もあまり聞かれなくなった。
時代を超えて生き残ったことば、今も元気に幅を利かしている言葉はリストラだ。そしてリストラを下から支える言葉が派遣。比較的若い人の場合はリストラされて派遣に流れるパターンが増えている。リストラされてOut Placementされる人材は大企業に限られるので、普通中年のリストラは社会不安を生んでいるし、実際失業者や日雇い労働者、そして浮浪者を生み出している。

最新号の「正論」10月号、「くよくよするなよ」はズバリ、炊き出し、がテーマだった。炊き出しに集まってくる人、炊き出しのボランティア、を取材している。アベノミクスがどうの、消費税値上げがどうの、株価が上昇したの、円安がすすんだの、なもの関係ない。国家が破産したわけではない、戦争に負けて国庫がからになったわけでもない。就職難だと騒ぐ声も聞かない。なのに「炊き出し」が必要とされる現実がある。
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ゴールド・クレスト

gold1.jpg
クレストを買ってきたのは何年前か思い出せない。植木鉢に入れたのだが、すぐにへたってきた。緑色は何処えやら、藁のように茶色くなって、ひょろひょろで捨てなくてはと思って外に出た。近所のおばさんが通りかかって「地植えにしたら」とアドバイスをくれた。地植えにしても育たないだろうと思ったが、取りあえず地植えにした。35センチ位の高さ。それが地植えにした途端どんどん大きくなった。1メートルを超えたときは吃驚した。2メートルを超えたときはもっとびっくりした。でもそれくらいならクリスマスに飾りつけをして楽しむ余裕があった。3メートルを越えたあたりから心配になってきた。さらに電線に当たるようになった。中高の同窓生で市役所に勤めているY君に偶然会ったので「高枝バサミ」を借りることにした。彼は高枝バサミ持参でやってきて、自ら切ってくれようとした。ただ梯子に乗るのが苦手みたいで、その上「高枝バサミ」をうまく使えない。手元で操作するのだが、見ているとなかなか難しそうだ。20分ほど奮闘してくれたが、15センチくらいしか低くはならなかった。それでも少しは安心していたのだが、またどんどん大きくなり、電線を巻き込んで屋根を超え4、5メートルを超えて、横も太りすぎてきた。どうしようかといろいろ悩んで、関電に電話することにした。「風が吹いたら電線を揺らす。雨にぬれてそのままだと感電する恐れがある」と必死で頼んでみた。木が巻き込んだ電線はいくつもあり、それが関電のものかどうかわからなかったが、以前隣組の組長をしている時に、関電ならそういうサービスをするということを聞いていた。関電から下見の人達が来た。「切り取った枝は自分で始末してください。時に木が枯れる場合もありますが、了承してください。」「はいはい、わかりました。よろしくお願いします」
我が家は屋根が激しく傷んでいるので、梯子が当たって、瓦がずり落ちることが一番の心配であったので、「必ず立ち会うので、前もってこられる日時を連絡してください」と言った。梯子をかけることができないので、植木屋さん用の梯子を使って欲しかった。今回は1メートル50センチ位切るので、切った枝が屋根に落ちることも心配だった。どんな梯子を持ってくるのだろう。チェーンソウで切るのだろうか。ノコギリだろうか、そしたらその時木は大きく揺れるだろう。間違って電線を切らないだろうか?
今日5人くらいの男性がやってきた。梯子は植木屋さん用の梯子。安心した。切る人はどうやら一人だが、造園会社から出向してきた専門家のようだ。のこぎりやチェーンソウではない。結構小さなハサミを使っている。それがまたびっくりするほどよく切れる。しかも用途に合わせていろんな種類の小さなハサミを、あれこれと使い分けている。ほかの人は全く汗をかいていなかったが、その人だけは汗だくだ。梯子の上での作業はプロでも重労働なのだろう。このゴールド・クレストは何年もの間悩みの種だったが、この人たちはやって来て15分ほどで、全ての作業を終えて、あっという間に帰っていった。その仕事ぶりは感動するほど鮮やかだった。
来た人の中で一番年配のひとが言っていたが、このクレストが育ちすぎて、困っている人たちが結構いるらしい。クレストは梯子に登っても、テッペンに手が届かなくなったら、素人はお手上げだと、思ったほうがいい。松の木なら木の中に登って入って、ノコギリやチェーンソウで切ることができるが、登るわけにはいかないし、木そのものに梯子をかけるわけにもいかない。そして高枝バサミでは、伸びすぎた高さそのものを切って低くすることは、不可能のようだ。高枝バサミは高いところの枝をきるハサミで、木そのものの身長を低くすることは出来ない。
ホームセンターで高枝バサミを買ってきて自分でなんとかしようなどと思わなかったことが、今回は幸いした。

冷蔵庫を買う

丸3年冷蔵庫のない夏を過ごした。冷蔵庫の無いことが体操の仲間たちにいつの間にか知れ渡ってしまった。先月の初め、何人かに取り囲まれて「冷蔵庫を買いなさい」のリンチ?を受けた。何故買わないかと理由を聞かれ「音がうるさい」と言ったら「いまどきの冷蔵庫は音なんかしない」と。「小さな冷蔵庫なら、値段もいくらもしない」「買い物に行く回数が減る」「冷蔵庫のない生活なんて、考えられない」「いいから早く買いなさい」...言わせておけば言いたい放題である。こういうことのあと、言うことを聞かないと、ハラスメントはエスカレートするのだろう。自分が正しいと確信し親切のつもりだから、従うのが最高の選択となる。
冷蔵庫が便利なのはよくわかる。しかし、やはりあのモーター音が嫌なのだ。それと、市場やスーパー、食堂、レストランが近所にいくらでもある。散歩にもならない距離で、ほとんどすべての買い物は完了する。食べるだけ買い、食べるだけつくれば、食べ物を腐らせることもない。節電にもなる。冷たい飲み物は裏の薬局に行けば、いつでも飲める、あそこを自分の冷蔵庫だと思えばよい。それくらいの距離だ。しかしあの日から、そういうわけにもいかなくなった。
近所の家にお邪魔した時、冷蔵庫をそれとなく見るようになった。たしかに音がしない。音がしなければ、前から買うつもりだった。あちこち見たがみんな音がしない。それで買うことに決めた。裏の薬局が突然つぶれたのも動機の一つだ。
友達のKが難波のyamada電気に付き合ってくれるという。彼女は去年家に来た時、あまりに熱くて、冷えた飲み物もなく、文句たらたらで帰った経験があるので、彼女も「冷蔵庫を買え」派のひとりである。最近は家電を買うにも知識がいる。いろいろ質問する。私は慎重派なので、パッパとは決断しない。ついてきたKがイライラする。「早く決めろ」と言う。私はモーター音にこだわっていたのだ。ひとり暮らしなので、昔使っていた物よりも小さな、137Lの冷蔵庫を買うことにした。
翌日配達されてきた。五月蠅いではないか!これでは、楽しい朝食は望めない。しかも熱い。メーカーの人が来たので、交渉して結局買い替えることにした。Kと待ち合わせて再び難波まで出かける。
その前にいろいろ調べてみた。そしてyamada電気でもまたいろいろ質問して確認した。こういうことだ。近所の家の冷蔵庫がみんな静音だったのは、巨大だったからだ。つまり冷蔵庫は巨大なものでなければ、音はうるさい。14デシベルが最も静音なのだが、14デシベルを探すと、巨大なものに限定される。エコ節電対策も巨大なものが、一番効率がいい、電気代はむしろ安い。騒音と節電を考えると、巨大なものを買うしかない。但し、お値段は倍になる。思案のしどころである。先にも書いたように、スーパーや市場が近所にたくさんあるので、大きな冷蔵庫の必要はない。Kは冷凍食品を買いだめすればいい、と言ったが、私は冷凍食品を解凍して食べる趣味はない。ただ静かで節電機能をもつものは400Lを超えるものしかない。前の冷蔵庫は137Lで23デシベルだった。予算を考えに入れると、自ずから妥協の必要が出てくるだけで、選択の余地はない。結局335L,167.8cm,18デシベルの冷蔵庫を、前回とは倍以上の金額で買うことになった。翌日配達されてきた。確かに少し騒音は軽減している、5デシベル分だ。我慢は出来ないことはない。しかし皆さんの家の冷蔵庫のように、静かではない。それに横面と上面からの放熱も部屋の温度を上げてしまう。これで手を打ったのだから仕方がない。
今回の最大の発見は、ひとり暮らしであろうと、二人暮らしであろうと、最近の日本のそう広くはない家庭にある平均的冷蔵庫は、そのほとんどが巨大だということだ。友人・知人に電話して聞いてもみたが、例外なく520Lから620Lくらいの巨大な冷蔵庫をお持ちだ。冷蔵庫は長く使うものだから、お値段云々よりも、節電を考えると、そういう結果に行き着いたのだろう。節電節電、エコエコと大騒ぎさせて、メーカーの巨大冷蔵庫販売作戦が勝利した結果だろう。あるいは高齢化で足腰が弱った結果、なるべく買い物に行きたくないという深層心理が芽生え、狭い日本の台所に巨大冷蔵庫を次々と設置させているのかもしれない

親戚のM

今日は辛い日記になってしまう。はっきりとも書けない。親戚のMのことだ。
今回困ったことがあって、親戚のMに何回も相談に行った。手紙も書いて現状報告もした。今日結局私の話などに親戚のMは全く聴く耳を持たなかったことがわかった。あまりのショックで、しばらく寝込んでいた。なんだかそのまま死んでしまいそうな気がした。今日相談に行ったら全く態度を変えたのだ。それで人の相談にいままで一切聴く耳を持っていなかったことがわかった。誰かの入れ知恵でもあったのかと思えるような、酷い裏切りだった。
手紙も読んではいないし、今回持参した手紙は受け取ろうともしなかった。
そういえば以前相談に行った時もこんな態度だった。そのときは仕事を依頼することになって、ようやくまともに対応してもらえた。ここから一般論で書くことにする。

一般に仕事が出来る男と言うのは、四六時中仕事のことを考えているので、仕事に繋がる話にしか興味がないのではないかと思った。モーレツサラリーマンが家庭を顧みないというのも、この範疇だ。仕事で頭が一杯で他の話を拒絶しているのだ。それが仕事に関するようなら、つまり儲けに利することなら、相談にも乗ってやろうと。考えてみれば当たり前かも知れない。今時人は、仕事に繋がらないような、人の相談になんか乗らないものかもしれない。人に話を聞いてもらおう、相談に乗ってもらおうとすることのほうが、甘えとしてとらえられ許されないことかもしれない。これが今回の教訓だ。それが今の時代だ。

他者は基本的に人の話なんか聞きたくないのだ。まして相談などには乗りたくないのだ。人の話、特に苦情などは、お金を払わないと耳を貸すつもりは全くないのだ。何らかの形で、自分の利益になることにしか、人は全く興味を示そうとはしない。それは他人でも、親戚でも、友達でも、皆全く同じだ。特に仕事人は、自分の利益に繋がらないことには全く興味を示さない、と心得るべきではないかと、今回思った。人に話を聞いてもらうには、それだけでお金がいる。人に理解してもらうには大金がいる。人に理解して味方して貰うには、その人を雇うしかない。
悲しいが、現代はそういう時代なのだ。人に相談するには、その人になにか利するような話にまとめてから、聞いてもらうのだ。
これが死ぬほど辛い思いを経て得た今日の教訓だ。今頃そんな当たり前のことに気づいたのかと、笑われるかもしれない。現代人のみんなが既に味わっている体験かもしれない。どうなんだろう...

それにしてもMは何故、あそこまでえげつない裏切り方をしたのだろう。完全な敵対者になっている。何か積年の恨みでもあるのだろうか?

友情とは

母が脳梗塞で意識不明のまま入院した。すぐに喉に穴を開けての人工呼吸が始まった。痰が詰るので眼を離せない。窒息が一番命取りになる。
母には身内が多いので、大阪に来ている甥や姪が入れ替わり立ち代わり。私は1人で、夜だけ付き添えば、昼間はなんとか眠る時間を確保できた。
最初の2,3週間は昼間5,6人が母の回りにいてくれる時もあった。
それから次第に人は引いていく。情け容赦などない。
その時私の友人二人が、私に睡眠を与えるために、何回か夜に駆けつけて病院に泊まってくれた。一人は名古屋から来てくれた。どうせ家にいても眠れないのだからと。彼女は日本に来た70歳台のアメリカ人ジョンに恋をして、その後他のことは考えられない状態になっていた。もう一人は自分で車を運転して、やはり2,3回泊まってくれた。
睡眠を確保できるだけでなく、その気持ちが、なんと心強く嬉しかったことか。いくら感謝しても足りないと思った。二人とも自ら進んでそれほどの好意を示してくれたのだから。
母が亡くなって、2,3週間した頃、そのうちの一人、仮にAとしよう、Aが家に来た。勿論大歓迎である。Aは「100万円貸して欲しい」と突然に言った。もう一人をBとしよう。Bは再度来日した恋人ジョンと二人で、家に行きたいと言った。そしてラブホテルがわりに、私の留守の間、自由に家を使わせて欲しいと言った。Bは勿論人妻であり、Bの夫は、Bと私の高校の先輩であり、キューピット役を果たした私は、二人の結婚式の司会まで引き受けている。道義的にも、そんなことを容認はできない。けれども私は、彼女達に母の入院の時に、恩を受けている。断るべきか、断るべきでないか。
最初からのシナリオだと気づいたのは、ずっと後だ。
「Bruxellesさんの友人です。Bruxellesさんには日頃お世話になっています」
二人とも看護婦さんたちにはそう言っていた。
私はそれをつゆ疑おうとはしなかった。若い時から人の親切に慣れすぎていたせいもある。親切に見返りの要求があることを、愚かにもそれまで全く知らなかった。要求する前に親切を売るという、ある意味彼女達の方は、社会的に世俗的に、筋を通していたのかもしれない。
あれから10数年が過ぎて、世間はあの時の私のような人間を「幼稚」という言葉で切り捨てるものだということを知るようになった。しかし私は今も幼稚のままだ。その後も何度も頭を打って、だが未だにそれでいいと思っている。友情や愛情と名をつけた行為で、その後に見返りを求めることなど、それが正しくても正しくなくても、少なくとも私は死んでもしない。

特攻隊員N氏のこと

Bさん、昨夜Bさんの夢を見ました。昨日、元上司のN氏のことを特攻隊がらみで思い出していたのです。私達が新地でした詩画展にN氏がみえてね、Bさんを見て「あの人は、クラブの奥のカウンターの隅で、ひとりでトランプ占いをしているような感じの人だね」と。その言葉を思い出したから、多分突然Bさんが夢に現れたのだと思います。Bさんも昔、特攻隊の恋人がいたんですよね。あのね、Bさん、あのN氏も、実は特攻隊員だったんです。

N氏は子供がいなくて、油絵とバイオリンとドイツ語を楽しむ趣味の人でした。N氏兄の話によると、子供を持つ気ははじめから無かったみたいです。N氏の妻は、N氏が妻として迎えなければ、おそらく社会生活が不可能な方のようでした。さらに、その妻には精神病院への入退院を繰り返す実姉がいて、N氏は結婚と同時に大きな重荷を抱え込んだのです。N氏兄は、N氏が選んだ結婚にいつまでも不満の様子でした。「よりによって」という思いと、自分の息子や娘の将来に於いて、弟の結婚相手は大きなマイナスにしかならないからだと思います。
今になって思うのですが、敗戦とともに自分の人生は終わったことにしようと、N氏は思われたのだと感じます。自分を必要とする妻や妻の姉のためだけに、大きな反対を跳ね除けて、生きていこうと決心されていたように思います。死んでいった多くの特攻隊の仲間達のことを考えると、幸せに暮らす権利や、自由や快楽を求める権利など、自ら放棄されていたのだと思います。
N氏の妻にしろ、妻の姉にしろ、戦争が姉妹に耐えがたい恐怖や不幸を与えた、その結果なのかもしれません。戦争の残忍さの犠牲者なのかも知れません。

会社を辞めて10数年経った頃、後輩のSからN氏の病死を知らされました。葬儀はひっそりと寂しいものでした。出棺の時、棺を担ぐ年配の男性数人がN氏の名前を呼びながら涙を流しておられました。この方達だけがN氏の人生及び人生の選択を知っておられるのだと思いました。N氏の妻も、妻の姉の姿も見えませんでした。とてもじっと耐えられる状況ではないからと、とんでもない事態にならないようにと、どこかに隔離されたのでしょう。
「ウェーン」「ウェーン」とN氏の飼い犬二匹が、葬儀の間中ずっと、悲しそうに泣き続けていました。犬が人間と同じように泣きつづけることを初めて知りました。
・・・・・・・・

参照: Tel quel Japon : 特攻隊

森林大学:森林ボランティア

森林ボランティアで知り合った千野さんから年賀状が来た。「再び山への思いが熱くなり、昨年はよく山に登りました。森林ボランティア参加はゼロでした」と書いてある。後ろを見て驚いた。カムチャッカ半島、アバチャ山、7月と写真の上に印字されている。私にはヒマラヤか八甲田山か月の裏側かよくわからないが、人間の生を完全に拒絶しているまるで異空間だ。こういったアネクメーネの極限で、生物としての人間の能力が問われるのだろう。厳しい環境の中でなんとか生き抜いてきた人類としての遠い昔の記憶が蘇るのかもしれない。精神も肉体も極限までそのあり方を問い詰められるのだろう。

6年前、日本森林ボランティア協会主催の「森林大学講座」に参加した。定員30名。私たちは9期生。
森林の成り立ちと林業経営、森林の保全、道具の手入れと使い方、動植物の生活観察とその環境保全、山での危険のあれこれと応急処置法、ネイチャークラフト、野外ゲイム、グループ活動の企画・立案、山の所有者や現地コミュニティーとの人的交流、自然の中での共同生活、・・・思い出してもたくさん学んだものだと思う。
千野さんと親しくなったのは、この日本ボランティア協会が所有する鳥取県の広大な山中での実技合宿の時だ。山に入るとあちこちにまだ、鳥取地震の爪あとが残っていた。
樹木を切り倒して、さらに丸太を小さく切る。炭を焼き、クラフトをつくり野外料理を、土を掘り火を起こすところから完成させ、全員で部屋の掃除をし、日の出を拝みに懐中電灯をもって「うさぎまっか」の山頂に登り、・・・、そのほとんどすべてに何の経験もない私は、心臓が目を回しているような状態だった。ガバガバとお薬を飲み、マイナス2度の暗闇に飛び出したまではよかったが、5分もしないうちに先頭から大幅に遅れる。ジェントルマンの荒木さんが最後尾についてくださった。皆平然としているのに、私はすでにマッカッカ。まずコートを脱いで荒木さんに持っていただく。次にセーターを一枚脱ぐ。汗だくなのだ。マフラーをはずす。さらに一枚セーターを脱ぐ。
「下着までは脱がないでくださいよ」と荒木さんがおっしゃったが、本当は皮膚まで脱ぎたいほどの発汗なのだ。フーフーハーハーはもうとっくに通り越している。
誰一人、コートを脱いでいないのだから、誰の目にも私の姿は異様に映ったことだろう。
「うさぎまっか」の山頂には、確かに真っ赤な太陽が昇ってきた。

宿舎に到着した日にまずしたことは、布団干しと部屋の掃除。カメムシかヒッツキムシか、クサムシかコガネムシかなんだかよく知らないが、部屋の中は、聖書にあるイナゴのように、ここかしこ、虫と虫のフンだらけだった。ゾゾゾッーとする。
若い男性も女性も、窯を造って煙突を取り付けて、一晩中野外にテントを張って、炭を焼いていた。
私が張り切ったのは、間伐と枝打ち。千野さんとペアーを組んで、ノコギリでゴシゴシと。千野さんとは最初からすっかり気があって、周りの人から漫才コンビと言われた。掛け合いが即「漫才」になってしまうのだ。千野さんがまじめな顔で言った。
千野「私、どんな深刻な状況にいても、深く悩んでいても、笑いを取ろうとおどけてしまう自分がいるの」
B「なんだか、わかる気がする。サービス精神が過剰なのよね、きっと、私たち」

9期生の中には、毎年ウランバートルでの文化交流の滞在を続けている人、過疎地で毎週農作業ボランティアをする人、地元で森林ボランティアとしてすでに長年の経験を積んでいる人、緑のトラスト協会で活発なエコ活動を展開している人など等が多く、本格登山から転身しようとする千野さんは、100%完全に場違いな私に、ひょっとしたら一番近かったのかも知れない。

piano lady & piano boy

Lessonが終わると18歳になったばかりのMM君はいきなりpianoを弾き始めた。聞き覚えがある。シャンソンだ。タイトルが思い出せない。MM君は希望に満ちて明るく弾いている。
「これ、タイトル何だった?」
「Je te veux.エリック・サティーです。」

今年の夏、彼はフランスに音楽留学した。そして来春からはpiano修行を本格的にするためにフランスに旅立つことになっている。私は彼の、そのためのフランス語教師。

彼の叔母SMは私のpianist(かなり無理矢理に、一方的にこう紹介していいかどうか?)。大阪にある○○国際外語学院で、彼女は英語を、私はフランス語を教えていた。私が18歳の彼に出会ったのは、したがって彼女の紹介があったからだ。
彼女は元同僚と言うだけでなく、町名は異なるが同じ市内に住んでいる。

8年前のある夜、このSMから「Bruxelles先生、シャンソンを歌いませんか?」と電話がかかってきた。「pianistを探している」と言ったのを覚えていてくれたのだ。飛び上がるほど嬉しかった。
持ち時間は20分、ミニコンサートができる。主催者からは、なるべくよく知られている曲を日本語でと、注文があったが、私は全曲Barbaraでなければ、私が歌う意味がないと押し通した。
彼女は英語教師をしているが、音大のpiano科を出ている。連日彼女の家に通いつめて、練習を積んだ。「ラ・ソリチュード」のイントロを聞くだけで、喜びに身体が震えた。

場所は駅前のビルの中のコンサートホール。ほぼ満席だ。近所の人に頼んでサクラが二人。「Bちゃん、待ってました!」と一人が登場のとき大声を出してくれた。もう一人は終わった後花束を。
どういう演出があるのか知らされていなかったので、曲目紹介を自分で書いて準備して、アナウンス担当の人に渡した。「黒いわし」の一部はフランス語で歌ったが、その他は、実はとっくの昔に出来上がっている自分の訳詩で歌った。
舞台の袖に立つと曲目紹介が始まった。

*ひとつの恋が終わって家に帰ってくると、そこに待っている。部屋にまで入ってきて、やけにやさしくしてくれる。それは私のところに再び戻ってきた、孤独「ラ・ソリチュード」・・・

そこで例のイントロが入ってBruxelles登場。実は練習のときこの曲が一番あわせにくかった。だからヒヤヒヤもの。

*家出した父が危篤だという突然の知らせ。ナントの病院に駆けつけたときは、すでに息を引き取っていた。見知らぬ街、ナントには雨が降っていた。・・・

声がよく出ているではないか。客席は皆聞き入ってくれている!!

*「帰ってくる」という言葉を信じて待ち続けたけれど、季節はどんどん移り変わって・・・。一体どれくらい待てばいいの・・・? ねえ、いつ帰ってくるの?・・・

自分が書いた曲目紹介に自分でゾクッとくる。すでに落ち着きを取り戻して、客席全体を見渡す余裕が出た。本当はシャンソンよりもロックが好きなpianistが気合を入れて弾いてくれている。いよいよラストだ。

*湖のほとりで思い悩んでいた冬の日。そこへ突然現れた黒いわし。心ときめかせて花々を摘んだ幼い夢多き日々へ私を連れ戻しにきた鳥。時を絶って、今を捨てて、ワシの背に乗り、帰っていこう、「過去」へ・・・

そこへ例のイントロが入る。なんて幸せなんだろう。「黒いワシ」をこんなに大勢の前で歌えるなんて、なんて幸せなんだろう・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・

来春渡仏する未来のpianistの彼がいつ帰国するかは、今は未定だ。
彼の両親はおそらくそれを望まないだろうが、いつか彼が実力をつけて帰国した暁には、今度は彼の伴奏で、大勢の前でぜひもう一度Barbaraを歌ってみたい!

一緒に遊べへん?

「おばちゃん、今ひま? ひまやったら一緒に遊べへん?」
昨夜銭湯で5歳と7歳の女の子二人にナンパされた。
「おっちゃん、今ひま?」と、どこかで言ってるんじゃないかと思うくらい、堂に入った態度、ちょっと斜めに構え真剣なまなざしでこちらを見る。
いつも考え事をしているので、子供に愛想を振り撒いているわけではない。どちらかと言うと、接近禁止オーラを発散しているつもりなのだけれど、仲間に見えるらしい。

いままでも時々あった。勝手に7歳くらいの男の子が纏わりついてきて、一人で盛り上がって、挙句にその子はお母さんに叱られていた。
「一緒に遊んでいただけだよね」と相槌を求めてくる。
6歳の女の子は、いきなり身の上話を始めた。
「お父さんはコーナンの薬局で働いている。お母さんは看護婦。お姉さんにはボーイフレンドがいる。私はV6の○○のファンで」・・
考え事をしている姿が、多分幼い子供には「ひまな人」に見えるのだろう。

昔、美絵がまじまじと顔を見て「あんた、おとな、子供、どっち?」と聞いてきた。4歳の姪に「あんた」呼ばわりされて吃驚したが、その次の質問にもっとびっくりした。大人に見えないのか?

幼い子供は、この人は「遊び仲間」になるこちら側の人かどうか、本能的に嗅ぎ分けるのだろうか。
子供と遊ぶのは好きだけれど、知らない子供とは決して遊ばない。だって、忙しい大人だもん。
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DALIDA 「Gigi l'amoroso」

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