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大阪弁

まだハイティーンの頃だったような気がする。一時期だが大阪弁に耐えられなくなったのだ。
一番嫌だったのは「ほんま」(本当)という音。「とんま」じゃあるまいし「ま」で終わるのが間が抜けているように感じた。これに「でっか」がつくと「ホンマでっか」ーがさつな人格を感じてしまう。他にどうも許せないのが「ほんなら」ーこんな言葉をうら若き女性が使えば、幻滅でしかない。これに「さいなら」が付くと「ほんならさいなら」ー女性がこんな音の言葉を口にして、上品でいられるわけがない。聞くのも嫌だった。
「そうでっしゃろ」は「で」の音が嫌だ。「かめしまへんか?」は「め」の音が嫌だ。「すんまへん」は「すんま」の音が嫌だ。「ちゃいまっか」は「ちゃい」だ。「違う」と何故言えないのか。「あんさん」(あなた)、「あて」(私)、「どないだ」(どうですか)「ごめんやす」(ごめんください)「ほな、行きまひょか」ー「まひょ」とはふざけた音だ。「怒ってはんのでっか?」は「はんの」も「でっか」も音から意味が類推できない。「堪忍しとくれやす」ー「とくれ」って?「ておくれ」から変化し過ぎ。「あきまへん」の「まへん」も「ません」からの変化。「ませ」と「まへ」を比べると「まへ」は音からして否定がきついし「へ」の音は礼節を欠く。こう書いていくと、嫌い、はかなり主観的で、論理的ではない。
「どうして大阪弁はこんなに汚いのか」と祖母に言ったら「それは歴史や文化を背負わない者が、口先だけで話すからだ」と言われた。「それに、今大阪弁と言われているものは、所謂関西弁で、関西一円から大阪に働きに来た人が口にする言葉で、本来の大阪弁ではない」と言った。しかしTVで花登筺の台本のドラマを見ると大阪の船場のひとが話している、若いものが使う関西弁とはまた違う、と言ったら「TVの船場言葉自体が間違いだらけだ」と言った。どこがどう間違いなのかはよくわからない。まあ結局は言葉というものはーどんな人の口から出るかーで美しくもなれば汚くもなる、ということだろうか。自分の生まれ育った言葉に美を感じたり馴染めなかったり、使おうとしなかったりするのは、不幸なことだ、と言われてしまった。
それから私は大阪弁のコレクションをしたりして、馴染もうとしたのだけれど、どうも自分を3枚目の立場においてしか、つまり笑いを取ろうとしたり、ふざけたりした時しか使えなくなった。そして確かに祖母が言ったように大阪弁と言われるものにはいろんな言葉が混じっている、もはや純粋な大阪弁などはない、何をもって大阪弁というかも定かではない。
そんなわけで私は大阪弁嫌悪症から比較的簡単に回復できたのではあるが、やはり未だに時々後遺症がでる。しかしよく考えるとそれを話す人にまで違和感を感じるような(大阪弁)は確かに大阪弁ではない。大阪の地方語の場合が多い。後遺症が出るのはこんな場合だ。私のとびきり美人の女友達がこう言った場合。「あっ、しもた、壊してもた」ー「しもた」は「しまった」、「壊してもた」は「壊してしまった」。インクのシミを白い服に落とされたような気持ちになる。私のハンサムな男友達が「券あるから、来週その映画見に行かひん?」といった場合。「行けへん?」を飛び越えて「行かひん?」って。馬じゃあるまいに「ひん」とは何?ハンサムな顔が馬に見える。友達なのに埋め難い距離を感じてしまう。後遺症である。
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福田恆存

ここに以下のような福田恆存氏の文章が引用されている。
「日本人にとつて、どつちが正しいかといふことは二義的なことなのです。大切なのは摩擦といふ醜い状態から早く脱して、和合に到達することであります」
最近あちこちのBlogでこの引用を見る。さすがは福田恆存氏、すごいことを見抜いておられる。

10数年前、隣のビルの寿司屋のモーター音で、家中が船底状態になって、日常生活がおくれなくなったことがあった。一番最初に会った、高校時代の友人のY君に「まず市役所に音の測定を依頼しようと思っている。市民が平穏に暮らすための条例があるはずだから」というようなことを相当思いつめて言った。それに対してY君は意外なことに「そんなことはしないほうがいい」と言った。高校時代から彼はいつもわたしを守る、というpositionをとってくれた。この時も母を亡くしたわたしを気遣って食事に誘ってくれたのだった。ではどうすればいいか、と問うと「我慢しろ」ということになる。我慢できる範囲なら誰だって、我慢を選ぶ。ただ彼は「そんなことをしたら、近所と諍いが起こる。君一人では耐えられないだろう。大変なことになる。やめろ」というわけだ。
その時ものすごくびっくりしたのを覚えている。なぜそう言う発想になるのか?なぜ解決を考えないのか?他人事だからか?問題化することはいけないことなのか?それこそが解決のスタートになるのではないか?
それが長い間謎だったが、上の引用でよくわかる。彼は普通の日本人なのだ。日本人にとっては問題を解決することよりも「摩擦を避けること」が最優先なのだろう。彼は解決については何も言わなかったが、ほかの人の意見によると「引越ししなさい」が圧倒的に多かった。近所に一件空家があったが、その空家と家を交換してもらいなさい、というアドバイスもあった。空家は私の家よりも随分小さく、しかも廃屋に近かった。どういう神経でそんな失礼なことを言うのか、とかなり腹が立ったが、その人はそのひとなりの親切心からの助言のつもりだろう。
友達や親戚でも、人が落ち込んでしまった問題には、まず関わり合いたくないのだろう、とその時は思った。市役所自体が騒音の測定をまともにしなかった、データーの提出を拒んだ。最後はあからさまなデタラメを言った。市役所は当然第三者であり、どちらが正しいかなど、どうでもいいのだ。問題そのものが、存在しないことにしたい、そういう態度があからさまだった。それを友人や親戚に相談しても「役所とはそういうところですよ」という。「そんなことも知らなかったのか」と言った昔からの友達(YS)もいた。確かに私は日本とはそういう社会である、ということをその時まで知らなかった。当時はたくさんの友人がいて、たくさんの友人に相談したが、皆同じような態度だった。解決など全く考えない。皆それぞれ問題を抱えていて、必死で生きていて、人のことにかまっていられないのかな、と思ったが、どうもそうではないらしい。結論から言うと、全員の意見や態度はひとつにまとまる。「摩擦を起こさないこと。決して争わないこと」こそが最優先の最大の善なのだ。
上の福田恆存氏の文章からの引用を読んで、ようやくあの時のモヤモヤが、すっきりしたような気がする。

和を持って貴しとなす、などという日本の国是は、問題の分析どころか、問題点の抽出さえしない。多くの場合被害者を説得して口封じに励む、「まーまーここはひとつ穏便に、手打ち手拍子、えっさっさ」というごまかしである。アメリカでトヨタが裁判に引っ張り出されるような理不尽ないじめにあっても、中国でユニクロがテロで破壊されても、韓国とのサッカーの試合で繰り返し国の歴史を侮辱されても、日本人はその怒りを(自分が直接損害を受けるわけではないと思うからなのか)すぐに忘れる。そうだ確かに福田恆存氏のご発言は日本人の性質を射抜いている。とは言え福田恆存氏を讃えるためにこの文章を書いているわけではない。
原爆を落としたアメリカが与えたあの日本国憲法の前文、ご存知だろうか?あの馬鹿馬鹿しい前文は、皮肉なことに、日本人の特性にぴったりと符合するではないか。それゆえ日本人は体質的に護憲派であり謝罪派なのだろう。このままでは日本人は「正しいかどうか」を白日の下に徹底的に掘り下げることがどれだけ重要かを、永遠に知ることはできないだろう。

府民共済保険

若い時は保険などという概念がまず嫌いだった。誰が考えたかしらないが、実体のないコンセプトだけの商売だ。人の心の不安を商売にする。差し出すものは「安心」という見えない価値だけ。濡れ手で泡。
でも交通事故で長期入院してから、保険の大切さを知った。それから郵便局の簡易保険にも入ったし、生命保険にも入った。すでにともに満期を迎え終わりにした。今入っているのはタイトルにある府民共済保険。
人間歳をとると孤独になる。周りの人も次々となくなるし、思い出を語れる人も少なくなる。孤独は当たり前だ。最近年をとるということは孤独だけでなく、社会的価値が少しづつ認められなくなることと同じだと考えるようになった。早い話が、そろそろ死んでもおかしくない、「えっ?まだあの人生きてるの?」などと言われるようになる。わかりやすく言うと、死んでも誰も悲しまなくなる。退場の潮時に近づき、潮時をいつか超える。死んでも誰も悲しまなくなるだけで無く、周りの人がほっとしたりして、あるいは少し喜んだりして。少なくとも命の価値は年齢とともに減少する、これは事実だ。
府民共済のパンフレット。月掛2000円のコース。18歳から60歳まで事故・病気の入院に対して保険金は一日10000円。同じコース同じ掛金なのに60歳から65歳までは7500円と値下がりする。(ほらね、年をとるだけで価値が下がる)65歳から70歳は5000円、70歳から80歳は3500円、80歳から85歳は2000円、どうです?一日10000円だったのが2000円。病気死亡の場合は、長年かけても一時金が3万円。生命保険ではなく入院保険なので、この3万円は仕方がないけれどね。歳をとると価値が下がる、ということを具体的に数字で示された気がする。
身体のどこかが悪くなって病院に行っても「もうお年ですから、仕方ないですね」と言われた、と怒っていたひとを何人か知っている。「医者のくせに直す気が無いように思える」らしい。そう言えば私も眼の調子が悪くなって眼科にいったら「飛蚊症です。これは加齢が原因ですから、治療方法はありません」とあっさり言われた経験がある。年取って手術を希望したら「その年でまだ手術までして生き延びたいのか」と言われた人もいる。死ぬ死なないは自分では決めようがないが、少しづつでも「退場」の心づもりをしておいたほうが、土壇場でのショックを少しは防げるかもしれない。マッカーサーではないが、死せずとも去りゆかねばならぬ時が誰にでも来る。
「老兵は死せず、ただ去りゆくのみ」この言葉は祖母から聞いた。源氏物語における出家のようなものだ。究極の出家は補陀落渡海なのだろう。府民共済のパンフレットは取りあえず破り捨てたが、一時金の数字が意味する事実からは逃げないでおこう。ここ15年のあいだに10回以上葬儀に出席したが、家族であろうと親戚であろうと、心が潰れるほど泣いている人をめったに見なくなった。日本人が長生きしすぎるようになったのも一因かもしれないが、人の情愛、家族の情愛が、希薄になっているのも確かだと思う。一言で言うと、日本人は薄情になっている、しかも急激に。そう思いませんか?

孤独、政治という宗教

「年寄りの気持ちは年寄りにならなければわからない」と祖母がよく言っていた。確かにそうかもしれない。最近祖母の気持ちがわかるように思う時が多い。
思い出すのは夫も子供も兄弟もいない祖母だ。たったひとりだけ甥がいたがもう甥自身が私の記憶では老人だったし、会いに来ることもなかった。その甥にとっても自分の子供時代を知っているのは祖母だけだ。祖母が亡くなったとき連絡しなければならなかったのは、その甥だけだった。
「おばさんが東京に住んでいたことがあって、遊びに行ってあちこち案内してもらった」という思い出を語られたが、初めて聞く話だった。祖母が東京に住んでいたって?想像もつかない。なぜ戻ってきたのだろう。いつごろのことなのだろうか。
考えてみれば私の知っている祖母はとことん孤独だった。社交的だったし、人当たりも良かったし、マナーも心得ていた。しかし晩年お友達は全くなかった。いかんせんかなりhighbrow過ぎたのだ。話題も話も近所の人たちとは全く合わない。私が二十歳の時に80歳でなくなったが、人生の最後の20年間、どんな思いで過ごしたのだろう。

最近カルトについて深く調べている。教団は人の心の孤独につけ入ってくる。そう思う。アンケートをお願いします、とか手相を見せてくださいとか、人通りの多いところで話しかけてくる。そしてビデオセミナーに誘う。最近マインドコントロールが解けて脱会したひとのvideoを国内・国外共にたくさん見たが、どうしてこんなものに引っかかるのだろうと、不思議に思うが、実際あちらにはマニュアルがあって、どんな人でも誘導されて、気がついたときには「もうここで生きるしかない」という状態まできてしまっている場合が多いようだ。誰でも引っかかるようにできているのだろう。人はかくも仲間を必要とする生き物なのだろうか?あるいは他力を必要とする生き物なのだろうか。

世の中には不思議なことも多い。科学では説明がつかないことも多く体験する。流れる水に落ちた枯葉のように感じることも確かに多いだろう。そんな時人は神の存在を希求する。そして宗教が口を開けて常に迷える子羊たちを待ち受けている。私は別に宗教を否定するものではない。しかし、調べれば調べるほどに、どんな集団も集金マシーンだと思う。快楽や物質的欲望を否定し、すべてを吐き出させる。そして信者を支配する。どの宗教も、絶対的服従を要求する。最近カルトについて多くを調べて特に思うのだが、宗教と政治は似ている。否一体化してきていると言ったほうが適切かもしれない。寄付をさせられるのに、寄付をさせていただく、というふうに思わせる。ありもしないご利益を授ける、というふうにgive and takeのバーターだと思わせるのだ。こういうふうに書いていると、お前は宗教とカルトを同列に論じているではないかとお叱りを受けるかもしれない。カルトばかり深く調べているので、確かに今の私の目には宗教とカルトの区別はついていない。そして政治の本質もカルトに近いと思うようになっている。

今保守のBlogで安倍晋三に裏切られた、という議論をよく見る。安倍晋三を信仰していた人達なのだろう。実績も能力も必要な胆力も何もないのに信者だった人たちがいたということだ。彼らの話を聞くとTPPに参加しません、という言葉を信じていたのに騙された、裏切られたということらしい。まだすがりついている人もいて、安倍さんは最後にはちゃんと交渉して国益に反しない条件を付加するはずだ、という意見もある。保守のBlogを見る限りではTPP断固反対が安倍氏の「売り」だったらしい。ところが今日のニュースを聞いて驚いた。NHKニュースでは「日本の参加が容認された」などと表現している。産経新聞も同じだ。つまりよく聞くと「安倍さんの命をかけた苦心惨憺の交渉のおかげで、参加など端から拒まれていた日本が、念願叶って、参加できるところにまでようやくこぎつけた」と意味づけているではないか。この調子なら今安倍さんに裏切られたと嘆いている保守の一部の人たちも、そのうち、マインド・コントロールにかかって「TPP参加万歳、安倍さん、ご苦労様、よくやってくださいました」などと感涙するのではないかと思う。「安倍さんを最後までお守りしましょう」とか「安倍さんに裏切られた」とか、そんな馬鹿馬鹿しいことをよく言うなと思う。政治家を「信じる」とか「お守りする」とか、その時点で既にカルトである。またカルトこそ所謂保守の体質であることは歴史が証明している。
戦後国民的連帯感をなくして人々はそれだけ孤独なのだろう。保守は特に孤独なのだろう。日本や日本人から奪い尽くそうと企んでいる国々ばかりだ。頼れるのは国内の保守の政治家しかいない。そういう状態で孤独なのだ。そして保守は孤独から逃れるために、そのためだけに「必死」なのだ。こういうふうに騒ぐBlogの多くは、歴史や国際政治の独自の検証など一切していない。だが保守の国民だけがこのようにカルト信者なのではない。保守の政治家自身が実はカルト信者なのだ。原因?日本は国として老いてしまった、そして保守の国民は現実的にはその老い故にとことん今孤独である。また日本国自体も国際社会の中で既に充分に長い間、危機的にまで本質的には孤独で有り続けてきたことも忘れないでおきたい。

飛行船

昨日お天気が良かったので、電車に乗ってお墓参りに出かけた。
お墓から引き上げようとして左の上の空を見上げたら、おかしな物体が空中に漂っていた。かなり大きい。よく見ると飛行船のようだ。下の方に操舵室が付いていて、手を振ると、あちらも手を振ってくれるかもしれない、と思える位の近さだ。はじめはアドバルーンかもしれないと思っていたが、ゆっくりではあるが動いている、またアドバルーンにしては紐に繋がっていない。楽しい気分にはなったが、別に驚きはしなかった。
今日調べてみたら、保険会社の宣伝のための飛行船だったことがわかった。
You Tube & You Tube & You Tube :
こういう飛行船もちゃんとフライトプランを提出して飛行しているのだろうか?こんな低空飛行なら、お墓の上ならまだしも、高層ビル街に行くと、ぶつかりはしないか?強風にはどういう対策をとっているのだろうか?胴体からして、小回りが利きそうには見えない。しかし形が愛くるしくて、見ていて楽しい。ドラエモンの世界に入り込んだような気分がした。
近鉄百貨店はまだ改装中で、ものすごい高さになりそうだ。そしてその真ん前に、これもまた数えるのが面倒なくらいに高層のホテルが建っていた。以前は銀行、もっと以前には中華料理店が一階にあったビルが建っていたところだ。何が変わったかと言って、阿倍野橋界隈ほど、変化したところはないのではないだろうか?(否、梅田も変化している?)そう言えば、道が新しくできるとかで、お墓の区画整理もかなり進んでいた。うちのお墓は石原久之助さんのお墓と同じ区画の中にある。ほかに一基だけ区画外にはみ出している、先祖の女の人のお墓があった筈なのだが、それは区画整理でなくなっていた。どんな人かはしらない。多分出戻りでもしてきたのか、道ならぬ恋でもして、区画内には入れてもらえなかったのだろうか?思い出した。確か、おまきさん、という名前のかたのお墓だった。

わたしの昭和史 少年篇 西尾幹二著 に触れながら

実は10年くらい前?図書館でもっと巨大でぎっしり字の詰まった類似本を手にしたことがある。中をペラペラと読んでその文字の量と質に圧倒され、こんなに頭のいい人に近づくのは10早いと思った。今回図書館で調べてもらったら、そんな本はないということだったので、わたしの昭和史 Ⅰ、Ⅱ、と2冊借りてきた。
今回この2冊を読んで、現在の西尾氏はあるべくしてここに至った方だと思った。
人間は決して個ではなく、父母がありそして分離し難い存在としての私がある、と書いておられた。確かにこの本はその実証そのものであると思った。紛れもなくこの父母あるゆえに現在がある。おそらく皆がそうなのだろうが、この飛びぬけた知の巨人は、運命的にある種の使命を持って特別な星の下に生まれたと言えるだろう。
この少年は家族だけでなく教師たちとも真剣に向き合っている。少年が向き合うというより、教師たちの方がこの少年に何かを感じて体当たりしてきているようにも思えるが、客観的に見てすでに格が違う。子供らしく素直なのだが、言葉をもって獲得している世界認識の水準が並みの大人では到底追いつけないレベルに達している。家族だけでなく教師や友達にも恵まれ少年らしくすくすくと発達していくのだけれど、幼くして「言語によって思考を構築し、それを自由自在に操り、独自の論理を組立て展開する能力」は、飛び抜けている。つまり洗脳や、洗脳されたものの譫言を跳ね除ける知性と言語能力を完成させているのだ。
私も西尾氏のように幼くして短詩形文学に親しみ、詩を書き詩集を出版し、小説を書き認められ出版され、さらに言語論も様々に書いてきたが、その早熟度においては比較にならない。

少年篇ー1、から私が特に注目した点をひとつに限定して取り出すとするとそれは、西尾秀太郎氏、即ちお父上がりんご箱に残された昭和7年発行の小冊子である。
「連盟の全権の強行態度に関して」、この内容は私がTel Quel Japonの核としている内容・主張とほぼ一致する。ので大変驚いた。私は松岡の頑張りと孤軍奮闘に一番心を動かされている、多分13才くらいから単身渡米し、ロサンゼルス大学の文学部と法学部を卒業して25才くらいで帰国したという祖父の姿を重ねているのかもしれない。本来外交官に必須の祖国への愛と誇りを持って対等に発言し、言をもって堂々と立つ心意気は、私は松岡にしか認めることが出来ないのだ。ハーバードの留学生たちは皆啓蒙され日本よりも米国の支配階級に身を近づけている。即ち屈しているのである。

少年篇ー2、に関して、やはり一点に限定して取り出すと「教師や学校との一騎討ち、と遠田イズムの結果としての学力の低下」である。
わたしの人生の中では学校や教師はほとんど意味をなさないので、そこが全く違っていて多少驚いた。
私の祖母は「教師が過大に尊敬される土地は、それだけ文化が低い。文化が高い土地では、教師の地位は逆に低い」という説を唱えていて、自分が焼け出され着の身着のままで辿りついたこの田舎(田舎の人は都会というが)にはデモシカしかいない筈だと常に言っていた。それゆえ生意気に聞こえるかもしれないが、自分を磨くために接するべき人間は身の回りにはいない、まして学校にはいないと考えていた。私が現実に足を置かずに、幼いうちから文学に関わっていたのは、そのへんに原因があるのかもしれない。それだけでなく私はひどい喘息の持病があり、実際ほとんど登校出来ず、言い換えれば常に現実を奪われており、結果いつ死んでもおかしくない子供時代を過ごした。中学一年生の時には出席が完全に不足して、見通しが立たず「医師看護婦が常駐する寄宿舎付きの養護学校」送りとなった。そこを一年で逃げ出してくるのであるが、こんな状態なので公立中学に戻ってきた時には目も当てられない席次だった。祖母は一番でもビリでもこんな田舎の学校では何の違いもない、席次などで教師に評価されることを屈辱と思え、と教えた。学校などいかほどのものか。自分の価値は自分で作り出せと言った。そのくせ、どこの大学にはどんな教授がいて、その大学のランキングはどの程度で云々に関しては、驚異的な情報を持っていた。
私は20歳まで生きまいと医者などにも言われていたので、期待もなく絶望もなく、この世に執着もなく生きた。ただこの祖母は私の中に何を見出せば、評価してくれるのだろうか、とは考えた。ましてや女の子である。知に偏らず、出世などは論外、格闘家になるわけにもいかず...。その結果「どうせ死ぬのなら美しく死のう。愛ゆえに誰かと心中しよう。ロマンチックな情死がいい」が私の人生における夢となり目的となった。西尾幹二氏が男として立ち上がり決然として自分の人生を歩み始められる年齢と同じ年齢における、これが恥ずかしくも私の姿であった。祖母は私が20歳の頃にこの世を去った。私は20歳を過ぎてもまだ死ななかった。


Slow Life

私がインターネットの世界に入った9年ほど前、Slow Lifeということがしきりに言われていた。時間に追われてあくせくせず、ゆったりと季節の移り変わりを愛でたり、雲の流れに風流を感じたり、街中や野山を歩いて普段気づかない、動物や植物にふと目をとめたり、余裕を持った人生をおくりましょうというお勧めである。当時は一瞬それもそうだ、とも思ったが、今では馬鹿馬鹿しい。私はそもそもあまりあくせくした人生は送っていない。どちらかというともたもたという人生だ。もっとFast Lifeを目指さなくてはならない。
もともとこの提案は定年になった団塊の世代に向けられたものだろう。競争の人生から降りてゆっくり今までとは違うペースで第二の人生を楽しみましょう、という提案だったのだろう。
しかし思うに、定年になった後の人生、Slow Lifeなど、心がけなくても、動作は全般的にSlowになる。頭の回転も、会話も、自然とSlowになる。だから何もそんなものを提唱などしなくていいし、目的にもしなくていい。
・・・・・
親に「のろま」とか「さっさとしなさい」とかしきりに言われて育った子供は自分のことを「のろま」だと思い込むようだ。そしてそれを自分の欠点だと認識している。私の姪の一人がそうだ。それで私は2,3年前に思い切って持論を彼女に伝えた。
「私ものろまで、愚図だけど、それは欠点ではないと思ってる。あくせくするのは、不安で自信がないからだと思う。だから、せっかちとか、すばしっこいとか、人に後れを取らないように常にスタートを早くするとか、それみっともない。ことごとくを競争と考えて勝とうとか思わなくていい。たとえば運動会の「走り」。最初から人を押しのけていく子は、みっともない。そう思う。自信があれば、一周遅れからでも、おもむろに走り始めて、追いつき追い越せばいいだけのことだから。Tちゃん、のろまとか、愚図は「余裕」だと思えばいいのよ。それに本当に重要な競争なんてそんなにない。だから負けるのも「余裕」よ。めったに勝てない子が頑張るときには、その子に華を持たせてあげるのよ。でも実力をつける努力だけはしておくのよ。そうすれば「のろま」や「愚図」でいられる。それって、カッコいいことだと思わない?」
T「変わった考え方ね。そんなこと言う人、初めて。でもそう考えると「のろま」の悪いイメージはなくなって、自分に自信が持てるね」
B「そうよ。Tちゃんはどこからみても、人より劣っているわけではないし。おっとりしているっていうのよ。おっとりしている、ということは長年にわたって蓄積された、かけがえのない美点なのよ。わかる?」
T「??? わかるような気がするけど、うん。ただなにしろ、初めて聞く考え方だから」

・・・・・追記:2012年3月1日・・・・・
今朝目覚めてこの入稿を再び考えてみた。「負けるのも余裕」とは言ってみたけれど、これが重なると最後には「敗北主義」になる。私がそうだ。競争や勝敗を度外視することは、楽なことは楽だけれど、あくせくすることもないけれど、負け癖がつく。それは余裕なのか、余裕がないからなのか、少し疑問に思えてきた。それと「のろま」には一つの欠点がある。周りの人をイライラさせてしまう。それは「のろま」の責任ではないのだけれど。
昔祖母とこんな会話をしたことを思い出した。
「Bちゃんが、外出するとき、見ているとイライラする。もう出かけたかと見に来ると、まだ愚図愚図してる。15分してもう出かけたと思って、見に来るとまだ居る。そしてもう一回今度こそいないだろうと思って見に来ると、まだ居る。もう遅刻は完全に決定的なのに。どうしてさっさと出かけないの?」
B「ぜんそく頓服をのんだけれど、効かないから15分前にもう一回飲んだの。こうしてじっと薬が効くのをいつものように待ってる。効かなければもう一回出かける前に飲もうか、どうしようか考えてるところなの」
祖母「・・・・・エェ!」

辛口日本人論-1

雑誌「正論」2012年2月号のP.274~P.277までは、正論側からの聞き手、小島新一と「日米衝突の根源 1858…1908」の著者である渡辺惣樹氏が氏の著作について問答するペイジとなっている。Book Lessonというコーナーである。このP.276に私が常々日本人に関して思っていることがズバリ書いてあった。本文全体の内容とはあまり関係はないが、その部分を書き出してみる。
渡辺:私は、日本人は対立関係のもたらす緊張の持続に耐える胆力が少し足りないのではないかと、心配しています。早く和解しようとする、仲良くしようとする。これは日本人の優しさにも通じるのですが、アメリカ人をはじめ西洋人は交渉では和解を目指しながらも徹底的に議論を尽くす。対立の緊張感をものともしない。そこに彼らの強さがある。最悪のシナリオに備えての準備も怠りません。
何気なく読み飛ばされてしまうかも知れないけれど、これは重大な指摘だと思う。
外交交渉のことに関して、言っておられるのだ。日本は、はっきり言って交渉事で成功したためしがない。外交的交渉力はゼロだと言ってもよい。交渉がうまく運んだと見える場合は、たいてい大枚をふんだくられているだけである。原因は、渡辺氏が指摘されるように「緊張の持続に耐える胆力が足りない」からだ、確かに。
わかりにくければ、自分の日常で考えてもよい。何か事が起こると、あなたは、泣き寝入りを選ぶし、他人が被害者の場合は、泣き寝入りを勧めるのではないだろうか?
どんなに心が通い合っている友の場合でも、夫婦の場合でも、相手が怒っている場合、宥めはするが、ともに怒ることは、めったにしない。同情してともに悲しむことはよくある。それより少ないけれど、ともに喜ぶ場合もある。しかしともに憤り、ともに戦うことはめったにない。この場合も愛情が信頼が希薄だと言うわけではなく、むしろ「怒る胆力、敵対者と対峙する緊張の持続に耐える胆力が不足している」ので、怒りの共有から本能的に遁走する傾向がある。それを日本人の優しさとみるか、胆力の無さとみるか。
私の好きな歌手のBarbaraはファンに「目を見開いて周りを見渡せ」というメッセージを残して亡くなっている。つまり、世の中をよく見て不正を見つけたら怒れ、という言葉を残したのだ。こんなメッセージを残す日本人はいないし、それを聞き入れる日本人もいないだろう。
特にここ半世紀余り日本人は損得で考えがちになってきている。自分以外の人のために怒っても何の得にもならない、他者のことで煩わされたくない、そういう思いが原因だとしたら、これほど悲しいことはない。人間が個人としての壁をとっぱらって最も強く連帯できるのは、問題の大小に関わらず、社会の不正に対して共に怒る、時ではないだろうか。
民族的に視点を移して考えても、「対峙する緊張の持続に耐える胆力の不足」は民族の存続にかかわる重大問題なのではないか、と思う。

日本人は変わった?

今日かつどん屋さんに行った。カウンター席のひとつおいて向こうに40代くらいの男性が、その隣に70歳代の女性がいる。「無理に食べずに残してもいいよ」と男性が女性に言ったので、二人が連れだということに気づいた。これは母親を気遣う息子さん?
息子さんはカツカレー竹、母親はカツカレー梅。母親の頭の髪の毛は相当薄い。そしてなぜかうつむき加減。息子さんは、体が大きくたくましい。妻子は今日は連れてこなかったのか?
男性が立ち上がったのは、6,7分後。よく見ると、お皿の上は空っぽ。母親のほうは、9割がた、出された時のまま。どうして母親が食べ終わるまで待たないのだろうか?と思っていると、息子に気兼ねしてか、母親もスプーンを置いて立ち上がった。「残してもいいよ」などという量でも、時間でもない。母親に食べる時間を与えていない。息子はすでにレジの前一メートルくらいに立っている。母親は、取り残されないように、懸命に息子の後を追う。母親は生活に疲れている様子だったので、はじめはそんな母を息子が食事に連れ出したのかと思っていたのだが、どうやら様子が違う。
レジの前で財布に手を突っ込んで、支払いをしようとしているのは、打ちひしがれた母親のほうだ!40代の息子は平気な顔で母親の少し後ろに立っている。
今は高齢者は年金をもらっている。ひょっとしたら、息子は、失業中か、引きこもり中かもしれない。ありえることだ。借金の申し込みに来たのかもしれないし、食事がしたいので、財布代わりに母親を連れてきたのかもしれない。少なくとも決して母親を気遣っているようには見えない。
いろんな人の話を思い出すと、このような場合、最近はたいてい母親が支払うらしい。私がこのシーンに違和感を感じたのは、母親が貧困に打ちひしがれていたように見えたことだ。父親がいて、父親がだすのなら、そう違和感は感じない。しかしこの母親はいかにも寄る辺がなさそうに見えたのだ。それでも最近の日本人は平気で母親に奢らせるのだろうか?

最近高齢者の女性に話を聞くと、99%以上のひとが死んだら家族葬でいいという。子供に迷惑をかけたくない、という。親の葬儀を出すことを迷惑だと考える子供が、日本にはそんなにも多いのだろうか?それぞれ家庭には事情というものがあるので、大きなお世話かもしれない。しかし「死ぬ」ことが何故迷惑などと、日本社会は認識するのだろうか?というのは、書店に行くと「終活」の本が多い。いかに回りに迷惑をかけずに、ひっそりとこの世から消えるべきか、懇々と書いてある。持ち物は小さくまとめ、所持品は出来る限り処分に励み、遺書をしたため、感謝の言葉を書き記し、墓を用意し、葬儀はなるべく家族葬程度を希望し、延命はせず、献体を申し出、できるだけひっそりと子供に迷惑をかけないように死になさい、と書いてある、そんな本がやたらと多く出版されて、しかもベストセラーになっている。老いたというだけで、何故そこまで、自分の生や死を、まるで忌むべきもののように自覚しなければならないのだろう。
私は出版社名をしっかり見ることにしている。筆者名もしっかり見ることにしている。そしていつもあきれ果てるのだ。日本人は変わった?それとも私が時代の思考に遅れてしまっているのだろうか?
生きることに遠慮する?しかも子供にここまで遠慮する?私ならそんな人生は、まっぴらだ。

「大人になりきれない人」の心理

四つん這いになって倒れている時しか、決して読もうとも思わないのが加藤諦三の本だ。心理的に充実している時には何の興味も湧かない。最近本文のタイトルと同じタイトルの加藤諦三の本を買った。つまりは心理的に折れて倒れてしまっているからだ。自分のことを「大人になりきれない人」だとは決して思っていない。しかしこの本の小さな項目をみると、ギクリとする「その通りです」という指摘があるのだ。書き出してみる。
第2章から
○人を愛する能力が問われている
確かに人を愛する能力も人の愛を受け入れる能力も私には欠乏している。認めざるを得ない。原因は年齢が加算され過ぎたためだと思っている。これに対しては、努力をするものではなく、自然に身についた「愛する能力」でないと、意味がないのではないかと考えている。
○最近の日本の親は、5歳児の大人が多い。
三面記事を見ればすぐにわかることだ。大人だけではない。中学生も高校生も5歳児が多い。政治家も弁護士も教師も5歳児が多い。出社拒否、集団自殺、うつ病、引き篭もり。しかしその大部分は個人の気の持ちようというより、むしろ希望のない現代社会にその原因があるように思うのだが。
○本質的な不満を抱えて心のそこから笑うことが出来ない。
笑うどころか、食事を味わって食べることすら出来ない。トラブルに巻き込まれ何かの被害者になって、全く救済されないで無視され愚弄された場合、本質的な不満を抱えない方がどうかしている。心のそこから笑う方が、むしろ異常だ。
第3章から
○誰かに依存できない時、辛くなる
全くその通り、辛さの原因を突き止めると、スーパーマンのような誰かに解決してもらいたい、という依存心、決して満たされない依存心が見えてくるかもしれない。辛い原因は、自分の未熟さにあるのかもしれない。認めざるを得ない。この依存心が満たされない自分を、不幸だと感じてしまうのだ。
第4章から
○目的があれば、負担を背負うことができる
目的に添わない負担も、目的さえあれば、背負うことができるのだろうか。目的があれば、あらゆる負担に耐えられるのだろうか。だとしたら私に非がある。私にはさしたる目的がないからだ。反省しよう。
○第5章
○愛する人がいれば、闘うことができる。
全くその通り。反省しよう。
○周囲を嫌うと生きる辛さが増してくる
確かに周囲を嫌っている。辛さの根本原因は私自身にあるということなのか?周囲を好きになる努力をしてみよう。
○幸せになる第一歩は、周囲の好意を期待しないこと
なるほど。私はいつも周囲の好意をかなり期待している。事態は好転するといつも期待している。それは間違ったことなのだろうか。成熟した人は、決して周囲の好意を期待しないのだろうか。
第6章
○生きることを楽しんでいる人の生活を見習う
よいアドヴァイスだと思う。しかし私の周りには、生きることを楽しんでいる人、楽しそうに生きている人、その人のような生活をしてみたいような人は、皆無だ。皆無ならば、探せと言うことなのだろうか。

こうしてブログに書くくらいだから、この本を読んでよかったと幾分思っているのだろう。ただこの本は「気の持ち方」で苦しんでいる人向けの書物だ。具体的にたとえば裁判云々に近いトラブルの解決には一切役立たない。ただ現実的苦渋だろうと、抽象的・心理的苦渋だろうと、人の苦しみの深刻さは同じだ。人生はあらゆる種類の苦渋に充ちている。人間関係や自己や人生をどうとらえるか、反省しなければと考えさせてくれる、多少の効用はこの本にはある。それと、あなただけが苦しんでいるのではないと言うことにも、気づかせてくれる

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