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第一回関西短詩の会

第一回関西短詩の会 2005年2月19日 (Sat) 19:17:42

前年、石津、石原両氏が来阪して電話があった時、会いに行こうかどうか迷った。祖母の許可が必要だった。
「家にじっとしていないで、行ってらっしゃい。私は自分の孫を、より広い世間の人に見てもらいたい。大阪といわず、東京と言わず、世界のどこへでも行ってらっしゃい。井の中の蛙は駄目。広い世界で真価を問うていらっしゃい」そう言ってくれた。
それまで、まるで籠の鳥だったので、許可が出ても道順というものがあまりよくわからない。阿部野橋のユーゴ書店で会った。

第一回関西短詩の会は梅田の旅館の一室で、主幹の山村祐が東京から来阪し、普段誌面でしか会わない人達も集まった。まずは自己紹介。過半数が長い川柳歴を持っている。「番傘」系の人達。まだ今ほど売れていない時実新子さんのお仲間達だ。私は自分が一番新入りで若いと思っていた。隣の席の子は16歳、神戸から来ました、と言った。
「一人で神戸から来たの?」「いいえ、母と」
「お母さん今どこに?」「パチンコ屋におります」クックックックックッ、、。・・
句会形式で、お題は「地下鉄」
ー 地下鉄や やがて手が出る 足が出る ?
「クックックッ、地下鉄に飛び込む人はいないんじゃない?」
風変わりな子、森光は今で言うフリーター。高校に行っていない。今年中に新潮文庫100冊読破を目標にしている。私生児のようで、お父さんは死ぬ前は新聞を発行していた、と言う。お母さんは水商売の道を歩んできた人のようだ。
「帰りに母と会ってください」と言うので、パチンコ屋まで一緒に行った。この母娘は黒岩重吾の小説に出てきそうだ。

山村祐は川柳人で元大蔵官僚。退職して豊島区で旅館を経営している。普段の東京の会合はその一室で行われるらしい。会員は全国に200人くらい?若者は川柳ではなく「抒情文芸」から入ってきている。後年「海とユリ」の主幹となる作家の芦原修二氏にも、まずこの「抒情文芸」を通して出会った。

1,2年後に森光から電話があった。「お母さんが自分のスナックをはじめたので遊びに来て」
従業員の女の子が一人いて、私と同年だった。水商売の世界以外知らない子で、私はたちまち興味を持った。なんだか、波乱に満ちた私の想像の及ばない人生を歩んできたのではないかと、勝手に思い込んだ。何回も通ってその子とばかり話し込んだ。
「あなたは純粋だけど、あの子はそうじゃない。ほどほどにしたほうがいい」と森光から後で家に電話があった。確かに次に行ったときは彼女に悪い客筋が付いていて店がピンチだと言うことだった。Open1年後に電話してみたら、既に店が潰れていた。

短詩本体には、石津、石原両氏が盛んに詩論を書いていた。ほどなく木村太郎氏や私も盛んに書き始めた。石原氏は短詩型文学に直喩を持ち込み時間の流れを導入した。私は1行の詩が、その直喩によって渦を巻くのを見た。石原氏が短詩集「迷走」を出すとき私に論評の依頼があったのでアントニオ・ガウディーの曲線の情念性を、現代建築の直線性と対比させて、石原作品に切り込んだ。詩論を読んだり書いたりしているうちにシュールレアリズムに行きついた。当時5カ国語を同時進行で学習していたこととあいまって、言語回線が混乱し始め危うくなってきた。
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Sylvie Vartan 「Irresistiblementあなたのとりこ」

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心斎橋に雨が降る

心斎橋に雨が降る 2005年2月3日 (Thu) 18:58:44

「またお手紙来ましたよ」酒田さんから電話が入った。
「ありがと。近々取りに行くので、・・男性、女性?」
・・酒田さんは姫神さんと出身高校が同じで私とは予備校で知り合った。私書箱の代わりに彼女の住所を使わせてもらっている。淀川が見える中津のメゾネット式のマンションに住んでいた。

「Bruxellesちゃん、川辺歌子って知ってる?」「知らない」
この前家に来てね、「2N世代」を見つけて「どうして酒田さんこの詩集持ってるの」って言うのよ。「私の友達の本よ」って言ったら「嘘でしょう。水平に動くエレベーター、読んだ?」って。それで引き出しを開けて「これが『2N世代』の生原稿よ、私がみんな預かってるのよ」って言ったら、目を丸くしてたわ。
「いつか有名になったら、これも価値が出る」って言ったら「あら、酒田さん知らないの?彼女もう有名よ」って。挙句に川辺歌子がね「酒田さんのこと、見直したわ」って言ってくれた。私鼻高々よ。・・
それで調子に乗って小説誌「海とユリ」の自分の住所として、彼女の住所を借りた。今度の手紙は茨城県の女性からだった。正体を明かして返事を書いたら、すぐに会いたいと言ってきた。酒田さんの職場、中津の東洋ホテルで会うことにした。

「まさか女性があの作品を書くとは、実は今も、信じられない」
「イメージ狂わせてごめんね。どんなところが気に入ってくれたの?」
関野「心斎橋に雨が降る。ことさら何ごともなかった劇場の幕が下ろされる、ように、しめやかに雨が降る、今、9月」
B「ああ、それは『置き去りにされた夜明け』の出だしね、なるほど、なかなかいいね」
関野「自分で書いたのでしょう?こういうのもあったわ」
関野「すっかり忘れるのよ。何もかも忘れるのよ。悲しいのなら、悲しいことは」「僕、みんな忘れるでしょう。何もかも。あなた以外は何もかも。そして明日になれば、あなたのことなんか、すっかり忘れるでしょう」
B「僕としては、上出来の言葉じゃないかーと思った。と続くのよね。それは情事の直後の場面」
関野「傷つけあって生きるのが人生なら、傷つくことを予防しながら生きるのは、一体何か。あるいは愛がある種の狂気なら、正気はひとつの喜劇にすぎない。・・(略)・・個人の主権が個人にある時、少なくとも一人称主語を有した発想が可能な状況で、仮に不幸を選ぶとしたら、それは自らの無能さの暴露でしかない。バカが風邪を引くのだ」
B「神経質なまでに自分をいたわり、他人には優しさだけは持続している。そして時には、ふとしたことから、あるいは退屈さをまぎらわせるため、あえてカゼを引いたりバカになったりしたいと思う」(「寝覚めのバルコニーで」)
関野「あのー、心斎橋に案内してくれませんか?」B「OK」

その後6年くらいの間に5回来阪したように思う。英会話の生徒がオーナーをしている臨海ホテルに部屋を取ったり、大阪湾沿いの臨海工業地帯や新興都市の泉北高速線に沿ってドライブしたりもした。私が交通事故で入院している時、ちりめんじゃこと水戸の納豆を持って病院にお見舞いに来てくれた。それは7年ぶりで(私はもう書かなくなっていた)初めて東洋ホテルで会ってから数えれば13年もたっていた。

私のお勧めで実は彼女も’75年のバルバラのコンサートに出かけている。「ピアノとアコーディオンのシンプルな舞台だったけれど、最高に素晴らしかった」とその夜東京から電話があった。じっとしておれなくなって、墨でバルバラにファンレターをしたためその上に富士山の水墨画を描いて、翌日の大阪公演を待った。

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Anne SYLVESTRE 「J'suis Un Bas Bleu」
この曲も村田先生に採譜してもらって練習したことがある。私にAnne SYLVESTREを薦めてくれたのは、Sabine Raffyだった。


2002年のカレンダー

2002年のカレンダー 2004年12月9日 (Thu) 16:25:30

高橋優子さんとは30年少し前に1,2度チラリと会って一言二言、言葉をhttp://blog8.fc2.com/someotherdays2/admin.php?mode=editentry&no=25交わしたことしかない。私の記憶は場所も言葉も覚えている。詩学研究会の会場を出たところ、ビルの入り口で「あなたは何年生まれ?」と聞かれた。顔も微かに覚えている。詩集が出る度に贈ってもらっていた。7年ほど前に突然電話がかかってきた。それからまたポツリポツリと連絡を取り合うようになった。ゆっくり時間をかけて少しづつ語り合った。彼女にとって私は「Gribouilleの家にいた人」なのだろう。私にとって今は唯一Gribouilleの情報を伝えてくれる貴重な、共通の過去を歩んだことのある人だ。
1997年現代書館から「女のいない楽園 供犠の身体三島由紀夫」という文芸評論が発売されたのを教えてくれたのも高橋優子さんだった。この本は第一回女性文化賞を受賞した。著者はGribouille。三島が「そうだよ、そうだよ、そうなんだよ」と充分納得するような、新鮮かつ真摯な見事な論評だった。彼女は友人を通して三島の私生活、性生活から照準を当てることもできた筈なのだが、そういう興味本位の姑息な材料には、潔くも、一切触れなかった。1999年には彩流社から紀行文学「女一人漂白のインド 恵みの岸辺ヴァーラーナスィー」がやはりGribouille著で発売された。・・2000年には思潮社から詩集「声のない部屋」、2002年には南風プレスから詩集「水の家系」が・・Gribouilleの筆の勢いはこのところ留まることがない。・・

私も、そう一度だけ、中ノ島図書館で手にした「詩学」の裏表紙に、彼女の個展案内を見て、その初日に思い切って公衆電話から電話したことがあった。何年ぶりかもわからない。ドキドキした。・・すぐには思い出してくれなかったが「あなたの古い友達だから、お願いだから声だけで名前を思い出してほしい」と言ったら「Bruxellesさん?」と、思い出してくれた。「さん」がやけに邪魔だったけれど。

そういえば、さらにその10年前に彼女から一度電話があった。「母が死んだ」ということだった。「あなたがお盆に、仏さんのお花を持ってきたことがあったでしょう。若いのに感心な子ねって母が言っていたのを思い出した。それで、電話した・・」と言った。「商店街を歩いていたら、安くて綺麗なお花があったので買っただけで、仏さんのお花とは、全然知らなかった」・・馬鹿みたいに素っ気無い返事をしてしまった。今だったら、娘にとって母を亡くした直後、母の言った言葉を辿り、その先にいる微かにでも母を見知っている人を恋しく思う気持ち、つまりあの時のGribouilleの気持ちを、充分察することが出来るのだけれど。

昨日高橋優子さんからカレンダーが宅急便で届いた。「これは2005年のものでなく2002年のカレンダーで、何の実用性もありませんが」と繰り返し書かれていた。
開けてみると真新しいカレンダーだった。それは女の暦編集室編集、ジョジョ企画発行の、1987年から続いている「女が女であることを高らかに謳いながら、道を拓いてくれた女たちへ、愛と感謝を込めて」毎年12人の女性たちを紹介する、というコンセプトのカレンダーだった。10数年前に一度手にしたことがある。平塚雷鳥、伊藤野枝、神近市子らが出ていた。高橋さんは3年間大切に保存していたものを、私のために、今、手放す決心をしてくれたのだろう。
11月をめくると私のよく知っているGribouilleの顔が出てきた。

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Mike Brant 「Dis-lui」

「神戸っ子」廃刊?

「神戸っ子」廃刊? 2004年12月2日 (Thu) 18:20:52

わがこひびとよ われしなば
しろききぬにて まきたまへ
わがむなもとの きぬの上に
あかきはなおば のせたまえ
こひのしるしの あかきはな
つみなるこひの しるしにと
わがこひびとよ われしなば
あかきはなのみ あいせかし (「わがこひびと」久坂葉子作)

12月31日が久坂葉子の命日らしい。21歳で京阪神急行六甲駅(現阪急六甲駅)で飛び込み自殺をした元男爵家令嬢(川崎造船、現川崎重工、創業者の曾孫)。
久坂葉子は19歳で「ドミノのお告げ」という短編小説を書き芥川賞候補となっていて、夭折の作家と言われている。初出は「VIKING」昭和25年4月号、元のタイトルは「落ちゆく世界」。

昨日(12月1日水曜日)の産経新聞の社会面に「月刊神戸っ子」が2回の不渡りを出し、事実上経営破綻したというNewsが出ていた。「月刊神戸っ子」は昭和36年、小泉康夫氏が創刊した、所謂地域密着型のタウン誌の草分け的存在で、神戸に文化の灯火を灯し続けてきた。
私も神戸で「風群」を発行する風群文学会の会長の紹介で32年前に、原稿を寄せたことがある。取り出して眺めてみると、淀川長治の「淀長立見席」という映画の解説や、若い若い筒井康隆の随想連載があって、そこには小さな字でーこの連載随筆に人口着色剤や合成甘味料は一切含まれておりませんーという、まことに筒井氏らしい一文も入っていた。
いよいよ「神戸っ子」も廃刊に追い込まれたかと、感慨深い。神戸で忘れてはならないもう一冊は前出の「VIKING」だ。「VIKING」はどうなったのだろうか。?

昭和48年8月発行(五月書房刊)の季刊誌「やがて青空に」に文芸評論家の小川和佑氏が四城亜儀を取り上げこう紹介されている。
(四城亜儀の作品から未完のまま夭折した芥川賞候補にも挙がった「ドミノのお告げ」の作者、久坂葉子を連想した。雑誌「海とユリ」が四城亜儀という一人の少女の才能を・・・(略)・・)
これを見て、四城亜儀は久坂葉子の再来なのだ(?)と、何かのついでに三ノ宮の薫さんに告げたら、「冗談は休み休み言え」と言われてしまった。クックックックッ。言った相手が悪かった。薫さんは久坂葉子研究会の主幹をもう何年も続けている久坂ファンの第一人者(?)だったことを忘れていた。同じ言うなら他の人に言えばよかった。生きた時代が違うので、他の人なら、私同様、久坂葉子が何者か、もうおそらく神戸の文学愛好者でない限り、誰も知らないだろう。

久坂葉子の思春期には神戸大空襲があり、およそ10年前には阪神淡路大震災があった。その時、薫さんに電話したら、お客さん達もみんな、真っ先に神戸大空襲を思い出したと語ったらしい。「神戸っ子」達がんばれ!
ちなみに昨日見た32年前の「神戸っ子」には、まるで別人のように若々しいBruxellesの写真があった。

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Charles AZNAVOUR 「Et Pourtant(想い出の瞳)」


夏別荘物語(エピローグ)

夏別荘物語(エピローグ) 2004年10月22日 (Fri) 18:08:43

マドリッドからリスボンに向かう列車の中だったと思う。一人の男が人形のようなオブジェを抱えて乗り込んできた。日本人の集団を見るとすぐにやって来て何故か私の隣に座った。そしていきなり話し出す。YMのことだ。YMのファンだという。一方的に自分の思いをいささか支離滅裂に投げつけてくる。美術の教師のようだ。私も以前同じようなことをしていた。ホテルの朝のバイキングで暇なときなど、フランス人とわかると、「バルバラはどうしている?」と聞いていた。8回そんな朝があり3回の回答は「頭がおかしくなって入院してるよ」というものだった。「今も元気に歌ってるよ」というのは1回だけ。あとは「さあね、よく知らないわ」・・

サンフランシスコの時点で、KKの恋人は新ちゃんなわけだけれどKKが以前YMの恋人、または恋人の一人だったという噂を聞いていた。堀田さんは「あのおしゃべりなKKが、YMが死んでから一切しゃべらなくなったのは立派だ」と言った。「本当はどうなの?」と聞いたら「僕は証言できるよ」と言った。「GribouilleもKKとYMが愛を交わした帝国ホテルの部屋へYMが帰ってから、友達と遊びにいってる筈だよ、何回か」とも。
YMがあまりにも劇的な死に方をしたので、心の整理がつかないのかも知れない。私がもしKKなら?当然一切しゃべらない。大事な恋ほど『秘してこそ華』。当然だ。と思っている筈なのに一度魔が差してKKに唐突にズバリ訊いたことがある。「YMって、どっちなの?どんなことが好きなの?」質問があまり意表をついていたので、つられてKKが思わず答えた。
「僕は縛られていた」「きつく?」「きつく正しく」「美しく?」
なるほど。以前モーターボートの試験を受けたとき、ロープの結び方をマスターするのが必須だったことを思い出した。それと「ムルム」の巻頭グラビアとか。勿論好奇心を払いのけて、それ以上、それ以外、それ以後、一切質問はしていない。


交通事故のリハビリは聞きしに勝る辛いものだった。大男が何人かで押さえつけて,曲がらない脚を曲げようとする。涙が吹き出る痛さだ。逃げ回っても押さえつけられるだけ。膝が曲がらないと、自転車に乗れない、和式トイレを使えない、和式のお風呂に入れない、タクシーに乗れない,足の爪を切れない、等不都合はたくさんある。病院のベッドでピーンと突っ張った片足に、ビニール袋にフルーツの缶詰を数個入れて、それをその足にブラ下げていたことがある。痛くて5分ともたない。汗がタラタラ出てくる。あと1分あと1分と歯をくいしばって耐えた。
三田さんが「ポリアンナ物語」を持ってきた。ポリアンナはポジティブシンキングの権化のような女の子。
「痛いっていうのは生きているからだわ。痛ければ痛いだけ,歩ける日が近づくのよ」私もポリアンナになって、同じセリフを自分に何度も言い聞かせた。
退院後もリハビリ訓練は近所の市民病院で続けることになった。まともに歩けない。ヒョッコリヒョッコリ,足を引きずって病院に通う。たった1cmの段差でもスッテンコロリと転倒する。運動不足でブクブク太る。太れば精神まで肥満化する。身体だけでなく心の動きも頭の動きも鈍くなる。

TVの前に寝転んで「徹子の部屋」を見ていた。
その日は山田五十鈴がお客様。そういえば村松英子の前は山田五十鈴が好きだったこともある。着物姿が祖母に似ていたから。この人も一人娘が客死して大変な思いをした筈、などと思いながら。ジュネーブ大学に日本文学関連の蔵書をそっくりそのまま寄贈した、と言う話をしている。
「この方が日本文学科の○○教授、その隣が××助教授」と山田五十鈴の説明。それと共に一枚の写真がクローズアップされた。
少しも太ることなく、少しも老いることなく、画面右側でにっこり笑っているのは「あっ、KK!!」

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MICHEL FUGAIN 「Je n'aurai pas le temps」

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一般向けのKKの著作の一部を紹介しておきます。
「スイス四季暦・春夏」「スイス四季暦・秋冬」:定価1600円
松永尚三(ペンネイム)著:1994年9月:東京書籍刊

夏別荘物語(4)

夏別荘物語(4) 2004年10月17日 (Sun) 19:08:25

昨夜から今朝にかけて来客が多い。昨夜は慶応の院生、未来の美術評論家が二人登場した。今朝は、茶道S家家元御曹司とそのガールフレンド(T県知事のご令嬢)のカップルが登場。堀田さんと三人でフルートを吹いて、あっさり退場。今日のメインゲストは風呂屋のケンちゃんだ。お風呂の修理に来て知り合ったケンちゃんは今日の昼からお休み。夕食に招待している。

KK「今夜は懐石にしましょう」買出しに行った後、石ころや草木を拾ってきて、テーブルセッティングをする。祖母もよく来客があると「懐石にしましょう」と言っていた。小さな石ころで箸置を作る。そわそわとなんだか楽しい。
KKがケンちゃんを早めに車で迎えに行こうと言う。
B「住所わかる?」KK「お風呂の修理屋さんの近くって言ってたから、電話帳でだいたいの住所をみれば..」

車で出発したもののやはりわからない。車を降りて何回か尋ねたけれど「風呂屋のケンちゃん」は「ケーキ屋のケンちゃん」ほど有名ではない。車で走りながらKKが窓を開けて両手を口にあて「ケンジさ?ん」と名を呼び始めた。B「古典の世界なら、この状況でそうして叫べば、すでに狂女ね」KK「Bruxellesちゃんも一緒に狂女になってよ」B「ケンジさ?ん」私も窓を開けて叫ぶ。選挙運動のアルバイトを思い出す。B「ケンジさ?ん」顔に風が当たり、声が飛んでゆく。結構な解放感だ。ハンドルを握る堀田さん一人が恥ずかしそうにしている。付近を40分もウロウロしてようやく見つけた。

KK「あんなところにエレクトーンが」
ケンジ「歌の伴奏くらいなら、だいたいできる」
マイクを握ってKKが歌を歌うと言い出した。KKがケンジさんと打ち合わせしている。KK,踊りは藤間流、美術は新世紀美術会、そして作家としては「新潮」新年号の巻頭に新人デビューしている。あっ、歌い出した。

  ♪ 浮いた浮いたの  浜町河岸に
    浮かれ柳の    はずかしや 
    人目しのんで   小船を出せば (明治一代女)

品をつくって目の前で舞い歌うのは恋するGeisya Girl。あれっ、次は「ゲイシャ・ワルツ」だ。KK満面の笑み。幸福感が伝わってきてホレボレ、こけしちゃんに見とれてしまう。

別荘に戻って、いよいよ懐石ディナー。
若いケンジさん、二人の芸者を両脇にして、完全にドギマギしている。B「ささ、どうぞ、もう一杯」・・
KK「ケンジさん、そろそろお風呂にする?ワタシその間にお布団を敷いておくわ」・・KKが私を手招きする。
KK「ねえねえBruxellesちゃん、あなたケンちゃんにもっとお酒飲ませて。そして色仕掛けでお布団まで連れてきて。あとは僕が。・・」(前に「チボー家のジャック」が言ったのと同じセリフだ)
B「僕がどうするの?KK、あの子未成年かもよ。トラウマになるかも」
KK「何もしないわよ。ただお尻の毛を、ピンセットで引き抜いたりして・・。フッフッフッ」
B「クックックックックッ、KK,そしてそれでお尻の毛の標本、毎年作ってるの?クックックックっ」
KK「冗談よ。言ってみただけ」
B「あなたの死んだ恋人の眼になって、私ポラロイドカメラ構えてお布団のそばに立ってるからね」
KK「無粋なひとね」B「冗談よ、言ってみただけ」

心配しないで。KK「言ってみただけ」B「言ってみただけ」
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「Je n'irai pas a Saint-Tropez」 Cora Vaucaire


夏別荘物語(3)

夏別荘物語(3) 2004年10月16日 (Sat) 18:24:36

昨夜は近くの神社で祭りがあった。その年の妊婦が裸足で階段を駆け降りるのが行事のクライマックス。松明を手にした裸の男が沢山いて、幻想的な上に、益荒男ぶりを強調したものだった。ところであの妊婦達の裸足のダッシュは、何だったのか?

KK「あれはね、強い子だけが生まれてくるように、ある種の間引きの意味があったのかもしれない」
B「弱い子を流産させる意図?私ならじゃあ、死んでるくちね」
KK「こけし、ってお土産によくあるでしょう。あれは、子消し、からきている言葉よ。一人殺すと、近くの木を切ってナイフで簡単な人形を作る。それがこけしの悲しい起源よ」
B「『楢山節考』って映画でも間引きで生まれた赤ん坊を畑に捨て『いい肥料になる』とか言ってた」
堀田「東北の飢饉の時に、人肉を食べた記録も残ってる。『もうすぐ家のバアさんが死ぬから、お宅の赤ん坊を分けてくれ』って言う手紙が」
B「戦争中の激戦地では、原地人を『黒豚』といって食べていた、という証言を取って、食人肉行為を暴いている人もいる」
KK「ゲェー。吐き気がするから、そんな話は止めよう」
B「止めよう、止めよう」・・・
B「こうしてみるとKKって、こけしに、似てるね」
KK「ひょっとして、女性のアイドルっていう意味?」
B「??エぇェェ!!クックックックッ○○こけし?」
KK「腰気じゃないでしょうね。こしけ、は婦人病よ」
B「クックックックックッ...何を突然言い出すの、クックックックックッ」・・

KK「Bruxellesちゃんこの前の続きしましょう。今度は『亡命貴族ごっこ』よ」
B「フランス革命の?」KK「そう」
さすがのKKもイメージ作りに2,3分沈思黙考。・・・
とKKいきなり窓を指差し叫ぶ。
KK「ランブィュの奥様、あれは何ですの?なんて動物ですか?初めて見ました!」そして窓に駆け寄る。
すごい! 外を歩いていたのは地元のお百姓さん。百姓を見たことのない大貴族婦人の発想。あれは、人間ですよ、というのはいかにもダサイ。
B「ポンパドールの奥様。お身体に障りますよ。国が違うんですもの。珍しい生き物もいますでしょうよ。2足で直立歩行していましたね。新種のペットでしょうか」
KK「それにしては、汚いですね。もう国に帰れないのかしら。夜毎のpartyもできないのかしら」
B「奥様は帆船のようなhair styleをされて、それは華やかでしたわ。あの腰気、じゃなくて腰元は、革命軍の兵士にそそのかされて、私たちに銃を向けましたよね」
KK「ランブィュの奥様、覚えていらっしゃいます?マリー・アントワネットが粗相して泣いた、あのときのpartyのあの曲、何でしたっけ?」
シュトラウスはウイーン会議の時でもっと後。リストもショパンも時代が合わない。やはりモーツアルトか、それともハイドンか。Bruxelles一瞬つまる。B「.............」
KK「あら、お忘れなの。私がお教えしましょう。こんな曲でしたわ」
KK突然声を張り上げ、むしろドラ声を張り上げたかと思うと、オペラ歌手のように胸を張って歌いだした。

   はあ?  踊り踊るなぁら あ、ちょいと
   東京音頭 あ、ヨイヨイ 花の都のォー

Bruxelles定番どおり、ドヒャっと倒れたまではよかったが、笑いでおなかが捩れて、しゃがみこんでしまい、お漏らししそうになった。

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「LA PARISIENNE」 par Marie-Paule Bell


夏別荘物語(2)

夏別荘物語(2) 2004年10月15日 (Fri) 13:58:23

今日は朝早くから御殿場に向かう。友達の実家があるのを思い出したからだ。
KK「どんな人なの、男?女?」
B「京大の医学部の男子学生。Jazzに詳しくて、思潮社から『眠り足りない微笑』っていう詩集を出してる。京大の西部講堂で寺山修二の『時代はサーカスの象に乗って』を一緒に見た人。本人も子供の頃劇団にいたとか。帰省中ならいいんだけれど」

御殿場までは少し遠い。KKがハンドルを握る。運転しながら口三味線を入れて解説つきで一人で新派を熱演してくれる。運転しながらモロにふり向く。ふり向いてにっこり笑う。「運転中にふり向くなよ」堀田さんが言う。
KK「こうしてみるとあなたたち、まるで雌雛雄雛のようね」
二人とも浴衣を着ていた。
KK「Bruxellesちゃん、貴女恋のチャンスを随分逃しているわねぇ」B「えェ?」KK「恋はね、秋波から始まるのよ。Bruxellesちゃんは近視で、秋波を送っても全然気づかないみたいだもの。女だって流し目で意思表示してもいいのよ」B「こんな感じ?」KK「そう、そんな風に」「前を見て運転しろよ」堀田さんがまた言う。KK「Bruxellesちゃん、ちょっと住所見せて」

KK「どうやらここのようね。やっと入り口にたどり着いた」
B「お父さんも医者だって言ってた。病院の敷地内に住んでるみたいね」

堀田「入り口から延々と20分も車走らせているけど、何も見えてこない」B「変ねぇ」KK「どこまで行くのかしら」堀田「何か見えてきたョ。鉄の扉だ」B「やっと玄関?...あっ、閉まってる。イヤ、開いている」KK「降りましょう」
あれっ、マンホールのフタが開いて、黒い頭巾をかぶった誰かが顔を出している!!! KK「ギャー!!」

鉄の扉の向こうに炊事係風のおばさんが出てきた。
KK「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとお伺いしますけど、ここは何の病院ですか?」
おばさんが近寄って声をひそめて言う。「ライですよ、ライ」
KK「ギャー!!。早く車に戻りましょう。早く!!」三人ともアタフタと車に飛び乗る。

KK「だからこんなに山奥にあるのね」
堀田「あそこに看板がある。医師の家は、この辺の右側にある筈だ」
B「せっかくだから、誘いに行きましょう」
三人とも車を降りる。B「ごめんください」
息子とそっくりなお母さんだ。やはり留守だった。多分琵琶湖でヨットに乗っているのだ。
お母さん「どうぞお茶でも飲んでいってくださいな」
KK「いいえ、けっ、けっ、結構です」
立っている脚が三人ともモゾモゾしている。
   ...............................

B「そう言えば、瀬崎さん、ハンセン氏病は日常茶飯事だって言ってた」
KK「同じ医者でも、こうしてハンセン氏病の治療に一生を捧げるって仁の心が無いと出来ないわね。患者と共に、・・の精神がないと」
B「本当ね」堀田「医師の家族も敷地内で暮らすということは、伝染性がそんなに無いということかなぁ」
B「キリストはライ病患者に触れて、治したって言うものね」
KK「昔は山奥の小屋に押し込めて、家族が、握り飯を、窓から投げ込んだって言うじゃない?」
B「じゃ、こうして病院に隔離されるというのは、まだしも、人格が尊重されているのね」
堀田「あの鉄の扉の中で、一生を終える..........ということは......人権は無いのと同じだよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハンセン氏病患者の人権奪還への戦いはその後も地道に継続された。近年劇的に改善されている。誤解を避け、理解を求めるために、若き日の無知への反省を込め、以下に当病院の現在のサイトアドレスを記し差別撤退への微力となりたい。無知こそが差別の根源なのだから。
http://www.hosp.go.jp/~suruga2/

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BETTY MARS 「Un soir de premiere(初日の夜)」
この人も自殺した。享年44歳。


夏別荘物語(1)

夏別荘物語(1) 2004年10月13日 (Wed) 16:41:04

実は私はGribouilleの家にいた。その時KKから「河口湖の別荘に来ない?」とお誘いの電話があった。Gribouilleが強い調子で断っている。険悪になりかけたので私が代わりに行くことになった。
電車やバスを乗り継いで近くまで行くと車で迎えに来てくれた。KKには以前2,3度会っていたが、他の人は初対面だった。
自己紹介代わりに歌を歌えと言われた。年上の人達の、しかもrichな慶応関連の集まり、選曲に少し戸惑った。

父は貿易部にいて、接待で京都の料亭に行っていた。帰ってきてはお座敷遊戯を子供たちに教えようとする。私が挑戦したのは、ひっくり返って両脚を上げ、足のうえにお茶の入った湯呑みの乗ったお盆を乗せ、それをお茶をこぼすことなく上下するというもの。着物を着ていれば、かなり刺激的なポーズだ。子供だからそんなことはわからない。もうひとつは一升瓶乗り。文字通りサーカスの玉乗りのように一升瓶に乗って進む。100円上げると言われて頑張ったらどちらも上手に出来るようになった。去年までチャック・ベリーで私にジルバを躍らせていた父が「女の子は邦楽の心得が必要だ」と言い出して、市丸姉さんの「天龍下れば」と「さのさ」を特訓した。TVでは、祖母と一緒によく新派を見ていた。ー

ハー 天龍下れば ヨホホイノホイノサッサ
しぶきに濡れてよー 咲いたさつきに エェェー(天龍下れば)

何年かぶりに歌った自己紹介の曲が皆に大ウケした。
もっと歌ってと言われ「さのさ」を歌った。今度はKKに「その歌教えてちょうだい」と頼まれた。考えてみればあの2曲の選曲があったからこそ、飛び入りの私が大歓迎されたのだと思う。

結局東さんは、次の日の早朝一人で立ち去った。
別荘生活はかなり暇で「外人をハントしよう」と車で富士吉田まで出かけた。沢山の外人がバス停に並んでいたけれど、巨大なリュックの登山者タイプばっかり。こりゃダメだと、引き返す。夜になった。お風呂が壊れてさらに時間が余る。KKが「遊女ごっこ」をしようと言い出した。

「あんたはいいわね。色男がいるもの」もう始まってるの?隣を見ると、確かに色男の堀田さんがいる。
「私なんか、働いて稼いでも親の借金と弟の学費で、身動きもとれない。お酒に溺れて、涙に溺れて・・。ちょいと、お考、ついでおくれよ」私の名前はお考?
「清葉姉さん、お酒はほどほどになすって。姉さんはまたどうしてこんな地獄に足を踏み入れたのですかえ?」
「あれは私が13の時。米びつに米が無いからって、買いに走らされた。ところが荷車を避けようとバランス崩して手を滑らせて、そのお米が溝におっこちまってさあ。おとっつぁんが走ってきて私を引っ叩いた。そこまではよかったんだけどさ。腕組みして『明日からはまたひもじい思いをさしちまうなぁ』って、涙を一筋ながしたのさぁ。その時だよ、私は自分で人売りを探して、大事な人形の首を切って、家族のために、心でこの世とおさらばして。何も知らなかったんだねぇ」
「......................」
「ところでお考、あんたはどうなの。あんたの身の上話も、今夜はひとつ、聞かせておくれよぉ」
「私はねぇ、清葉姉さん.............................!!」
と言いかけて、頭の中にストーリーのスも準備されていないことにハッと気づいた。

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Claude Francois 「Le Telephone Pleure」
この歌詞の話をSKにしたら「それとそっくりの話を昨日通天閣の浪花節の小屋で聞いた」と言った。


夏別荘物語(プロローグ)

夏別荘物語(プロローグ) 2004年10月11日 (Mon) 16:40:33

大トロを手でつまんで口を開けて放り込もうとした瞬間、ドアをガチャガチャする音で起こされた。誰が侵入しようとしているのかという不安もあったけれど、食べ損ねた大トロ握りの方に未練が残る。
掃除係の人が勝手に入ってくる。
「この部屋には人がいますよ」ムッとして声を出す。もうちょっと遠慮してくれたら、大トロが食べられたのに。
「ほかの人たちはどうしました?」
「早朝出かけられましたよ。全員かと思った」
ツアーの人は全員グランドキャニオンに行ったのだ。
一人寝坊してしまった。

自由時間だ。サンフランシスコ大学で日本文学を教えているKKに電話してみよう。交換の真似をする。
「もしもし。日本からのお電話です。お繋ぎします」
「ハロー」とKKの声。
「KK貴方のお友達です。誰だかわかる?」
「日本人よね。全くわからない。お願い、名乗って」
「ヒントはね、Gribouilleのお友達。Guess who,guess who・・」
「ゲスゲスって、下種の勘繰りじゃあるまいに、推量できないわよ!」
クックックッ、さすがにKK,切り返しが鋭い。脱帽。笑ったのでわかったらしい。
「ああっ、Bruxellesちゃんね」
「実は今、サンフランシスコに来てる」
「あれっ、日本からの電話じゃなかった?これ?」
「なかった」
「僕、手を離せないから、新ちゃんの車で、迎えに行かせるわ。今ホテル?どこの?」

1時間半後にその新ちゃんが白のオープンカーでお迎えに。「はじめまして」細身でひげを蓄え、白いファッションに身を包んだシブイ人なので驚いた。新ちゃんは丸井のローンでアップアップしてる。以前そんな話を聞いた事がある。築地の板前を止めて、KKを追ってここまで来て、こちらのスシバーで働いている。思い切った恋の転職が、この人の人生を好転させたのだろう。

KKはご機嫌で迎えてくれた。話は当然去年の河口湖の別荘の話。KKの友人の堀田さんの別荘。登場人物は、堀田さん、KK、東さん(カンボジア大使御令嬢)、そして私。
堀田さんと東さんの痴話喧嘩が、大トラブルに発展、東さんは裸足で別荘を飛び出し、走る走る走る。堀田さん、KK,私がドタバタと後を追う。
やっと追いついたら、東さんが湖のそばにしゃがんで号泣している。3人ひとしきり途方にくれた後、堀田さんがなだめにかかる。
KKはそっと私に近づいて、そしていきなり歌いだした。

  ♪ 山の寂しい湖に、一人来たのも 悲しいさだめ
    胸の痛みに 耐えかねて・・ (湖畔の宿) ♪
「いつまで歌うの?」という風に顔を覗き込んだ私に、さほど小さくない声でKKが言い放った。
「僕が東さんだったら、このシチュエイションで裸足で号泣したりしないで、こういう風に歌うんだけどね」そしてウインク。

そのウインクが私の琴線に触れた。ガビーン。こんな楽しい人と一緒だったら、遅かれ早かれ私もとことん羽目をはずすかも知れない。あっけにとられて、声も出ないので、顔だけで大笑いした。
KKはヒロインになりきって、また続きを歌っている。

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「COMME AU THEATRE」    Cora Vaucaire


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