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Conceptual Art と藤本由紀夫

試作にはまり抽象的なことばかり考えるようになった。その先にConceptual Artとの出会いが待っていた。
SKが仕切っていたArtistsグループがいくつかあって宮崎画廊で何度か総合グループ展もした。ふーちゃんとSKとイラストレーターの波多野さんが「類」という雑誌を創刊したのもその頃だ。

私は自動車学校に通っていた。途中資金切れを起こして急遽ワインの店頭販売のバイトもした。自動車運転免許証試験で門真に行くことになった。教室の一番前の席から振り向いて「誰か私と一緒に門真に行く人いませんか?」と声を出して誘ってみた。返事はないだろうという予測に反して一番後ろの席の子が「ハーイ」と間の抜けた大声を出して手を上げた。ファッションがぶっ飛んでいる。その上、声といい、化粧といい、ちょっと待ってよ、と引きそうになった。
同じ市内に住む子で実家は工場を経営している旧家らしい。姉の夫は市会議員だ。服飾関係の学校に進学したが途中でやめて、芸大の版画科に在籍していた。

その子と二人車を連ねてよく芸大に行った。制作中の彼女(山野さんと言う)と、とりとめもないバカ話をした。芸大の文化祭では創刊したばかりの「類」の販売もした。芸大のバス停でバスを待っている人を見つけて「あっ、あの人をBruxellesさんに紹介するわ」と山野さんが突然言った。私と藤本由紀夫が出会ったのは、その時だ。

まず音楽の話をした。アメリカ文化センターにいつもContemporary Musicを聞きに行っていること等を話した。彼は電子音楽の専門家だ。まだ助手だったけれど。スウェーデンの現代音楽家、フォルケ・ラーボの「WAS」という曲やら以前一世を風靡したゼロ次元の話等で意見が一致した。何度か会い、何度か彼の個展にも行った。歯に細工をしたオルゴール、溝のないレコード、敷き詰めた枯葉、彼は前衛アートの道を真っ直ぐに進んだ。YMOより何年も前に声や言葉を合成し、バンドを組んでディスコに出ていた。新大阪にBecauseという電子音楽のスタジオを持っている時期もあった。高松次郎あがた森魚と仕事もした。その都度彼の存在そのものが抽象化していくようだった。フェスティバルホールでギリシャ人の建築家にして音楽家のクセナキス(彼は銃撃で片目を失くしている)の講演があったときは、藤本由紀夫は関係者として裏方にいた。サンケイホールでの小杉武久Conceptual Musicの時も関係者としてそこにいた。そしていつの間にか、私の憧れのケイジ(John Cage)やマース・カンニングハムとNEW YORKで一緒に仕事をするようにもなった。彼にはもう、専属のカメラマンがついて、勝手に彼や彼の作品の写真を撮れなくなった。
彼に会うよりも新聞で彼の作品に出会うほうが多くなってきた。音楽家ではなく、造形作家と紹介されている。それは野外に置いたイスに金属の耳をつけた彼のオブジェが、人気を博しはじめたからだ。音の出るオブジェとして。そうこうするうちに大きな美術館や諸都市の都市博の総合芸術監督として彼の名前を目にすることが多くなった。
一番最後に会ったのは、彼の京都での個展だったろうか。その時たまたま京都市内で個展をしている友人が三人いたので、CCの妹のアメリカ人Carolを連れて、三ヶ所を回った。「Conceptual Art」Carolは初めてその言葉を耳にしたのか、感銘を受けた様子で何度も呟いた。来日したばかりの頃のCCを藤本由紀夫に紹介していた。歳は離れていたが二人はとても気があったようだ。私が交通事故で入院していた病院から退院した時、CCはお祝いのPartyを彼の自宅で開いてくれた。その時CCが藤本由紀夫を呼んでいて、思わぬところで再会したこともあった。

ボクサーの赤井英和が日の出の勢いの時、彼でさえ試合前日の不眠症に実は苦しんでいた。彼の実姉から相談を受けて以前藤本由紀夫に貰った彼の作品「催眠誘導テイプ」を赤井に贈ったことがある。どんなテイプかと聞かれても、眠気を催すテイプとしか言いようがない。彼のコンセプトは何事も初源にある、といえるだろう。

出会った当初、藤本由紀夫は隣町に住んでいて、時々ばったり会うこともあった。
「藤本さんは、どうして由紀夫なの?」
「僕がうまれたころ、三島由紀夫が文壇に登場して人気があったらしいんだ。」「それで?」「うん、それで。」
藤本由紀夫がConceptualでないのは、その名前の由来だけだ。

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「PLUS BLUE QUE TES YEUX」 CHARLES AZNAVOUR & EDITH PIAF
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革新川柳

革新川柳 2005年7月8日 (Fri) 0:36:08

今日は珍しく川柳集、セレクシォン柳人2「石田柊馬集」が送られてきた。川柳人でもない私に、どうして、と思って中を見ると、昔の「短詩」の主幹山村祐をはじめ河野春三時実新子、墨作二郎など、懐かしい名前が見える。著者の石田柊馬氏は、解説によると柳界の太安万侶・稗田阿礼だと書いてある。「短詩」の誌友だった本間美千子氏(”処女の柵の上を意識で横切る蝶”という作品がある)のご主人だったそうだ。(本間美千子氏、2001年死去とある)。ペラペラめくって、早速昔の笑いを思い出した。革新川柳の琴線に触れる笑いを。

○ シーチキンサラダはセコムしてますか。

○ 銀河系宇宙の中のさつまいも

こういうのもある。

○ 一万円持ち祖父は桃太郎の家来

○ 千年もたてばあなたは赤とんぼ

○ 縞馬に乗って地獄を抜け出さん

その他川柳らしい社会風刺もあれば、俳句的に日常の心情を凝縮させたものもある。ストレートなものは、現実的で暗く重い。笑ってばかりいる場合でもない。ただ大部分はやはり「短詩」だ。川柳心を持った革新「短詩」だ。、、

俳句や短歌の世界には若いタレントスターがすでに登場している。川柳の世界はどうなのだろう。
私たちの「短詩」が若き勢いに任せて自爆したのは30年も前。次の結社、次の若い世代は育っているのだろうか?

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BARBARA 「Je serai douce」

飾り窓の女

飾り窓の女 2005年7月5日 (Tue) 19:29:43

プレーボーイクラブでバニーガールを身近に見てギクッとしたと日記に書いた。実は以前もっと心臓が止まるかと思うほど目で見てショックを受けた光景があったことを思い出した。存在の底にボディーブローを受けるような衝撃で一瞬震えて立ち尽くした。宇宙人を見てもあれほど驚かないだろう。

切符を買ったのは1週間前だった。往復17万円ほどで当時は格安だった。目的のParisまでいかない。Bruxelles止まりだ。しかも南回り、乗り換えに継ぐ乗換えで、30数時間もかかる。うっかり眠ることもできない。食事もむちゃくちゃになる。エアーサイアム、タイ航空で出発。途中ロイヤルヨルダン航空に乗り換えて、、。下を見ると砂漠、砂漠、地球のイメージが簡単にくつがえる。バーレーンやサウジでも機外に出た。ジュネーブでも。
Bruxellesに着いてから列車に乗り換えて都市部に到着。とりあえずユースを探そうとガラガラ荷物を引きずって街を歩いた。広い通りを横切り、坂を少し登り左に曲がったその時だった。一瞬にして目が合ったのだ。でもそれは人間の眼ではなかった。デパートのショーウインドーのようなものの中に人が半裸身で、下着だけの姿で、陳列されていたのだ。人形と思ったものが動いたからだろうか。一体何に衝撃を受けたのだろう。その人からは人間のあらゆる感情が剥奪されていた。人間であって、人間ではない、商品だった。ケイスは幅1m50cm奥行きは70cm位だろうか。その人は奥に入ってしまった。隣のケイスにも下着姿の人形がいた。人間の匂いは一切無かった。何かものすごいものを自分自身で殺している、かといってドラマ性など一切無い。幽霊、そう幽霊を見たと表現すれば、一番近いかもしれない。援助交際などと、綿菓子で包んだようなフニャフニャした日常性からほど遠い。Bruxellesにはまだこんな一角があるのか、政府公認なのだろうか。

Parisで日本人の男の子に話を聞いた。その子はアムステルダムの一角で、女を買ったという。まずガラス越しに値段の交渉をする。その後裏から入るそうだ。実物を見て本人と交渉するのだから、当たりはずれが無く明朗会計らしい。しかしあの幽霊を抱く気になれるものなのだろうか。だとしたら、男の性はあまりに哀しい。(大きなお世話?)
私はL'aigle Noir JPのサイトで邦画NO.1に「吉原炎上」を選んでいる。あの映画を仮に事実とすれば、吉原の女達はむき出しの感情で人間性を忘却することなく、同じ悲運の中を生きている。この違いは一体何なんだろう。

阿倍野筋に阿倍野銀座と呼ばれる通りがある。その奥に直ちゃんの家がある。一度夜二人で奥へ奥へと歩いてみた。昔の遊郭の跡らしい。それらしい建物がある。玄関を覗くと、和装の下着をつけた女の子が並んでこちらを向いて座っている。やり手ババアが玄関先に立っている。”跡”と思ったのは間違いらしい。人通りはほとんど無いがタクシーが一台だけその中の一軒の前に止まり、客が中に消えて言った。人通りはめったに無いのに、各々の玄関には、下着姿の女の子が鎮座し続けている。そして一帯は暗いのに、そこだけ明かりが灯っている。二人して異空間を黙々と歩いた。
日本にもあるのだ。取り締まろうと、放任しようと、公認であろうと非公認であろうと、古代より需要がある限り、世界中から消えることは無いのだろう。
阿倍野筋の裏側、そう言えば、黒岩重悟の小説によく出てきた。作家自身も昔この辺で暮らしていたことがある。そう、占い師をしていたそうだ。

強いショックを受けたせいか、完全に道に迷ってしまった。タクシーを拾って、安ホテルを紹介してくれるように言った。歴史のありそうな健全なボロホテルに案内してくれた。客筋はよかった。ただエレベーターが2重扉でおまけに手動だった。子供のとき市大病院に入院して手動のエレベーターで遊んでいたのでビビルことなく上手に操作が出来た。
戦前父方の唯一の親戚であった、心斎橋の石原のビルにも、2重扉の手動のエレベーターがあったらしい。
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Didier Barbelivien 「A Barbara」名曲名唱である。

いつか見たマグリットの空の青

2005年6月 旧PLANETE BARBARAより転記 

本人二人、そして周りの皆が認めてくれていた。若い私たちは世界最高のカップルだと自負していた。二人でいるだけで何千人分もの力が湧いた。生まれてきた意味さへつかめた。

会わなくなって随分の年月が経っている。振り返らないよう、お互い記憶を消そうと約束し、実際に封印してきた。

さっき古い友人の田中弘子さんから、彼の死を聞いた。情報センターに行ってすべての新聞で確認した。彼は死んだ。今は葬儀の真っ最中だ。

はちきれんばかりに元気だったあの人が、私より先に死ぬとは想像もしなかった。どこへ行ってしまうのだろう。さらに強まるだろう思い出だけを残して、どこへ行ってしまうのだろう。

彼がくれた思い出の詩がある。「著作権も一緒に頂戴」と言ったら「いいよ」と言ってくれた。その詩が出ている2月22日のDiaryをもう一度ここに転載する。
これを心の祭壇に飾って、繰り返し繰り返し読み続けよう。それしか私にはもう何もできない。

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CHANSON D'AMOUR 2005年2月22日 (Tue) 17:23:12

-Dedie a Marie

         「モオブ色の朝吉田 城


いつかみた マグリットの空の青
はてしない存在の淵にたゆたう波音
今日の日はかくも透明に聳え立ち
淡いピンクのちぎれ雲 たなびく明日(あした)


いつかみた クリムトの淡い膚
はてしない百花繚乱いのちの錦地
今日の日は血にたぎり恋に燃え立ち
コバルト色の彼岸波 よせくる明日


いつかみた ムヒャの目眩めく花模様
はてしない蜜蜂の群 虚空に逆巻く羽音
今日の日は愛を知り涙を流し
モオブ色の朝ぼらけ ひとり待つ明日


                  -par ton JOE-
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DAVE 「Du Cote De Chez Swann


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