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賢者の選択

目が疲れると頭も一緒に疲れてしまう。夜はずいぶん早くから眼を閉じる。同時に頭も仮眠状態。それでも眠るほどではない時間なのでTVをつけてウトウト。

若くて美男子な経営者が出ている。番組タイトルは「賢者の選択」という。Top Runnerの企業人バージョン?それにしても若い。

平成10年の7年前お父さんが亡くなって、その時1200億円の借入金があったとか。親族は相続放棄して負債も一緒に消すのが賢明と主張したらしいが、彼はそういう選択はしなかった。
途中からチャンネルを合わせたので、この人が何者かよくわからない。途中で三洋電機クレジットに300億円の融資を受けている。頭がついていくには金額が大きすぎる。しかしその美男子の名前に見覚えがある。

彼は会社復興のためいろんなプランを打ち出していく。経営企画室と言うのを発足させる。ここにアメリカの超一流のコンサルタント会社を招いて、組織と経営の大改革をはかる。何しろ1200億円の債務だ。大鉈を振るうしかない。しかし、ここで踏ん張ったときに、彼は企業人として、凡人が発想し得ない何かに気づき、何かを学んだのだろう。
「父の時代は、全く個人商店だった・・」彼はおそらくここで、組織の活性化と資本主義経済の奥行き、最先端の経営のノウハウを身に着けていったのだろう。

asset financeという言葉が出てきた。貸付債権の証券化、という言葉も飛び交う。経済の本にバブルの末期から盛んに登場してきたいわゆるsecuritalizationのことだ。言葉ばかりであんまり断行したと言う話は聞かない。彼はそれを断行する。・・

何歳なのだろう。このままジャニーズにいけそうなこの人。早稲田大学大学院修士課程を修了している。お父さんが亡くなった時は、まだ大学生だった?
話し方に物凄く意欲を感じる。若くなければこれだけの重荷を背負って、人生のスタートを切れないだろう。何が彼を支えているのか。何故この人がここに出ているのか?

最終的にシティー・グループに会社を売却する。えぇ!!話はそれで終わるの?それで終われば、番組に登場する筈が無い。
彼は新会社を設立する。彼の抱えている強烈な経営新ビジョンで、多くの人を説得、共感させ、すでに新企業人として成功しつつあるのだろう。話は新会社に移っていく。この辺でようやく眼が覚めてきた。

新会社の名前はシークエッジ(sequential+edge+seek)。過去の体験を活かして、どうやら経営コンサルタント業務がメインのようだ。投資事業、資財の証券化、財務アドバイサー、ビジネスモデルの商品化等等。ほかに新規に介護事業、不動産事業、人材派遣と時代を読みきった事業を展開していく。
この美男子でスマートな経営者はあっという間に、ほりえもん、を超えるかもしれない。本社は六本木ヒルズに移転している。
組織や資本構造の不透明な部分をclearにすることで、ビジネスを生む・・と言う。彼のもうひとつのビジョンは中国進出だ。すでに実行に移されている。リスクもあるが、躊躇してはおれない。
中国に眼を向ける経営者は多い。安いコストを見込んで、生産を中国に移すー今やあらゆるメーカーの常套手段だ。そして、巨大市場としての中国、放っておく手はない。しかし彼の考える中国は、生産拠点や有望市場としての中国ではない。中国の資本主義化で取り残された分野、つまり金融システムと資本主義経営理論の商品化だ。なるほど。そこは手付かずの未開のマーケット、まるで需要の原始林だ。しかも見えない金融システム整備のビジネスなら、競争相手は今いない。その需要は切実かつ膨大だ。唸ってしまった。

最後に司会者が夢を尋ねる。
ロスチャイルドのような・・」と美男子は答えた。
彼を支えているのは、この壮大な夢、遠大なビジョンなのだろう。・・
この少年の面影を残す青年。この青年、美男子ぶりは緑風さんに似ている。それも当然、彼は、その旧社名から紛れも無い、緑風さんのお兄さんのご子息であることが、番組途中で判明したのだった。

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「Une Fois Mais Pas Deux」 Brigitte Fontaine Il etait une fois il etait une fois mais pas deuxと歌いだす。
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嵯峨信之(前回の続き)

昨日あわてて書いた日記で嵯峨信之の之を信行と書いてしまったのが気になって本棚から、古い「詩学」を引っ張り出して確認した。今日訂正しておいた。草野しんぺいも、草野心平に訂正する。間違ったままにするとリンクをたどっても出ない。出てきたのは昭和42年の8月号。研究会作品合評の出席者は栗田勇鍵谷幸信石原吉郎笹原常与、嵯峨信之の5名。いつか「堕天使達の呟き」で話題になった鍵谷幸信氏、ジャズ評論のみならず確かにこうして詩の合評も既にされている。
この頃私は栗田勇氏の「アントニオ・ガウディー論」を熱心に読んだ記憶がある。確か「知的復権のために」という濃いグリーンのカヴァーの本もあった。私の「2N世代」の表紙はこのグリーンをいただいて、たなかひろこさんに必死に素材を探してもらったのを覚えている。この後栗田氏は「愛奴物語」を執筆、それは映画化された。その後は、ロートレアモンの「マルドロールの歌」を訳出された。
栗田氏以外で日本人の評論に感銘を受けたのは大久保喬樹氏の「ジャックソン・ポロック論」そして「ルネ・マグリット論」ともに大感激だった。大久保喬樹氏の登場によって、美術評論という分野が、面白さという点で文学小説を超えたと思った。大久保氏はまだ東京大学に在籍する学生だった。(岡倉天心の解説で後年TV出演されているのを見た。東工大の仏文の教授に確かなられていたと思う。)その後高階秀爾氏、東野芳名氏、中原祐介氏らの美術評論、フランス人が書いた詩論(たとえば、バシュラールの「空間の詩学」)丹下健三磯崎新黒川記章氏らの建築論、他には現代音楽論(クセナキス等)やジャズ評論などを、本当にワクワクと読み漁った。ケイジデュシャンの存在に出会ったのも多分この頃だと思う。当時詩の実作はストップしていた。嵯峨氏のご指摘にあるように、私は大阪にいながら、支路井耕治が時代の寵児でNHKのドキュメンタリーにまでスター的に登場していた頃はまだ「他人の街」も支路井耕治の存在も知らなかった。

支路井耕治の存在を私に知らせたのは、ちょうどその頃リトルマガジン詩劇「グルッペ」を創刊した「短詩」の同人木村太郎氏、そして実際に引き合わせたのは、後に私の詩集「2N世代」の装丁を引き受けてくれたたなかひろこ氏だった。


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「Je suis grecque」  Melina Mercouri

村岡空

昔からの友人の瀬崎祐氏が最近「詩と思想」で詩集評を書いているので阿倍野橋のユーゴ書店に立ち寄ってみた。売り切れてしまったのか、「詩と思想」は見当たらない。仕方なく「詩学」の9月号を手にとって吃驚した。?村岡空追悼号ーとなっている。村岡氏には友人の出版記念会などで、4,5回東京で会っている。とにかく何の垣根もなくものすごく身近なおじさんという感じで接することのできる方だった。お顔もとても愛嬌がある。一度「出張で大阪に行くので、どこか食べ物のおいしいところを案内して」と唐突に電話がかかってきたことがあった。それまであんまり直接話したことはなかった。ただ私が出た座談会の司会は、そういえば村岡空氏だったような気がする。キタのどこかで待ち合わせて、食事した。どこで何を食べたのか、全く思い出せない。ホテルにお送りしますと言って、送っていったらそこは、法華クラブ、だった。そうだった、村岡さんは、お坊さんだったのだとふと思い出した。
その何年か後、奈良県の東吉野村に東京から引っ越した、という通知が来た。で、何度か車でそのお寺まで行こうとした記憶はあるのだけれど、行った記憶はない。そしていかないまま、長年連絡も途絶えていた。享年70歳。追悼号の「詩学」に村岡氏の生涯について、何人かの方が触れられていた。やはり物凄い人生のようだった。密教の研究家だということは知っていた。が直に詩作品は読んでいない。

詩学」といえば昔、嵯峨信之氏に草野心平の女性がしている居酒屋「学校」に連れて行っていただいたことがある。詩集「2N世代」に関しては自筆の激励文のお手紙をいただいた。「嵯峨さんは、めったにそんな手紙は書かない人だから、それは大事にするように」と「詩学」社の人に言われた。今も大事にアルバムに張ってある。「君は大阪の人なのに(彼の影響を受けずに)饒舌体の詩を書かないね。オーソドックスなのがとてもいい」といわれた。最後に、願わくば聡明に生きたまえ、とあった。ちなみにこの彼とは、支路井耕治のことである。

嵯峨氏も村岡氏もその支路井耕治も、みんなもういない。


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「Non,je ne regrette rien (水に流して)」 Edith Piaf

月餅

今日はこちらの「月餅」の記述のあるBLOGにTRACKBACKしました。


滞在型の語学学校で、ハイソな中国人のLadiesに日本語を教えたことがある。三人とも実家は香港、ロンドンの大学に留学中。三人とも15歳からイギリスで教育を受けている。中国人と言ったけれど、国籍は一人はアメリカ、一人がイギリス、一人がカナダ、三人とも外国籍を既に取得している。おまけにイギリスでは日本人の個人教授について、日本語も勉強している。夏期休暇中に日本語を学ぶのは、今回が初めてではない。去年は三人でマンションを借りて新宿の日本語学校で夏期集中講座を受講している。三人の中の一人、Nはこの学校に以前3週間滞在したことがある。三人ともパソコンとケータイ持参でやって来た。
パソコンの画面で、今年や去年のバカンスの様子を見せてもらった。ニューヨークやミラノ等に、年に3,4回は家族旅行をしている。
ツンツンお嬢様ではなく、性格もとても素直で、年齢以上に礼儀もわきまえている。ハイソで大変気持ちのよいChinese Ladiesに出会えて、私の中の中国の印象は飛躍的に上昇した。

さらにそれに一役買ったのが、毎回どうぞと、おすそ分けしてくれるお土産の”月餅”だ。食い意地の張っている私にはピッタリ。4分の1個を一回に食べるのだけれど、食べ応えは満点だ。
月餅と言うだけあって、月を愛でながら食べるお菓子らしい。いわれを聞くと七夕と、中秋の名月を一緒にしたような歳時記菓子のようだ。菓子缶にはウサギの絵も見えるが「ウサギが月で餅をつく」と言う話は全く聞いたことがないと言った。

インターネットで”月餅”を検索すると次々色んな月餅が出てくる。Nの持ってきてくれたのは、紛れもない香港の本格派のようだ。私は菓子類はあまり好まないが、もう病みつきになってしまった。中に入っている卵黄は鶏卵ではなくてアヒルの卵を塩漬けにしたものらしい。これが月を象徴し”月餅”と言う名前の由来にもなっている。筆舌に尽くし難い味なのだ。私が菓子類をあまり好まないのは、本来の食事の前に、まがい物をお腹に入れておきたくないからだ。
この”月餅”は違う。月餅を食し、お茶を味わうだけで、まるでフルコースを食べたあとのような満足感を覚えるから、不思議だ。

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Yvonne GEORGE 「Les Cloches De NANTES(ナントの鐘)」

崖まで走る

言葉の抽象化に挑んだことがある。どんどん意味を剥奪してゆく。名詞が混乱し始め、他動詞から失くす。とても危険な実験だ。
その途上で「接続詩」というタイトルの詩を作った。こんな感じだ。

「並びに、それでいて、しかし、でも、然るに、だって,其れゆえ、けれども、だが、それというのも、及び、又は、しからずんば、したがって、だから、よって・・」と接続詞を並べた作品。その後はこんな詩になってゆく。「!!!!!・・」    「。。。。、、、、!!””。。””」行き着く先は記号。
崖まで走る。言葉をなくすと存在の拠り所を失くす。
しかし崖まで走って初めて見えてくるものがある。言葉のない世界、意味の剥奪された世界は、原初性に満ちて混沌としている。不安や恐怖を後ろ手に縛り上げることができれば、それはある意味輝くばかりの夢の世界だ。
そんな実験へ踏み込ませてくれたのは、ほかでもない、ケイジ(John Cage)とMarcel Duchampだ。この二人とであったことが、大きな意味を持っていたと、今になって気づく。Duchampを知らなければ、カンディンスキーポロックも理解できなかったに違いない。CAGEに出会わなかったら、今見えるものを見ることが出来なかっただろう。聞こえるものを楽しむことが出来なかっただろう。崖まで走らなかっただろう。


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「Bilbao Song」 Pia Colombo

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