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道に、倒れる。

交通事故のリハビリも終え、職場復帰して1,2年が過ぎた秋の初めだったような気がする。
いつものように昼頃起きて、とにかくガバガバ薬を飲む。薬を飲まなければ、酸素が体内に入らないのだ。ゆっくり起きて薬が効くのをじっと待つ。効かないとわかると、別の薬を繰り返して飲む。出発時間に合わせて、気合を入れていく。それにしても今日は頭がすっきりしない。モヤモヤクラクラとしている。どうしたんだろう。
出発時間だ。家を出る。まず姿勢を正す。足が動き辛く、力が入らない。でも酸素が吸えているから大丈夫。多分声も出るだろう。近鉄線や地下鉄を乗り継いで梅田まで出た。阪急に乗る。西ノ宮駅に着く直前に意識が朦朧としてきた。飲みすぎた薬の副作用か。それとも酷い貧血のためか。珍しいことではない。西ノ宮校に向かって歩く。
その時だ。酸素が頭に届いていない、という内なる声が聞こえた。道にうずくまる。頭をもっと低くしなければ、ダメだ。恥も外聞もなく道端に寝転がった。誰かが見つけて救急車を呼ぶと、大騒ぎになる。早く起き上がらなければ。今、起き上がるのは危険だ、という内なる声がする。西ノ宮校まで、駅から歩いて一直線の十数分だ。こんな地面に寝転がっている場合ではない。今、起き上がってはダメだと再度内なる声が聞こえる。勇気を出して長々と横たわる。
しかし時間がない。立ち上がる。そして恐る恐る一歩一歩と歩いてゆく。
「今日は授業が出来ない」覚悟を決めた。
「今日は授業が出来ない、と予備校に着いたら学監に言おう。しかしうまく言葉が出るだろうか」
意識朦朧のまま、予備校に辿り着いた。汗を流しながら肩で呼吸をしていたら、スタッフの誰かから指示があった。
「Bruxelles先生、今日は模擬試験です。テスト用紙は下から2番目の引き出しに人数分入れてあります」
ありがたい、神様のご配慮か。
テスト用紙を配り「それでは、スタート」と声をかけてから、後ろを向いて過呼吸気味の深呼吸を始めた。循環しにくくなっている酸素を含んだ血液を頭まで押し上げなければならない。全身をポンプにして、それだけを考えて、ハーハーと息をした。外界をシャッタアウトして20分以上ひたすら過呼吸を続けた。

次の日は、一点集中の頭痛を感じながら、やはり意識朦朧として、よだれを垂らしながら一日中夢うつつで過ごした。そして次の日も。
このまま死ぬだろうと、内なる声が聞こえた。立ち上がり、服を着て病院に向かった。まだ30代だった。どこかに残っていた強い生命力が私を病院に向かわせたのだろう。

あれは何だったのだろう。ちょっとした虚血性貧血だったのか、あるいは脳梗塞の一歩手前だったのか。
薬の副作用か、極度の低血圧か、貧血のためか、フラツキ、めまい、立ち眩みは昔からしょっちゅうだった。目の前が真っ暗になると、面白がってわざとそのまま歩いたこともあった。だが、冷や汗を流し何かに寄りかかり、じっとうずくまることのほうが圧倒的に多い。けれど、私はそれが嫌ではなかった。そうして命がけで私の愛情を求めてくるもう一人の私を、ふととてもいとおしく思うのだった。そしてそうした繰り返しの中で、幼い時から不撓不屈だった私の「死への憧れ」が何時の間にか雲散霧消していった。
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甘樫の丘にて

「片腕をもぎとられたような気がする」と言った。
片腕どころか心臓を抉られた思いだろう。
「三人で話し合いましょう、と言ったら、彼は女を家に連れてきた」
「二人で使っていたクレジットカードから、不明の出金を見つけて初めて気づいた。女の誕生日に彼が高級靴をプレゼントした」
彼と彼女は、アメリカの大学で知り合い、同棲し、卒業と同時に彼女の国日本で暮らし始めた。
彼女が留学前に働いていた学校で私は英会話を教えていた。週3回、仕事の帰りに残ったスタッフみんなで駅前の寿司店に立ち寄った。そうでない時も、スタッフの誰かと、夕食をとった。パーティーが好きなHO校では、クリスマス、新年会には市内のクラブで、みんなで大騒ぎしたものだった。いつも羽目を外して、折り重なって大笑いした。
彼女が「留学する」と打ち明けたのもその頃だ。
長い休暇で彼女が帰国した時も、もうみんなバラバラになっていたけれど、数人で彼女の家に集まったりした。

二人の結婚に家族は大反対だった。アメリカの大学を出ているその男性はバングラディッシュ人だったのだ。彼女は一足先に帰国し、横浜のインターナショナルスクールに教師の職を得、彼を迎え入れる準備を整えた。両親は説得され、二人は祝福され幸せな結婚式を挙げることができた。
私が交通事故で八幡市の病院に入院した時も、二人揃って横浜からお見舞いに来てくれた。林檎の皮をむき、ジュースを入れ、点滴が終わりました、と看護婦を呼びに行ってくれたのも、若い彼の方だった。

「浮気くらいなら許せる。許せないのは、二人で暮らしたアメリカの旧友達に、彼が女を連れて行って、会わせていたことだ」と言った。
「彼を露ほども疑がっていなかったから」全く気づかなかった。
私達は甘樫の丘に来ていた。彼女が心の重さを全部吐き出すためには、野外の方がいいだろうと、会う場所は私が決めた。
頂上まで来て、飛鳥平野を見下ろす。ここは蘇我氏の宮殿があった場所だ。入鹿ファンの私の、ここはマイプレイスのひとつだった。
「彼女は妊娠していた。私は引かざるを得なかった」
「彼ではなく、彼の持つアメリカに惹かれているだけではないのか、と聞いた」
「それが、なかなかいい女だったのよ」と彼女は笑った。
彼との直接話法を含め、彼女が事の顛末を全部英語で話していたことに、そのとき初めて気づいた。突然雨がパラツキ始めた。
「彼は今でも、電話してくるのよ。泣いて。朝も夜も、しかも取り乱して、彼女の悪口ばかり言うのよ」
「結局彼女は、彼の子供を中絶したの。それを彼は、僕の子供を殺したって。許さないって」
「電話する相手、間違ってるよね?そんな愚痴まで聞かされるなんて、ね」
・・・・・・・・・・

あれから十数年が経つ。あの後1,2度恋をして、それからお見合いをして彼女は最高のパートナーに巡りあった。
すべての過去は現在に到る伏線だと人はよく言うが、彼女の人生を見てそうだと思う。
過酷な体験は、軌道修正を促す神の警告なのかも知れない。
(根拠の無い推論を言うなって?)

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