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福田恆存

ここに以下のような福田恆存氏の文章が引用されている。
「日本人にとつて、どつちが正しいかといふことは二義的なことなのです。大切なのは摩擦といふ醜い状態から早く脱して、和合に到達することであります」
最近あちこちのBlogでこの引用を見る。さすがは福田恆存氏、すごいことを見抜いておられる。

10数年前、隣のビルの寿司屋のモーター音で、家中が船底状態になって、日常生活がおくれなくなったことがあった。一番最初に会った、高校時代の友人のY君に「まず市役所に音の測定を依頼しようと思っている。市民が平穏に暮らすための条例があるはずだから」というようなことを相当思いつめて言った。それに対してY君は意外なことに「そんなことはしないほうがいい」と言った。高校時代から彼はいつもわたしを守る、というpositionをとってくれた。この時も母を亡くしたわたしを気遣って食事に誘ってくれたのだった。ではどうすればいいか、と問うと「我慢しろ」ということになる。我慢できる範囲なら誰だって、我慢を選ぶ。ただ彼は「そんなことをしたら、近所と諍いが起こる。君一人では耐えられないだろう。大変なことになる。やめろ」というわけだ。
その時ものすごくびっくりしたのを覚えている。なぜそう言う発想になるのか?なぜ解決を考えないのか?他人事だからか?問題化することはいけないことなのか?それこそが解決のスタートになるのではないか?
それが長い間謎だったが、上の引用でよくわかる。彼は普通の日本人なのだ。日本人にとっては問題を解決することよりも「摩擦を避けること」が最優先なのだろう。彼は解決については何も言わなかったが、ほかの人の意見によると「引越ししなさい」が圧倒的に多かった。近所に一件空家があったが、その空家と家を交換してもらいなさい、というアドバイスもあった。空家は私の家よりも随分小さく、しかも廃屋に近かった。どういう神経でそんな失礼なことを言うのか、とかなり腹が立ったが、その人はそのひとなりの親切心からの助言のつもりだろう。
友達や親戚でも、人が落ち込んでしまった問題には、まず関わり合いたくないのだろう、とその時は思った。市役所自体が騒音の測定をまともにしなかった、データーの提出を拒んだ。最後はあからさまなデタラメを言った。市役所は当然第三者であり、どちらが正しいかなど、どうでもいいのだ。問題そのものが、存在しないことにしたい、そういう態度があからさまだった。それを友人や親戚に相談しても「役所とはそういうところですよ」という。「そんなことも知らなかったのか」と言った昔からの友達(YS)もいた。確かに私は日本とはそういう社会である、ということをその時まで知らなかった。当時はたくさんの友人がいて、たくさんの友人に相談したが、皆同じような態度だった。解決など全く考えない。皆それぞれ問題を抱えていて、必死で生きていて、人のことにかまっていられないのかな、と思ったが、どうもそうではないらしい。結論から言うと、全員の意見や態度はひとつにまとまる。「摩擦を起こさないこと。決して争わないこと」こそが最優先の最大の善なのだ。
上の福田恆存氏の文章からの引用を読んで、ようやくあの時のモヤモヤが、すっきりしたような気がする。

和を持って貴しとなす、などという日本の国是は、問題の分析どころか、問題点の抽出さえしない。多くの場合被害者を説得して口封じに励む、「まーまーここはひとつ穏便に、手打ち手拍子、えっさっさ」というごまかしである。アメリカでトヨタが裁判に引っ張り出されるような理不尽ないじめにあっても、中国でユニクロがテロで破壊されても、韓国とのサッカーの試合で繰り返し国の歴史を侮辱されても、日本人はその怒りを(自分が直接損害を受けるわけではないと思うからなのか)すぐに忘れる。そうだ確かに福田恆存氏のご発言は日本人の性質を射抜いている。とは言え福田恆存氏を讃えるためにこの文章を書いているわけではない。
原爆を落としたアメリカが与えたあの日本国憲法の前文、ご存知だろうか?あの馬鹿馬鹿しい前文は、皮肉なことに、日本人の特性にぴったりと符合するではないか。それゆえ日本人は体質的に護憲派であり謝罪派なのだろう。このままでは日本人は「正しいかどうか」を白日の下に徹底的に掘り下げることがどれだけ重要かを、永遠に知ることはできないだろう。
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府民共済保険

若い時は保険などという概念がまず嫌いだった。誰が考えたかしらないが、実体のないコンセプトだけの商売だ。人の心の不安を商売にする。差し出すものは「安心」という見えない価値だけ。濡れ手で泡。
でも交通事故で長期入院してから、保険の大切さを知った。それから郵便局の簡易保険にも入ったし、生命保険にも入った。すでにともに満期を迎え終わりにした。今入っているのはタイトルにある府民共済保険。
人間歳をとると孤独になる。周りの人も次々となくなるし、思い出を語れる人も少なくなる。孤独は当たり前だ。最近年をとるということは孤独だけでなく、社会的価値が少しづつ認められなくなることと同じだと考えるようになった。早い話が、そろそろ死んでもおかしくない、「えっ?まだあの人生きてるの?」などと言われるようになる。わかりやすく言うと、死んでも誰も悲しまなくなる。退場の潮時に近づき、潮時をいつか超える。死んでも誰も悲しまなくなるだけで無く、周りの人がほっとしたりして、あるいは少し喜んだりして。少なくとも命の価値は年齢とともに減少する、これは事実だ。
府民共済のパンフレット。月掛2000円のコース。18歳から60歳まで事故・病気の入院に対して保険金は一日10000円。同じコース同じ掛金なのに60歳から65歳までは7500円と値下がりする。(ほらね、年をとるだけで価値が下がる)65歳から70歳は5000円、70歳から80歳は3500円、80歳から85歳は2000円、どうです?一日10000円だったのが2000円。病気死亡の場合は、長年かけても一時金が3万円。生命保険ではなく入院保険なので、この3万円は仕方がないけれどね。歳をとると価値が下がる、ということを具体的に数字で示された気がする。
身体のどこかが悪くなって病院に行っても「もうお年ですから、仕方ないですね」と言われた、と怒っていたひとを何人か知っている。「医者のくせに直す気が無いように思える」らしい。そう言えば私も眼の調子が悪くなって眼科にいったら「飛蚊症です。これは加齢が原因ですから、治療方法はありません」とあっさり言われた経験がある。年取って手術を希望したら「その年でまだ手術までして生き延びたいのか」と言われた人もいる。死ぬ死なないは自分では決めようがないが、少しづつでも「退場」の心づもりをしておいたほうが、土壇場でのショックを少しは防げるかもしれない。マッカーサーではないが、死せずとも去りゆかねばならぬ時が誰にでも来る。
「老兵は死せず、ただ去りゆくのみ」この言葉は祖母から聞いた。源氏物語における出家のようなものだ。究極の出家は補陀落渡海なのだろう。府民共済のパンフレットは取りあえず破り捨てたが、一時金の数字が意味する事実からは逃げないでおこう。ここ15年のあいだに10回以上葬儀に出席したが、家族であろうと親戚であろうと、心が潰れるほど泣いている人をめったに見なくなった。日本人が長生きしすぎるようになったのも一因かもしれないが、人の情愛、家族の情愛が、希薄になっているのも確かだと思う。一言で言うと、日本人は薄情になっている、しかも急激に。そう思いませんか?

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