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甘樫の丘にて

「片腕をもぎとられたような気がする」と言った。
片腕どころか心臓を抉られた思いだろう。
「三人で話し合いましょう、と言ったら、彼は女を家に連れてきた」
「二人で使っていたクレジットカードから、不明の出金を見つけて初めて気づいた。女の誕生日に彼が高級靴をプレゼントした」
彼と彼女は、アメリカの大学で知り合い、同棲し、卒業と同時に彼女の国日本で暮らし始めた。
彼女が留学前に働いていた学校で私は英会話を教えていた。週3回、仕事の帰りに残ったスタッフみんなで駅前の寿司店に立ち寄った。そうでない時も、スタッフの誰かと、夕食をとった。パーティーが好きなHO校では、クリスマス、新年会には市内のクラブで、みんなで大騒ぎしたものだった。いつも羽目を外して、折り重なって大笑いした。
彼女が「留学する」と打ち明けたのもその頃だ。
長い休暇で彼女が帰国した時も、もうみんなバラバラになっていたけれど、数人で彼女の家に集まったりした。

二人の結婚に家族は大反対だった。アメリカの大学を出ているその男性はバングラディッシュ人だったのだ。彼女は一足先に帰国し、横浜のインターナショナルスクールに教師の職を得、彼を迎え入れる準備を整えた。両親は説得され、二人は祝福され幸せな結婚式を挙げることができた。
私が交通事故で八幡市の病院に入院した時も、二人揃って横浜からお見舞いに来てくれた。林檎の皮をむき、ジュースを入れ、点滴が終わりました、と看護婦を呼びに行ってくれたのも、若い彼の方だった。

「浮気くらいなら許せる。許せないのは、二人で暮らしたアメリカの旧友達に、彼が女を連れて行って、会わせていたことだ」と言った。
「彼を露ほども疑がっていなかったから」全く気づかなかった。
私達は甘樫の丘に来ていた。彼女が心の重さを全部吐き出すためには、野外の方がいいだろうと、会う場所は私が決めた。
頂上まで来て、飛鳥平野を見下ろす。ここは蘇我氏の宮殿があった場所だ。入鹿ファンの私の、ここはマイプレイスのひとつだった。
「彼女は妊娠していた。私は引かざるを得なかった」
「彼ではなく、彼の持つアメリカに惹かれているだけではないのか、と聞いた」
「それが、なかなかいい女だったのよ」と彼女は笑った。
彼との直接話法を含め、彼女が事の顛末を全部英語で話していたことに、そのとき初めて気づいた。突然雨がパラツキ始めた。
「彼は今でも、電話してくるのよ。泣いて。朝も夜も、しかも取り乱して、彼女の悪口ばかり言うのよ」
「結局彼女は、彼の子供を中絶したの。それを彼は、僕の子供を殺したって。許さないって」
「電話する相手、間違ってるよね?そんな愚痴まで聞かされるなんて、ね」
・・・・・・・・・・

あれから十数年が経つ。あの後1,2度恋をして、それからお見合いをして彼女は最高のパートナーに巡りあった。
すべての過去は現在に到る伏線だと人はよく言うが、彼女の人生を見てそうだと思う。
過酷な体験は、軌道修正を促す神の警告なのかも知れない。
(根拠の無い推論を言うなって?)

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