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スバル・360

5年程前N先生の奥さんに道で時々会うようになった。市民病院の方に歩いて行かれる。ひょっとしてN先生が入院しておられるのだろうか。
もう40数年どちらにもお目にかかっていない。私は子供から大人になり、大人も後半に入っている。多分こちらの顔はわからないだろう。
じっと見ていると一人でレストランに入っていかれた。孤独なのだろうか。今何歳なのか、計算できない。母よりも年上の筈。となると80歳を超える。が奥さんのお顔は全く昔のままで、30歳?40歳くらいに見える。女の子はなかった筈だ。だとすれば、あの御婦人は一体誰なんだろう。

N内科医院に60?70回入院した。往診は100?200回してもらった。
初めの頃N先生の往診はスクーターだった。しばらくしてスバル・360になった。小さな町では自家用車はまだ珍しかった。
N内科医院は入院患者はとらない。私一人いつも特別入院させてもらっていた。
食事ができるようになると、看護婦さんたちと一緒に本宅に朝食に行った。学校に行ける日は、奥さんにお弁当をつくってもらった。
「うちは息子ばかりだから、女の子の小さな赤いお弁当箱は詰めるのが楽しい」と言って下さった。

小学校2年生くらいから私の喘息はどんどん悪化した。夜中に母に背負われてN医院に行く。母が戸をドンドンするとカーテンがまず開いて、眠そうな看護婦さんが現れる。それから、N先生が叩き起されて・・・。そんなことが何度も繰り返された。

「唇が紫色になっている」
しばらく躊躇した後、N先生はある注射を1mm打たれた。
「これは心臓に負担がかかるから」ともう片方の腕に強心剤を打たれた。
もう死ぬと思っていてもその2本を打つと帰りは歌を歌いながら自分で歩いて帰宅できる。死人が息を吹き返す程のインパクトのある驚異の注射だった。
でもそれは6時間ほどしかもたない。次第に夜道を帰ることがなくなり、そのまま夜中の緊急入院が始まった。
注射を打った後の突然空気が気管や肺に流れはじめるあの快感を今も鮮明に思い出すことができる。痺れるような「生きていることの悦び」を実感できた。

5年程前、N内科医院の前を偶然通ると、N医師の通夜に出くわした。急いで喪服に着替えて出直した。小さなしきびを申し込んだ。翌日も喪服で式に出かけた。本宅の中に入って最後のお別れをしたい衝動に駆られたが、過去にさかのぼり小さな小学生の私に戻って、ただ遠くから父のように懐かしいN医師に両手を合わせた。

////////////
欠けてくっつけてある歯がまたとれた。昨日Sさんに新しい歯科医院を紹介してもらって、早速出かけた。そこは駅前にありN歯科医院と言った。大きなマスクをしている歯科医の顔を、下から目を開けてじっと見たら、子供の頃に見たN医師の顔とダブってきた。本宅に朝食に行った時に、チラリと見た息子さんのどちらかに違いない。「おかずが少ない」と文句を言っていた大学生のお兄さんの方だろうか?半ズボンを穿いていた弟さんの方だろうか!

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